2013年3月7日木曜日

地峡地形が広域土地利用界として利用される

花見川流域地誌のメインキーワードは“地峡” その3

 歴史時代になると海は遠ざかりましたが、地峡地形は広域的な土地利用界として利用されました。
例えば小金牧と六方野、習志野演習場と下志津演習場です。

 小金牧と六方野の境は花見川地峡であった
(小金牧と六方野の分布は概略)

 小金牧は江戸幕府が軍馬育成のために設置した放牧場です。六方野は江戸時代の周辺村々の入会地です。

 花見川地峡を挟んで習志野演習場と下志津演習場がつくられた
 (演習場の分布は概略)

 習志野演習場と下志津演習場は明治になって作られました。
 戦争末期には地峡地形を本土決戦における米軍阻止ラインとして活用しようとしました。 花見川の西岸に本土決戦用戦車壕やトーチカがつくられ、陸軍によって地峡地形が米軍を迎え撃つ抵抗ラインとして位置付けられ活用される見込みとなりました。

 つづく

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