花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.140 八千代市白幡前遺跡から鍛冶遺物出土を知る
八千代市白幡前遺跡から鍛冶遺物が出土していることを知りましたのでメモしておきます。
1 鍛冶遺物出土情報記載報告書
「千葉県八千代市白幡前遺跡c地点-共同住宅建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書-」(2009、君塚克己・八千代市教育委員会)
2 鍛冶遺物出土場所
白幡前遺跡c地点の場所と鍛冶遺物出土ポイント
3 出土遺物
出土遺物は鞴羽口と鉄滓です。
出土遺物 鞴羽口と鉄滓
4 出土した竪穴住居跡の年代
報告書では鞴羽口と鉄滓が出土した2D住居址の年代を9世紀第4四半期~10世紀第1四半期であると想定しています。
5 白幡前遺跡から鍛冶遺物が出土した意義
白幡前遺跡は律令国家中央と戦地陸奥国の間にある最大の戦略中継基地であったと考えられます。
従って、白幡前遺跡あるいはその周辺に武器や馬具など鉄製品を作製あるいは補修する鍛冶遺構が必ずあったと考えます。
白幡前遺跡c地点の鍛冶遺物もそのような意義を有する鍛冶遺構存在を示すものであったと考えます。
白幡前遺跡と船越及び花見川水運で連絡する東京湾岸拠点である検見川台地直道遺跡でも鍛冶遺物が出土しています。
(2015.03.13記事「検見川台地の鍛冶遺物出土を知る」参照)
戦地陸奥国へ向かう将兵が立ち寄る兵站基地にはそれぞれ鍛冶施設があり、武器等の補修が行えるようになっていたものと考えます。
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