2012年5月2日水曜日

双子塚の祭祀イメージ

花見川源頭部付近にあった古墳 その5

1 縄文土器片出土地点と縄文人居住場所
「墳丘の調査時に、墳丘盛土の主として北西部分から53点の縄文土器片が得られた。」と「千葉市双子塚 -横戸団地建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書」(1983、千葉県住宅供給公社・財団法人千葉県文化財センター)(以下報告書と呼びます)で述べられています。
周溝を掘り下げ、その土を墳丘に積むということが塚築造土工事の基本であったと考えると、塚の北西方向、つまり花見川方向にあった地中の縄文土器片が塚築造時に塚盛土に混入したことが考えられます。
縄文時代の人々が花見川源頭部の泉の水を飲料水として利用して生活するために、居住の場を源頭部直ぐ脇の台地上に設けていたと想定すると、そのことと、塚盛土の北西部分から縄文土器が出たことは整合的です。

縄文土器片の出土ポイントと縄文人居住場所の推定

(双子塚跡地を取り囲む隣接地区が現在開発工事中です。2012.3.21記事「天保期印旛沼堀割普請の土木遺構」参照。印旛沼堀割普請で出来た土手を切土します。捨土土手ですからここから縄文土器出土の可能性はほとんどありません。しかし、切土の状況如何によっては、もし、本来の地表面まで切ることがあれば、縄文土器出土可能性はゼロではないと思います。)

2 古墳時代遺物の出土地点と祭祀空間
古墳時代遺物として2点の土器が古墳西側の周溝覆土の最上層から出土しました。
出土物は報告書では「3は底部の突出する甕形土器の底部破片。和泉期。4は小型甕で、1/3ほど遺存し推計で口径14㎝、底径6㎝、器高15㎝を計る。最大径は胴中位にあり15.6㎝を計る。口線部横ナデ、胴部ヘラナズリ、鬼高期。」としています。いずれも生活で使う大きさのものというより、祭祀用のミニチュア土器であると考えます。

そして、古墳西側には、周溝との間に旧表土のない幅2m程のテラスがあり、報告書では「このテラスは本来的に存在していたものと考えられる。」としています。
このテラスこそ双子塚の祭祀空間(祭壇)であり、だからその近くで祭祀遺物としての小型土器が見つかったのだと思います。
祭祀空間(祭壇)としてのテラスが古墳西側にあるのは、花見川源頭部の泉がその方向にあるからであり、この古墳と花見川との関わりを物的に証明しています。

周溝実測図および周溝内遺物出土状況図
「千葉市双子塚 -横戸団地建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書」(1983、千葉県住宅供給公社・財団法人千葉県文化財センター)より引用
テラス位置は引用者書き込み

墳丘断面図W-E
  「千葉市双子塚 -横戸団地建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書」(1983、千葉県住宅供給公社・財団法人千葉県文化財センター)より引用
テラス位置は引用者書き込み

これらの資料から双子塚の祭祀イメージを次の図に示しました。

双子塚祭祀イメージ

古墳西側幅2mのテラスは神官が陣取り、祭祀用具としての土器を用いて(おそらく土器に花見川源頭部泉の水を汲んできていて)祭祀を取り仕切った祭壇でした。
一般の祭祀参加者はテラス(祭壇)と花見川との間の台地平面の広場に参集していたものと考えます。

いつの日にか、この古墳の祭祀が行われなくなった頃、祭壇に在った祭祀用具としての土器が近くの周溝に捨てられた(落ちた)のだと思います。

つづく

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