2015年5月18日月曜日

墨書土器文字「廓」の意味

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.133 墨書土器文字「廓」の意味

八千代市白幡前遺跡の2Dゾーンと2Eゾーンに出土分布中心を持つ墨書土器文字について検討を進めます。

6 2Dゾーンに出土中心を持つ文字の検討
●2Dゾーンに出土中心をもつ文字

2Dゾーン、2Eゾーンに出土中心を持つ文字

●廓の意味

次の辞書の意味のほぼそのままと考えてよいと思います。

かく クヮク【郭・廓】
〖名〗
① 都の外まわりを囲んだ土壁。転じて、ものの外まわり。また、囲まれた場所。くるわ。
※花柳春話(1878‐79)〈織田純一郎訳〉三一「青山郭(クヮク)を繞(めぐり)て連なり」 〔孟子‐公孫丑〕
『精選版 日本国語大辞典』 小学館

つまり、白幡前遺跡は奈良時代から平安時代にかけて軍事兵站・輸送基地であり、その基地の内外を区画する土塁とか塀が在ったものと考えます。

軍事基地ですから、外部とは画然と区画されていたはずです。

その外部から切り離された場所、囲まれた場所を「廓」(カク)と呼んだものと考えます。

墨書土器の文字「廓」(カク)は廓(つまり基地)の機能が全うされることを祈願したものと考えます。

廓の施設が災害で壊れたりしないこと、廓に集まる軍需物資が適切に保管され輸送されること、廓に到着し出発する将兵の間に争いがないことなど、廓(基地)機能の保全について祈願したのだと思います。

もっと具体的にイメージするならば、文字「廓」で基地の警備・施設管理グループが職務上の祈願をしたのだと思います。

なお、職務上の祈願をしたという把握は、墨書土器の機能を社会的に観察した時の捉えた方です。

実際は、基地(白幡前遺跡)に関わる人々は、職務上の祈願を墨書して自分のマイ祈願ツールをつくり、そのマイ祈願ツールで日常の様々な些細な祈願(病気を治したいとか、家族を増やしたいとか、おいしいものをたべたいとか…)もしていたと想像します。

墨書した文字は職務集団のスローガンみたいなものであると考えます。

墨書土器 廓のスケッチ例
「千葉県の歴史 資料編 古代 別冊出土文字資料集成」(千葉県発行)から引用

【メモ 中間考察】
これまでの検討で、出土数の多い文字はほとんど蝦夷戦争に関わる職務に関する祈願です。

1Aゾーン 「生」 兵卒 (戦闘で)戦死しないで生きる
1Bゾーン 「○」 高級将官 蝦夷戦争勝利
      「継」 高級将官 戦略基地機能の確保
      「立」 高級将官 戦地へ出発(いざ戦わん)
2Cゾーン 「大一」 陰陽師 祈願(武運…蝦夷戦争勝利)
2Dゾーン 「廓」 職務集団 基地の警備・施設管理

白幡前遺跡出土の墨書土器の文字は蝦夷戦争に関わる職務上の祈願がメインであることが明瞭に浮かび上がってきました。

基地業務を仕切る官人グループが墨書土器による祈願という風習を積極的に持ち込み、基地を通過する将兵や基地運営集団にその風習をひろめ、成員の意識向上を図ったと考えます。

現代サラリーマン社会で「自己啓発」というジャンルの活動がありますが、墨書土器による祈願は古代組織社会の自己啓発活動であると考えます。

つづく

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