1 はじめに -墨書土器多数出土文字の意味がほとんど解明されていない理由-
「八千代市白幡前遺跡-萱田地区埋蔵文化財調査報告書Ⅴ-本文編」(1991、住宅都市整備公団首都圏都市開発本部・財団法人千葉県文化財センター)に第404表萱田地区出土文字資料一覧という表があります。
この表をExcelに転記して全文字について遺跡の特性との関わりで分析しますので、順次記事にします。
Excelに転記して調整した出土文字資料一覧(部分)
この資料では文字と考えられるものだけを抽出していて、記号そのものは掲載していないようです。
遺跡の特性(蝦夷戦争における軍事兵站・輸送基地)をあぶりだすことができるメドが素人なりにつきましたので、詳細にわたる検討になりますが、記事にするという算段です。
白幡前遺跡出土文字の意味の検討は上記報告書をはじめとする既往専門書では極一部の文字しか検討されていません。
これまで検討されてきている文字の意味は次のようなものです。
1 人面墨書土器の文字(丈部人足召代)
2 地名に関わる文字(草田)
3 人名に関わる文字(丈部人足、赤足、得足)
4 寺院に関わる文字(大寺、寺坏)
白幡前遺跡の出土最大多数文字である「生」字ファミリーの文字の意味について検討なり解釈したものは、いくら探してもありません。
出土数が上位の文字は全てこれまでその意味の検討はありません。(見つけていません。)
●白幡前遺跡 出土数上位の文字(数値は出土数)
1位 生 71
2位 (大の字の下に一) 42
2位 廓 42
4位 継 37
5位 ○ 32
6位 入 23
7位 立 20
8位 廿 20
9位 饒 18
10位 圓 16
強いていえば出土数同率2位の「廓」について、「倉庫を意味すると思ったが3ゾーンだけでなく2Dゾーンなどからも出土するので、倉庫を意味するものではないと判った」という検討はあります。しかし、結局のところ「廓」の意味は不明のままです。
なぜ、これだけ特徴的な文字出土が観察出来るのに、その意味の検討の記述が無いのか、そのこと自体が不思議でした。
専門家が出土文字の意味に興味が無いわけはありませんから、主要文字の意味についての記述が全くない理由は、検討がされなかったのではなく、検討はしたけれど説得力ある意味の想定が出来なかったからであるといえます。
なぜ、白幡前遺跡出土文字の意味の想定ができないのか、その理由は明白です。
この遺跡に関わる全ての専門家が、この遺跡を「一般農業集落」として認識していて、蝦夷戦争における有数の軍事兵站・輸送基地とは考えていないからです。
白幡前遺跡遺跡を「一般農業集落」、その中の寺院を「村落内寺院」として一般論として捉えてしまっています。
そのような遺跡本質を捉えていない、ピントが合っていない認識からは出土文字の意味をイメージすることが出来なかったということだと考えます。
つづいて、ゾーン別にそのゾーンに出土中心をもつ文字の検討を行います。
2 1Aゾーンに出土中心を持つ文字の検討
●1Aゾーンに出土中心を持つ文字
日本語表記できない文字は次の通りです。
Xの表示
則天文字であり、「一生」「生きるが一番」「人」などの意味があるといわれています。
Yの表示
噴水が噴き出す、あるいは樹木が四方に繁るなどのイメージの湧く象形文字です。
(この象形文字の出自については引き続き検討し、判れば記事にします。)
Wの表示
↑も象形文字として扱われています。
(この象形文字の出自については引き続き検討し、判れば記事にします。)
●「生ファミリー」出土数
生の字の出土が71であり、その出土中心が1A、1Bであり、白幡前遺跡の墨書土器文字を代表する文字となっています。
近隣の遺跡を加えると生だけで163の出土になり、生の文字は白幡前遺跡だけでなく萱田地区全体の墨書土器文字の代表になります。
生の字は単独で使われるだけでなく、則天文字として、あるいは他の文字と結合しても使われています。
これらを「生ファミリー」と称して、それだけをピックアップしてみました。
「生ファミリー」出土数は白幡前遺跡では全部で102、萱田地区では201になります。
%で示すと、白幡前遺跡では18.3%、萱田地区では24.4%が出土文字に占める「生ファミリー」の割合です。
●生の意味
生の字の意味は多岐にわたり、国語大辞典(小学館)では「生」1文字の見出しが46に及び、それぞれの見出し毎に数項目の意味を説明しています。
この資料を参考にして、私は白幡前遺跡出土「生」の辞書的な言葉意味は次のようであると思いました。
いき…生きること。
いきる…命を保つ。生存する。死にそうな状態からのがれて助かる。
いく…命を保つ。生存する。死にそうな状態からのがれて助かる。
白幡前遺跡とそれを含む萱田地区は蝦夷戦争の軍事兵站・輸送基地であることから、多くの将兵がここを経由して戦地である陸奥国に向かった場所です。
その将兵の最大の本能的関心事は、蝦夷戦闘員との戦いで生きるか、死ぬかということで間違いないと思います。
飛んでくる矢に射ち抜かれたり、白兵戦で刃に倒れたりする状況をイメージして、そうならないで、生き残りたいという願望が最大のものであったことは確実です。
そうした将兵が、一時逗留した場所の日常生活における祈願で、自分の器を作る時(墨書する時)「生きたい」「生き残りたい」というような心情のもとに「生」(イク)の字を書くことは極自然なことであると思います。
「生」の字は、戦地に向かう将兵一般が使うポピュラーな祈願文字であったと考えます。
「生」の字は、この墨書土器に盛ったお供え物と引き替えに、私の生(生きること)を下さいということを意味します。
「生」の字は、特定の親族集団とか特定のプロジェクトグループに関わる文字ではなく、白幡前遺跡に一時逗留して戦地に向かう将兵がだれでも使ったものと考えます。
墨書行為は一人一人の将兵が実行したというよりも、上官が、あるいは基地専属の世話要員が行ったということも考えてよいと思います。
なお、作った自分の墨書土器を使って、日々祈願する内容は、当然のことながら生活のあらゆる事柄に及んだと思います。まだ戦地に行ってないのですから、「生き残りたい」だけではなかったと思います。
祈願の道具である墨書土器に書かれた「生」の字は、それを持つ人がこれから戦地に向かう将兵であることを自覚するための重要な記号であったとも考えます。
生を意識することで戦死の覚悟が無意識の内に形成され、より充実した戦闘員になれたのだと思います。
1Aゾーン、1Bゾーンは基地で働く人ではなく、移動将兵の逗留場所であると考えられますから、その場所から「生」の字が沢山出土することは、ゾーン機能の見立てと「生」字意味の見立ての双方がお互いにその確からしさを補強しあいます。
●提・堤の意味
提、堤、提生、生堤、堤X(則天文字)の意味について検討します。
提は提出の提と同じ次のような意味だと思います。
かかげる、かかげ示す。
提だけで、土器に入ったお供え物をかかげます、という意味になります。奉(タテマツル)(差上げる、献上する)と同じ意味だと考えます。
提生ならば、「命を掲げます」という意味になります。つまりその墨書土器に入れたお供えの食べ物を自分の命に見立て(命に替えて)神にささげるという意味です。それによって、本当の命を確実なものにするということです。
堤(テイ)は提(テイ)の混同だと思います。
貞(テイ)も恐らく提(テイ)の意味で使ったものと考えます。
●入の意味
入(ニュウ)は納入の入の意味で、おさめる、献ずるという意味になります。
提、奉と同義です。
●有の意味
所有の有と同じで、所有することの意味になります。
有で「神の所有物」を表すと考えます。
提、奉、入、有は同義だと思います。
●奉の意味
奉(タテマツル)(差上げる、献上する)であり、墨書土器に盛ったお供え物を神に差上げますから、祈願をかなえてくださいという意味の言葉です。
提、奉、入、有は同義だと思います。
●土垸の意味
垸はわん(埦)を意味するようですので、土垸(ドカン)で墨書土器そのものを表現すると考えます。
「この墨書土器は神にお供え物をして祈願する時に使う器(土垸)です」という思考を「土垸」で表現しているものと考えます。
広く考えれば、提、奉、入、有と同義です。
●Yの意味
未検討(今後検討予定)。
●Wの意味
1Bゾーンに○(則天文字)が多数出土しますので、そこで検討します。戦争勝利に関わることだと考えています。(次記事予定)
●富の意味
富(フ)でとみ、財貨、財産の意味になります。
富を守る、富を増やすために、この墨書土器にお供え物をしますから、神様よろしくということだと思います。
3ゾーンで饒、豊などと一緒に詳しく検討しますが、個人的な富というよりも、兵站基地全体の富、公的な富(=軍事物資)という意味の可能性が高いと考えます。
●大田の意味
大きい田を祈願する内容と考えます。個人が自分の広い田を望むという願望ではなく、兵站基地の田(兵站基地を支える田)を広くしたいという公共的な願望だと思います。
3ゾーンで検討する饒、豊などと一緒の言葉です。
●↑の意味
今後検討します。今は、矢(武器)の記号で、戦争勝利、武運長久という意味合いだと考えています。
●草の意味
2Bゾーン出土文字草田(カヤタ)=萱田(現存地名)と同じ意味だと考えます。祈願者が自分の居る場所を神に知らせたのだと思います。
墨書土器の文字実例 (2015.05.12追記)
八千代市白幡前遺跡1Aゾーンに出土中心をもつ墨書土器文字の実例
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