2016年1月30日土曜日

鳴神山遺跡 紡錘車・墨書文字・銙帯出土の関係

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.276 鳴神山遺跡 紡錘車・墨書文字・銙帯出土の関係

鳴神山遺跡の紡錘車出土と共伴墨書・刻書文字の関係を2016.01.29記事「鳴神山遺跡 紡錘車出土と共伴墨書・刻書文字」で検討しました。

この記事で紡錘車を使った活動と「山本」集団、「久弥良」(クビラ)集団の関係を明らかにしました。

この検討を行う中で、鳴神山遺跡出土銙帯4点のうち、出土場所が判明している3点は全て紡錘車出土竪穴住居であることを知りました。

早速銙帯出土竪穴住居の特性を詳しく知るという視点とその竪穴住居の意義を知るという2つの視点から紡錘車・墨書文字・銙帯情報をオーバーレイして分析して見ます。

鳴神山遺跡出土銙帯4点の情報は次の通りです。

銙帯出土遺構

この情報を2016.01.29記事「鳴神山遺跡 紡錘車出土と共伴墨書・刻書文字」で作成した「紡錘車と共伴出土する墨書・刻書文字」図面にオーバーレイしてみます。

紡錘車・文字・銙帯情報オーバーレイ 8世紀第1四半期

蝦夷戦争準備時代

銙帯は出土しません。

紡錘車・文字・銙帯情報オーバーレイ 8世紀第2四半期

蝦夷戦争準備時代

掘立柱建物群の近くで銙帯が出土します。共伴する墨書土器文字の意味を理解することができません。

紡錘車と銙帯出土が共伴したということは、銙帯を身に着けてこの集落の活動を指導する立場にある官人の生活と、紡錘車による製糸活動が重なっているということです。

紡錘車を使った活動を官人(の家族)が先頭に立って行っていた状況を思い浮かべることができます。

紡錘車・文字・銙帯情報オーバーレイ 8世紀第3四半期

蝦夷戦争準備時代

もう一か所の掘立柱建物群の近くからも銙帯が出土します。

この遺構からは「山本、山本山本、子山本、丈」の文字が出土しています。

「山本」という耕地管理的集団が紡錘車を使った活動を行い、その集団に官人が存在していて、その集団が「丈」つまり「丈部」氏族であったことを全てつながりとして思考することが可能です。

この時代の鳴神山遺跡の支配者「丈部」(ハセツカベ)一族が官人という律令国家官僚体制の末端に位置していて、その集団が耕地を管理し(山本)、かつ紡錘活動の先頭に立っていたという戦時下の状況が浮かび上がります。


紡錘車・文字・銙帯情報オーバーレイ 8世紀第4四半期

蝦夷戦争時代

「781(天応元)年1月、下総国印播郡の大領の丈部直牛養は、軍粮を差し出した功績により外従五位下を授けられている。」(千葉県の歴史通史編古代2)という記述の人物丈部直牛養(ハセツカベノアタイウシカイ)が軍粮調達したメイン根拠地域が奥印旛浦地域であると考えています。

まさにその時代、その地域において、一つの重要開発地(軍事兵站基地鳴神山遺跡)において丈部氏族が「山本」として耕地開発の元締めとなり、銙帯を着帯した官人が先頭に活動し、竪穴住居内ではその家族が紡錘車を回していた様子が上記図から読み取れます。


紡錘車・文字・銙帯情報オーバーレイ 9世紀第1四半期

動員解除・戦後時代

銙帯出土はありません。

紡錘車・文字・銙帯情報オーバーレイ 9世紀第2四半期

動員解除・戦後時代

絹糸生産の可能性がある鉄製紡錘車3つを含め紡錘車合計3つと「久弥良」(クビラ)文字が出土する竪穴住居のすぐ近くから紡錘車・銙帯・「益ヵ、太ヵ、大、長、冨廾」が共伴出土します。

この竪穴住居の近くには掘立柱建物が3棟出土しています。

集落が国家による戦争動員とは無縁となって、経済発展がピークの時期に銙帯が出土することから、銙帯を着帯した官人は国家官僚機構の末端というニュアンスよりも、官位を金で手に入れて権威を増した地元リーダーというニュアンスを感じます。

共伴する文字「大」は「大」集団を意味すると考えます。「長」はオサと読み、つまりリーダーのことだと思います。「冨廾」は豊かなつづら(財産となる被服をつづらに沢山蓄えたい)という意味であると考えます。

これらの情報を並べると、「大」集団のリーダー(長)が銙帯を着帯した官人で権威があり、被服倉庫の財産も管理していて、その家族は紡錘車を使った活動を行っていたということになります。

「大」集団の下位に「久弥良」(クビラ)集団が存在していたと考えます。


紡錘車・文字・銙帯情報オーバーレイ 9世紀第3四半期

動員解除・戦後時代

「大」集団のリーダー(長)が官人であると考えました。

その官人と丈部氏族との関係は現時点で不明です。

丈部氏族が動員解除・戦後時代(9世紀)も相変わらず鳴神山遺跡のトップ支配層であり、「大」集団をはじめとする各集団を全て配下においていたのかどうか、もう少しデータを分析すれば自分なりにイメージを持つことができると思います。

紡錘車・文字・銙帯情報オーバーレイ 9世紀第4四半期

動員解除・戦後時代

銙帯出土はありません。

0 件のコメント:

コメントを投稿