2017年5月15日月曜日

西根遺跡関連 地名「戸神」考

戸神川、戸神という河川名、地名は宗像神社をもたらした宗像一族が最初に使ったと想像します。
宗像一族がこの地に九州から到着した時、戸神川谷津が在地の人々の祭祀の場(水中土器送りの場)であったために、「戸神」の地名・河川名をつけたと想像します。

戸神=戸(ト…人に通じる[*])+神=在地の人々が神様に祈願する場

戸神という地名は外来者が在地の人々の習俗を見て(影響を受けて、共感して)付けた名称です。

縄文時代後期の際立った土器送り行為は、その後その盛衰の程度は別にして、弥生時代にも引き継がれ、古墳時代にも継続していて、奈良・平安時代に至っていると考えます。

宗像一族がこの地にやってきた時はもとより、奈良・平安時代にも戸神川空間のあちらこちらに縄文土器密集地が露出していて、誰でもこの場が祭祀の場であることを直観できたと想像します。

縄文時代後期の祭祀行為が遺跡としてフィジカルに3500年後の現代に伝わるとともに、宗像一族の地名命名行為を介して、メタフィジカルな意味でも現代にまで伝わってきています。

地名「戸神」 旧版1/25000地形図

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* 戸
ハヤト(隼人)のトは今でも人を表現します。
古くはミナトのトも人であり水上や舟運の人々を表し、それがその人々のいる場所の意味に転じたと考えます。
セト、フナト、イワト、ヤマトなどのトも日本語を遡れるだけ遡ればすべて人の意味で、その後、その人のいる場所の意味に転じたと考えます。

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2017.05.13記事「西根遺跡 縄文時代水中土器送りは平安時代まで続く

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