2012年5月7日月曜日

戦前地形図に双子塚の表記を発見!

花見川源頭部付近にあった古墳 その10

念のため旧版1万分の1地形図「三角原」(大正6年測量)を確認したところ、予想に反して(?)、双子塚の表記を発見しました。

旧版1万分の1地形図に表記された双子塚
赤点線は現在の町丁目界線

同上拡大図
地図記号「土囲」(土手を表現する記号)で用いる「ケバ」を丸くすることで塚を表現しています。実に巧妙な表現方法です。

双子塚が地図に表記された主な理由は道路脇にあり、測量技師の眼に触れたことと、塚として利用されていた(最低限のレベルでの草刈等の管理が行われ、信仰に関わる地物が存在した)ことによると思います。
おそらく寛永通宝の賽銭が置かれた江戸時代のたたずまいが、大正6年にもそのまま残っていたと想像します。

なお、旧版1万分の1地形図において、高台南古墳の位置にはそれらしき地物の表記はありませんでした。

戦前地形図に双子塚が表記されていることを知って、双子塚に対する心理的距離が縮まり、愛着みたいな感情が生まれました。

追記(2012.5.9)
昭和35年測量千葉市都市図(1:3000)「千葉27」(千葉市立郷土博物館所蔵)を確認したところ双子塚にかかわる表記はありませんでした。(画像略)
この都市図は写真測量により作成した地図です。見落とされたものと思います。
縮尺1万分の1の大正期地形図に双子塚が表記されていたことにあらためて感心しました。その地形図を作成した時の地物・地形観察力の強靭さに感動します。現場に身を置いて観察することの大切さがよくわかります。
なお、米軍撮影空中写真(昭和24年撮影)を立体視すると双子塚の高まりを明瞭に確認できます。

*   *   *

参考 横戸村の地番割図
横戸村の地番割図 1934年(昭和9年)作成
「絵にみる図でよむ千葉市図誌 下巻」(千葉市発行)より引用
引用者による書き込み

双子塚(フタゴツカ)のある場所が字「二子山(フタゴヤマ)」になっています。
双子塚の名称と字名二子山が伝わっており、双子塚が本来の築造コミュニティー(柏井方面)とは切り離されましたが、社会における役割(境界機能)をはたしてきたことがうかがわれます。

高台南(タカダイミナミ)古墳のある場所一帯は「高台向(タカダイムカイ)」という字名です。
これは本来、柏井村の字「高台(タカダイ)」(横戸村字二子山に隣接)の、古柏井川(=印旛沼堀割)を挟んで向かい側という意味です。

高台南古墳は鷹之台カンツリー倶楽部の工事で発見された時に付けられた名称であり、双子塚のように過去から伝承されてきたものではありません。
付近の地名「高台」、「高台向」の配置からすると、不適切な命名であると考えざるを得ません。
しかし、もうどうしようにもありません。

なお、鷹之台カンツリー倶楽部の「鷹之台」は字「高台向」にもとづいて付けられた名称です。

高台南古墳は「鷹之台カンツリー倶楽部のクラブハウスの南側」の意味で命名されたものと推察します。

つづく

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