2011年6月2日木曜日

花見川の語源6

7ハナシマ
7-1ハナ
 ハナは柳田國男の解釈を踏襲します。(花見川の語源3花見川の語源4など参照)

 ハナの一般的意味は日本語としては端であり、物の先端部分、はじ、末端であります。

 角川古語大辞典(全5巻)の第4巻には次の説明があります。(2の説明以外用例略)
はな【端】(鼻と同根)
1物のいちばん先のほう。尖端。突端。
2突き出した地形の先端の所。丘や岬などについていう。「うしろ佃沖、新地の鼻を見せたる遠見」(盟35大切・序幕)
3並んでいる人や物の先頭。
4事柄の始まり。発端。
5階級、序列などの首位、かしら。

 このうち2の説明が地形に使ったときの意味であり、ハナシマのハナの意味をそのまま言い当てていると思います。

7-2シマ
 シマは島の意味であると思います。

 国語大辞典(小学館)では次のような説明をしています。(用例略)
しま【島・嶋】
1周囲を水で囲まれた陸地。〔後略〕
2水流に臨んでいる1のようなところ。洲(す)。
3泉水、築山などのある庭園。林泉。
4=しまだい(島台)
5集落、村落の意。
6ある一区画をなした土地。勢力範囲にある限られた地帯。界隈。
7~12略

 この説明で言えば、ハナシマのシマは1あるいは2の意味で使われたものと考えます。

7-3ハナシマと呼ばれた理由
 この台地がハナシマと呼ばれた理由とシマの印象を深めたにちがいない要因を次のように考えます。

1島状地形の存在
 花島付近の地形は次に示すように、台地が花見川の谷津と花島の谷津(小字名は「谷津」)に挟まれていてその姿を谷津の合流部付近で見ると、島のように見えます。

            花島付近の島イメージ(赤ハッチ)と谷津低地(青ハッチ)
 基図は旧版1万分の1地形図「大久保」「三角原」

 なお、現在は池の堰堤により花見川谷津から花島の谷津の存在を見ることができないので、島状地形の存在を感じることは困難です。

2水面と島状地形の対比による印象の増大
 縄文海進ピーク時にはこの花島まで東京湾の入り江となっていたと想像できます。台地奥深くに海面があり、その海面と花島の谷津の湿地に台地が挟まれて、島状の地形が特別印象的だったと思います。弥生時代になると海面の跡は湿地となり、やはり平坦な地形が台地の島状の印象を強めていたと考えます。

3地形常識に反する花島の谷津の存在
 この場所は、河川争奪によりもともと古柏井川の上流部であった花島の谷津が花見川に流れ込んでいる場所です。そのため花島の谷津は花見川の上流に向かって流れ込みます。人々の地形常識に反した地形となっています。自然地形の微細な条件を見分けて、その情報を狩猟や採取、運搬や移動、定住地選定などに活用していた人々にとって特筆すべき珍しい地形(場所)だったと思います。シマの印象が格別強くなった場所であると思います。

7-4ハナシマの場所の特別な意味
 また、このハナシマという場所には次のような特別の意味があったと考えます。

1印旛沼へ通り抜ける通路の出発点
 縄文海進ピーク時には、花島付近まで谷津は東京湾の入り江でした。弥生時代以降は湿地になっています。それより上流の谷津は途中谷津内分水嶺を経て印旛沼水系の河川に繋がります。河川争奪によりそのような不思議な水の通路が出来ていました。その通路は東京湾と印旛沼を結んでいるので、縄文時代、弥生時代の移動幹線通路になっていたと考えます。その東京湾側の出発基点がハナシマです。

2場所としての霊的環境の具備
 花島から花見川上流方向を見ると、台地の壁が立ちはだかり、そこから花見川が流れ出るような風景をしています。風景用語で川が山から平野に出る場所を「竜の口」と呼びますが、そのような風景です。河川争奪でそのような特異な風景が出来ています。また、「竜の口」を入ると、現在の柏井橋付近で右岸側、左岸側ともに支川としての谷津が合流します。その合流部では河川争奪の結果、滝あるいは急流が形成されていたと考えられます。台地の島形状、花島の谷津の合流方向異常も合わせて、このような場の特異な条件は、この場所に霊的雰囲気をもたらしていたと考えます。
 後の時代に、この霊的雰囲気を活用して行基伝承のある花島観音が創建(709年)されたと考えます。単に観音像の安置ということではなく、この付近一帯の環境を利用した修行の場として開山したのではないだろうかと想像しています。情報があれば調べたいと思っています。
 「絵で見る図で読む千葉市図誌」(千葉市発行)では、花島町の町名由来として「周囲に水をめぐらした台地上に祀られたことにちなんで称された、花島観音の山号(花島山)に由来すると伝承されている。」と記述されています。花島観音の創建が古いので、このような伝承になったのですが、ハナシマの地名とその霊的環境が最初にあり、それを利用して観音安置と行基伝承が生まれ、その時に花島山という山号もつけられたというのが正しい順番です。

            竜の口を思わせる花島から上流方向の風景

7-5地名ハナシマの年代
 しま【島】の語源として岩波古語辞典では、朝鮮語siem(島)と同源と説明しています。これが正しければ、ハナシマのハナは縄文語起源としても、シマは弥生時代以降の言葉であり、ハナシマの地名が語られるようになったのは弥生時代以降といういことになります。 

7-6花島台
 現在の花見川区花島町は花見川の右岸ですが、対岸の左岸の台地の地名が花島台となっています。旧版1万分の1地形図で確認できます。(上記地図参照)三角町の字として花島台を確認することもできます。
 「島の形状の台地」という意味でつけられた名称ハナシマが、その場所で一旦確立すると、その場所周辺一帯の台地地形もハナシマと呼ばれるようになったものと考えます。
 また、台という表現は地形面を指しています。台地面を野として利用するようになってから台という表現が必要になって使われるようになったものと推察します。従って、花島台という表現は台地面を入会地等として使うようになってから以降の地名であると考えます。この付近の開拓に花島村が係わったのかもしれません。

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