花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.311 船尾白幡遺跡 鉄鏃と刀子
船尾白幡遺跡の鉄鏃と刀子の出土状況を見てみました。
鉄鏃と刀子は武器です。
鉄鏃は攻撃的な武器です。
刀子は防御も兼ねた武器であると考えます。
刀子は万能道具として用いられたと説明される場合が多いですが、鳴神山遺跡の出土状況から古代下総では武器としての意義が大変強いような感触を持っています。
1 鉄鏃の出土状況
鉄鏃の時期別出土状況を竪穴住居軒数と対比しながらみると次のようになります。
竪穴住居軒数と鉄鏃出土数
9世紀第1四半期の出土がなく、9世紀第2四半期と第3四半期の出土が多いのが特徴です。
蝦夷戦争が終了して動員解除・徴発解除直後の9世紀第1四半期には鉄鏃の必要性、つまり武器を必要とする治安悪化に対する対応が少なかったけれでも、9世紀第2四半期、第3四半期には武器を必要とした様子を読み取ることができます。
参考に鳴神山遺跡の同様のグラフを示すと次のようになります。
参考 鳴神山遺跡の竪穴住居軒数と鉄鏃出土数(サンプル調査)
船尾白幡遺跡の鉄鏃増加時期・パターンは鳴神山遺跡と類似していると考えます。
次に鉄鏃の出土状況を分布図で示します。
船尾白幡遺跡 鉄鏃出土状況
鉄鏃出土が集中するのは、DゾーンとFゾーンです。
Dゾーンは銙帯が出土していて政治的中枢部と考えられます。
また紡錘車出土も集中するので集落資産が集積していると考えられます。
したがって、Dゾーン付近に鉄鏃が集まることは政治的・経済的な直接防衛措置として理解できます。
Fゾーンはこれまでの検討ではまだその性格がつかめていませんが、北側からこの船尾白幡遺跡に侵略圧があり、それに対する防衛の可能性があることをメモしておきます。
参考 船尾白幡遺跡紡錘車出土状況
2 刀子の出土状況
刀子の時期別出土状況を竪穴住居軒数と対比しながらみると次のようになります。
竪穴住居軒数と刀子出土数
鉄鏃と同様に、竪穴住居軒数の消長パターンと比べて、9世紀第2四半期と第3四半期の刀子出土数が多いことが読み取れます。
船尾白幡遺跡でも、9世紀第2四半期と第3四半期の集落隆盛期には刀子を必要とした治安悪化状況が存在したものと考えます。
参考 鳴神山遺跡の竪穴住居軒数と刀子出土数(サンプル調査)
刀子出土パターンは船尾白幡遺跡と鳴神山遺跡と大変類似しています。
次に刀子の出土状況を分布図で示します。
船尾白幡遺跡 刀子出土状況
鉄鏃よりもより広範な遺構から出土していますから、攻撃的な鉄鏃はそれなりの訓練を受けた人間が使い、刀子はそれよりも多くの人が使っていたと考えます。
Dゾーン、Fゾーンに出土が集中するだけでなく、Cゾーンにも出土が集中します。
Cゾーン付近の発掘区域が偏在的であるため円満なイメージを持つことができませんが、非発掘域に竪穴住居や掘立柱建物の集中域(資産の集中域)が存在していて、その防衛の意味があるかもしれません。
また既存集落に地続きとなるIゾーンやHゾーンに奴婢や俘囚などが逃亡しないようにするための監視施設があったのかもしれません。(萱田遺跡群の白幡前遺跡でも類似の検討を行ったことがあります。)
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