2016年3月6日日曜日

2016.03.05 活動日誌

奈良時代・平安時代を対象にして、西根遺跡と船尾白幡遺跡を一体のものとして検討を進めています。

船尾白幡遺跡に居住地があり、戸神川谷津は船尾白幡遺跡集落が水田耕作地、ミナト、祭祀の場等として利用していたことを前提に検討を進めています。

さて、ふと次のようなことに気が付きました。

縄文時代については、西根遺跡と船尾白幡遺跡の一体的検討はしていなかったことに気が付いたのです。

西根遺跡の縄文時代遺構については2014.09.26記事「西根遺跡について(資料閲覧前考察)」など多数記事で既に検討しています。

しかし、船尾白幡遺跡の縄文時代遺構・遺物についてはまだ報告書を読んでいませんでした。

ところが、今自分の目の前に船尾白幡遺跡の報告書2冊があります。

気持ちを抑えられないで、結局縄文時代の記述についてざっと目を通しました。

次のような記述があり、西根遺跡縄文時代遺構・遺物の検討のために、重要な情報を見つけることができました。

船尾白幡遺跡発掘調査報告書(平成17年3月)の縄文時代に関する記述

西根遺跡から出土する多量の縄文土器のよりどころとなるような規模の集落は船尾白幡遺跡にはなかったという情報です。

従って、西根遺跡から出土する多量の縄文土器は近隣集落ではない場所から運ばれてきた可能性が高くなりました。

西根遺跡は船尾白幡遺跡集落の土器捨て場ではないということになりそうです。

西根遺跡の報告書では次のような記述をしています。

西根遺跡発掘調査報告書(平成17年3月)の縄文時代に関する記述

針供養のように不用土器を置いた(廃棄した)という考察になっています。

しかし、近隣に不用土器を生み出すような集落がないので、この考察はいただけないと考えます。

2014.09.26記事「西根遺跡について(資料閲覧前考察)」で考察した可能性の検討が、方向としては間違っていないという感触をもつことができました。

西根遺跡出土土器の意義の検討(2014.09.26)

参考

西根遺跡の縄文土器集中出土地点
「印西市西根遺跡 -県道船橋印西線埋蔵文化財調査報告書-」(平成17年3月、独立行政法人都市再生機構千葉地域支社千葉ニュータウン事業本部・財団法人千葉県文化財センター)から引用

西根遺跡の縄文土器出土状況
「印西市西根遺跡 -県道船橋印西線埋蔵文化財調査報告書-」(平成17年3月、独立行政法人都市再生機構千葉地域支社千葉ニュータウン事業本部・財団法人千葉県文化財センター)から引用

縄文時代の西根遺跡は交易上の拠点であり、その施設管理は船尾白幡遺跡の住民が行っていたかもしれませんが、その機能は印旛浦全体に関わるようなものであり、土器は印旛浦全体から持ち込まれたものかもしれないと空想しました。

いつか詳しく検討してみたいと思います。




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