2012年5月27日日曜日

花見川の境界機能 その1

2012.5.24記事「小金牧周辺野絵図(閲覧資料)の閲覧」記事を書きながら、何か気づいたことがあるのに、思い出せないことがあるような、心理的に引っかかるものがありました。
しかし、その答えが意識に上ってくることは、その時はありませんでした。

2日後の5月25日になって、小金牧が花見川によって境されているということの重大性に気づくことができました。

次の図は小金牧周辺野絵図に花見川の河道を書き込んだものです。

小金牧周辺野絵図(部分)
「絵にみる図でよむ千葉市図誌 下巻」より引用
引用者が花見川河道と文字を記入
17世紀中葉か、千葉県立文書館所蔵

私は、この絵図を、花見川と古柏井川の谷中分水界の位置を証拠だてる資料としてみていました。
しかし、千葉県文書館で閲覧資料を閲覧した時は、そうした観点だけでなく、無心に(白紙で)この絵図をみることもしていたのだと思います。
いわば受身になってこの絵図をみていたのだと思います。それで、小金牧の端が花見川で区切られていることに気づくことができたのだと思います。

次の図は、広大な小金牧の東南端の部分(この付近は小区分として下野牧と呼ばれています)の略図を示しています。

小金牧東南端付近(下野牧)の略図
「絵にみる図でよむ千葉市図誌 下巻」より引用
引用者が塗色し花見川河道と文字を記入

この略図をみると、小金牧の東南端が花見川の深い谷津の存在によって終焉していることがよくわかると思います。
花見川という地形が近世の土地利用上強い境界機能をもっていたことに意識させられました。

ここまでくると、花見川の東側に広がる六方野も花見川によって境界されていることに気づくことに時間はかかりません。

六方野開墾絵図
「絵にみる図でよむ千葉市図誌 下巻」より引用
引用者が花見川河道と文字を記入
1672年5月裁許、1765年8月写(宇那谷町内会所蔵)

花見川の境界機能により形成された近世の土地利用ブロックは、その後も2つの陸軍演習場(習志野演習場、下志津演習場)の存在などに引き継がれてゆきます。

花見川の境界機能という新たな興味対象が生まれました。

つづく

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