2012年5月21日月曜日

花見川河川争奪について


1 これから検討したい項目

これまで、花見川本川筋の河岸段丘地形を詳細に見てきました。

特に、航空レザー測量による5mメッシュを入手してから、精度の高い地形高度把握、形状把握が可能となりました。従って、それ以前では不明であったり、あやふやであった事柄がよくわかるようになりました。

その結果として、花見川河川争奪について自分が見立ててきた現象のあらましとその成因について、見立て基本の確からしさを確認することができ、さらに詳しく知ることができる目途もついてきました。また、若干の間違いを訂正(*)できることもわかりました。

* 後日報告します。

これからは、ブログ「花見川流域を歩く」のメインテーマとして、花見川河川争奪について体系的に取り組んでいきたいと思っています。

現時点で、現場で調査確認し、地図上で作業し、思考をめぐらしたい項目をピックアップすると次のようになりました。


これから検討して、ブログ記事にしたい内容(2012.5.21

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分類
項目

1 河川争奪現象の説明とイメージ画像による表現
1)花見川河川争奪現象のわかりやすい説明

2)花見川河川争奪現象のイメージ画像表現

3)花見川河川争奪現象の地形分類上の位置づけ

2 河川争奪現象のメカニズム
1)地形発達基礎検討
ア花見川筋の地形発達把握
イ近隣印旛沼水系河川の地形発達把握
ウ東京湾水系河川の地形発達把握
2)河川争奪現象発生の準備要因
ア地殻変動(小崖2、小崖1、小崖3
イ水系による浸食力の相違(氷期の浸食基準面低下の影響が当該地域に波及するまでの印旛沼水系と東京湾水系の間のタイムラグの存在)

3)花見川でのみ河川争奪が発生した直接要因
ア地理的位置仮説(谷津地形発達状況と東京湾水系谷頭浸食最前点との位置関係)

4)河川争奪現象の規模(浸食量)と時間

5)河川争奪現象後の地形変化(人工改変を除く)

3 河川争奪現象による地形が社会に与えた影響
1)東京湾と香取の海の主要交流ルート

2)印旛沼堀割普請

3)戦後印旛沼開発と流域変更

4 印旛沼堀割普請による人工地形改変の実態
1)戦後印旛沼開発による人工地形改変の実態

2)印旛沼堀割普請による人工地形改変の実態




このブログがネタ切れで記事掲載できなくなる日は、まだ当分来そうにないことがわかりました。

なお、検討とブログ記事作成は、必ずしも上記表の項目を上から順番に行うものではありません。

また、自分の認識や思考が深まれば、あるいは補正されれば、その都度同じ項目についてブログ記事化することもありますので、ご了解ください。

このブログは思考の実況中継の場であり、最終成果発表の場ではありません。

 2 花見川河川争奪のイメージ

これまでに見立てた花見川河川争奪のイメージを、模式的なレベルで絵にしてみました。
 

花見川河川争奪前の水系イメージ(2012.5.21

印旛沼水系古柏井川(*)と東京湾水系花見川の分水界が天戸・犢橋付近に存在していた時代があったと想定しています。

この時代を武蔵野面形成後、立川面形成前に想定しています。
 

*厳密には天戸・犢橋~花島には古柏井川は発達しないで、より古い時代の印旛沼水系の谷津である下総下位面(浅い谷)があったと考えます。古柏井川は花島から北に発達していたと想定しています。
 

花見川河川争奪区間のイメージ(2012.5.21

花見川河川争奪とは、印旛沼水系筋の谷津を丸ごと東京湾筋の谷津に変化させた、谷津谷底を選択的に浸食した地形現象を指しています。
 

花見川河川争奪後の水系イメージ(2012.5.21

印旛沼水系古柏井川と東京湾水系花見川の分水界が横戸台付近に存在していましたが、江戸時代の印旛沼堀割普請で消失しました。

印旛沼水系古柏井川は上流部を失ったので空川になりましたが、その空川も印旛沼堀割普請でほとんど消失しました。

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