2011年6月6日月曜日

六方野

宇那谷川流域紀行7 六方野

            六方野入会地の変遷と利用村
 この地図は「絵にみる図でよむ千葉市図誌 下巻」(千葉市発行)掲載地図を参考に作成しました。

 宇那谷川流域とその周辺は江戸時代の六方野(入会地)の中心部分です。
 印旛沼に流れる水系と東京湾に流れる水系の間に台地が広がり水が無いために開発が進まず原野として残りました。
 この原野は周辺の村の入会地として飼料、肥料としての草、茅葺屋根の材料の萱などの採取地として利用されていました。
 この入会地の半分以上の面積を占める、長沼池から西側が1675年長沼新田になりました。また1804年川野辺新田、1826年小深新田が成立しました。この結果、江戸時代末の入会地の面積は当初の17.4平方キロメートルから2.3平方キロメートルと約13%以下となりました。
 六方野の名称は現在では四街道市鹿放ヶ丘、千葉市稲毛区六方町として残っています。

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