花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.125 八千代市白幡前遺跡 墨書土器の文字の意味
八千代市白幡前遺跡から826点の墨書土器が出土していて、出土件数が千葉県1位であり、全国的に見てもトップクラスの出土件数のようです。
そのほとんどが1文字の墨書土器ですが、その1文字の意味を考えるヒントとして多文字墨書土器の意味から学習を始めます。
「千葉県の歴史 通史編 古代2」(千葉県発行)では、多文字墨書土器の記載項目を検討し、その復原案を示しています。
多文字墨書土器の記載項目
「千葉県の歴史 通史編 古代2」(千葉県発行)から引用
多文字墨書の復原案
「千葉県の歴史 通史編 古代2」(千葉県発行)から引用
この検討から、八千代市白幡前遺跡の人面墨書土器(「丈部人足召代」<人面>)の意味は「丈部人足(身)召さるる代わり<人面>(に奉る)」であることがわかります。
八千代市白幡前遺跡の人面墨書土器
「千葉県の歴史 資料編 考古3(奈良・平安時代)」からスキャンした画像を調整
「丈部人足(はせつかべひとたり 墨書を書いた人名)の身体が病気(や死)に召される(招かれる)代わりに<人面>(疾病神、死神)に、この甕に入れた物(食べ物 疾病神・死神に対する賄賂)を奉ります(さしあげます)」という意味になります。
墨書土器が、病気や死を避けるために神にお供えをしたというまじない(信仰)の道具であったことがわかりました。
墨書土器とはお供え物を入れる容器であり、墨書とは祈願を表現しているのです。
なお、上記復原案では、人面と呼ばれる顔は疾病神・災厄神・死神の顔になります。
しかし悪意が充ちた顔でない様子から、丈部人足が自分の顔を自分の身体の代わりとして土器に描いたという解釈の方があっているかもしれません。
丈部(はせつかべ)及び丈という人名の墨書土器は近隣の権現後遺跡、北海道遺跡、村上込の内遺跡、高津新山遺跡、上谷遺跡などからも出土していて、印旛郡内に有力層としてつづいた「丈部(はせつかべ)」一族と考えられています。
八千代市白幡前遺跡の人面墨書土器出土地点
人面墨書土器の出土場所は中央貴族の接待施設と考えたH066総柱構造掘立柱建物の近くから出土していて、丈部人足は2Aゾーンの近くに住んでいた、中央貴族接待要員の人間(白幡前遺跡の集落では最高位クラス)であったと考えます。2015.04.29記事「八千代市白幡前遺跡 ハマグリを食った場所はどこか」参照
丈部人足は宴会に次ぐ宴会の日々を送り、酔いにまかせて人面墨書土器を書いたものと想像します。
集落の中でも上層の人間(動員する側の人間)は、文章を書けるという教養があり、このような多文字と人面を書いたと考えられます。墨や筆も自由に使える裕福な環境が存在します。多文字を書いたり、人面をかいてもだれからも咎められない特権を有していたのだと思います。
集落の中の一般の人間(動員される側の人間)は、1文字で祈願するのが一般的な風習であったのだと思います。
文字を書いて祈願するという行為そのものがとてつもなく高度で文化的であり、1文字で十分だったのだと思います。
また、教養の程度が1文字(それも図像として知っている文字)を書くのがやっとだったのだと思います。
さらに、墨や筆が自由にならなかったことは十分に想像できます。
このように考えると、1文字の墨書土器の意味も、多文字墨書土器と同じように考えることができます。
1文字墨書土器は身に係る災厄や死を避けるためのまじない(信仰)のための、お供え物を入れる容器であり、文字はその祈願の言葉であったと考えることができます。
そして、1文字の墨書土器には動員される側の人間の祈願の様子が色濃く反映されていることになります。
つづく
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