2011年11月15日火曜日

河岸段丘のでき方

花見川河川争奪を知る42 花見川河川争奪の成因検討3 クーラーの説17
oryzasan氏コメントに対する感想2

4 河岸段丘のでき方について
ア 堆積物確認の大切さ
堆積物確認なくして河岸段丘と軽やかに呼ぶことはできないとのoryzasan氏のご指摘は、その通りだと思います。
少なくとも堆積物確認の最大限の努力は必要だと思います。
このブログの現段階は、堆積物確認など地質学的証拠を集めるための予備調査・予察調査段階であると認識していただければ幸いです。

イ 河岸段丘のできかた
河岸段丘のでき方には、oryzasan氏のおっしゃったもの以外に、主として浸食によるものもあると思います。
その場合、段丘堆積物は薄かったり、欠落したりすると思います。
河川争奪の成因を考える際に、河岸段丘について花見川と近傍河川(高津川の各支川、勝田川の各支川等)の比較が必須になります。
そういう意味で、この地域における河岸段丘のでき方について基礎から学習したいと思います。
なお、私は根拠をあまり持たずに、下横戸や柏井・花島に存在するほとんどすべての河岸段丘が浸食段丘であり、堆積物は薄いか欠落していると思っていました。
oryzasan氏の、河岸段丘が氾濫原堆積物から構成されているという真逆のイメージに戸惑うとともに、自分の盲点を指摘されたような気づきが生まれました。
柏井付近はいうならば盆地であり、堆積物が多いのかもしれない。ひょっとすると湖成堆積物があるのかもしれない。そんなイメージが脳裏を横切っています。

ウ 氾濫原の幅の不自然さについて
oryzasan氏は柏井付近の川幅が北に向かって急変する不自然さをご指摘になりました。
「上流は狭く、下流は広い」は一般論ではそうですが、現実には、川幅は近傍河川をみて確認できるように、意外と変化します。
普請の盛土を剥げば、川幅や段丘面の「急変」は、印象的には緩和されると思います。
しかし、下流(北)に向かって川幅(特に谷底幅)が狭くなるのは“重要な”事実だと思います。
重要性の理由は、古柏井川は先行谷となっており、川幅減少区間が地殻上昇域を示す指標であるからです。
浸食のエネルギーを下刻に使い側刻には使えなかったため、川幅が狭まっているためだと思います。
隣の芦太川でも、旧版地形図や米軍空中写真から、類似の現象が観察できます。
芦太川の姿

エ 花島付近の平坦面について
花島付近の平坦面も古柏井川のかつての谷底であると想定しています。
浸食面であり、堆積物は薄いという先入観念をもっていますが、oryzasan氏のコメントを読んで、本当はどうだろうかと新鮮な興味が湧いています。
現場で地質学的証拠を確認できる方法があるのか、今後検討したいと思います。
なお、米軍撮影空中写真実体視では花島観音の乗る地形が「島」であるように認識できます。
軽率ですが、これまでそのように理解していませんでした。
また、ある文献では、島と台地の間を江戸時代に埋立したとの記録もあるようです。
この「島」(台地の削り残し)が河川争奪と関係ある地形かもしれないと思い、言葉にできる根拠はありませんが、何か気がかりです。

また、話しは大きく飛びますが、「ハナ-シマ」地名が縄文語由来で、「ハナ-ミ」や「ハナ-ワ」などと同族であり、自然地形・環境に関わるものと考えてきました。
そして、ハナシマのシマは別の地形を想定していました。今回、本当の「島」を発見して、地名の真の由来がここにあると考えるようになりました。
花島の姿

オ 平坦面の人為起源について
平坦面(段丘面)が実は人為的起源ではないかとのご指摘は十分に検討することが必要である大切な検討事項であると思います。今後検討したいと思います。
私は、地形面を利用して生活の場とし、その地形面を多少改変することはあると思っています。しかし、地形面(と観察できるような地形)を最初から造成して、生活の場とするようなことはほとんどないと考えて差し支えないと思っています。

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