1 印旛沼堀割普請前の地形復元
この付近では印旛沼堀割普請によって地形が大幅に改変されています。
そのため、埋蔵文化財について考える時には、印旛沼堀割普請前の地形を復元して、それを前提にして、その意味を考える必要があります。
現在の地形が過去もあったと誤解すると、埋蔵文化財から本来得られるべき情報が得られなくなります。
1-1 現在の地形
南から北に向かう視角で、現在の地形を示します。
現在の地形
1-2 印旛沼堀割普請前の地形
このブログで検討してきた情報に基づいて印旛沼堀割普請前の地形イメージ図を作成し、宮附遺跡の位置と若干の説明を書きくわえました。
画像ソフトイラストレーターで「見よう見まね」で描いたもので、稚拙です。
しかし、描かないより、描いた方がよいという趣旨で描いてみました。
自分の地形イメージ(直感)をグラフィックで描いてくれる支援ソフトを探していますが、見つけていません。
印旛沼堀割普請前の地形
宮附遺跡は下総下位面(浅い谷)の端にあります。すぐ目の前が花見川源頭部であり、おそらく源頭部の泉の近くであり、その水を飲料水に使っていたと考えます。
近くには双子塚遺跡(下総上位面)、包蔵地(縄文)(下総下位面…この地形は後日説明します)があります。
なお、現在の北柏井の集落が乗っている花見川河岸段丘上には埋蔵文化財は見つかっていません。
花見川の南でも埋蔵文化財はほとんど台地の上であり、河岸段丘上に分布しません。
古代人(特に水田耕作前)にとっての好みが、高燥で日当たりがよく、見晴もよく、狩場に直結している台地縁にあったことがしのばれます。
そのような条件を優先して居住場所を決め、それが叶えば、水を得るための台地と谷底間の上下移動はいとわない気持ちがあったのだと思います。
2 宮附遺跡の概要
「宮附遺跡発掘調査報告」(1985年、東京電力千葉支店 千葉市遺跡調査会)(以下報告書と呼びます)によると、東京電力(株)による送電線鉄塔立替工事に際して昭和59年11月に鉄塔部1基の敷地について発掘調査したものです。
鉄塔1基の敷地を対象に発掘調査し、その結果を基に埋蔵文化財の指定が行われるというきめ細やかな作業があることに驚きました。
報告書に掲載された遺跡発掘風景
現在の同じ個所の風景
発掘調査後、ほとんど土地の状況は変化していないようです。
報告書では「所在する台地は下総(洪積)台地下位面にあたる。」と記述し、的確な地形面認識に基づいて調査を進めています。
この発掘調査にもとづいて、後日遺跡内容を精査しとりまとめた資料によると、この遺跡概要は次の通りです。
宮附遺跡概要(抜粋)
事項
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記述
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①年度及び発掘届の通し番号
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59-277
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②遺跡の名称(文化庁長官あて届出の名称を用いた)
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宮附遺跡
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③発掘場所
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千葉市柏井町1373-1
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④発掘の時期
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昭和59年11月15日~21日
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⑤調査主体者
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千葉市遺跡調査会
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⑥担当者
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安藤杜夫
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⑦調査面積
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70m2
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⑧遺跡の現況(発掘前)
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荒地
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⑨遺跡の種類
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包蔵地
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⑩調査の目的
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東京電力東総線建替
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⑪遺跡の立地(占地)
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花見川左岸の標高約23mの台地上
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⑫時代(時期の判明するもののみ記載)
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縄文時代、古墳時代
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⑬遺構の概要
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土壙1(時期不明9、溝1(時期不明)
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⑭出土遺物
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縄文土器(加曾利E、堀之内、加曾利B)、土師器(古墳)、陶器、磁器(中・近世)
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⑮遺跡の特徴(とくに特徴のあるもののみ記載)
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特になし
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⑯報告書刊行状況等
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昭和60年6月
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⑰遺物の保管場所
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千葉市教育委員会
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出典:「千葉県埋蔵文化財発掘調査抄報-昭和59年度-」(昭和61年3月、千葉県教育庁文化課)
以上
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