2013年3月8日金曜日

花見川地峡に放水路や運河を通そうとする

花見川流域地誌のメインキーワードは“地峡” その4

 1 地峡地形を放水路として活用しようとする
 人々は地峡地形を印旛沼干拓や洪水防御のための放水路として活用しようとし、江戸時代に2回(享保期・天明期印旛沼堀割普請)チャレンジしました。
そして、戦後印旛沼開発(水資源開発)でとうとう放水路建設を成功させました(ポンプ能力120トン/秒)。
現在、300トン/秒の洪水を流す計画(河川整備計画)が県によって策定されています。
さらに、利根川の放水路として1000トン/秒の洪水を流す計画(利根川水系河川整備方針)が国によって策定されていて、今後具体化することになっています。

 2 地峡地形を運河として活用しようとする
 欧米列強による東京湾封鎖に備えるため、幕府は東北→銚子→利根川→印旛沼→花見川地峡→東京湾という舟運ルートを確保するために、印旛沼堀割(享保期・天明期印旛沼堀割普請の跡)を活用して、運河を構築しようとしました。(天保期印旛沼堀割普請)
古代人も夢見たかもしれない、2つの海(香取の海=印旛沼と東京湾)を運河で結ぶという、地峡の特性を最大限活かした土木施設は結局完成しませんでした。
しかし、深掘りした峡谷地形は残り、戦後印旛沼開発で有効活用されました。

 利根川や霞ケ浦と東京湾を結ぶ花見川地峡を活用した運河構想は現在でも途絶えることなく社会の中で受け継がれています。(「運河再興の計画 房総・水の回廊構想」(三浦裕二・高橋裕・伊澤岬、1996、彰国社)

 花見川地峡を活用した放水路・運河建設

 この図は、花見川地峡の地勢的特徴を国策という観点からみると、過去にはこのように活用しようとし、現在はこのように活用し、将来はこのように活用したいということを表現しています。
 しかし、これらはすべて過去の世紀の発想です。
21世紀の発想は、花見川地峡の地勢を単に国策(治水、利水、水運)遂行という観点からのみ見る(活用しようとする)のではきわめて不十分です。
環境や地域づくりなど別の新たな視点も加えて花見川地峡のあり方を考えることが必要であることは論を待ちません。

 つづく

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