2016年3月27日日曜日

西根遺跡出土馬形・人形はオシラサマか

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2016.03.26記事「船尾白幡遺跡における養蚕を示す墨書文字「子」「小」」で船尾白幡遺跡のメイン生業が養蚕である可能性を論じました。

そのように考えると、西根遺跡出土馬形・人形の意義を再考する必要が直ちに生まれます。

2016.03.05記事「西根遺跡出土馬形・人形の意義」で馬形・人形は疾病送り(疾病祓い)習俗であると考えました。

参考 西根遺跡出土馬形・人形
馬形と人形は直接重なって出土しました。

参考 馬形・人形出土ポイントと船尾白幡遺跡との位置関係

疾病送り(疾病祓い)習俗と考えた根拠(背景)は形代を河川で流すという一般習俗から想定したものです。

しかし、馬形・人形を(おそらく着物を着せて、草の舟に乗せて)流すという祭祀を行った人々(船尾白幡遺跡の住民)のメイン生業が養蚕であると気が付くと、その意義をオシラサマと結びつけて考えることが順当であると再考しました。

逆に、オシラサマと関連付けることができないという証拠を見つけることが困難になると考えます。

オシラサマの一般的意味は次のように説明されています。

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おしら‐さま【御白様】
〖名〗 (「さま」は接尾語) 東北地方で広く信仰されている家の神。神体は一尺(約三〇・三センチメートル)内外の木か竹の棒で、これに布を着せかさねる。「いたこ」と称する巫女が、両手に持って祭文(さいもん)を語り、この神を遊ばせるという。関東や中部地方では蚕神と考えられており、東京近県では馬に乗った女人像などを描いた掛け軸を、神体にする例が多い。おこないさま。おしらがみ。おしらぼとけ。
御白様〈国文学研究資料館蔵〉

『精選版 日本語国語大辞典』 小学館
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おしら‐さま【おしら様】
東北地方の民間で信仰する養蚕の神。男女一対の桑の木の偶像で、馬頭のもの、烏帽子を被ったものなどがある。いたこ(巫女)が祭る。おしらかみ。おしらぼとけ。

『広辞苑 第六版』 岩波書店
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オシラサマに馬が出てくる理由は養蚕が中国から伝わったとき、一緒に伝わった馬娘婚姻譚によるもとの考えられています。

養蚕とオシラサマ原型は切っても切れない関係にあり、現代の民俗学者が観察するオシラサマ信仰の源流は養蚕に行き着くと考えます。

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蚕【カイコ】

[中国]
カイコの原種は山野に自生する檞〘かい〙(カシ),櫟〘れき〙,柞〘さく〙(クヌギ)などの樹葉を食って繭をつくるもので,これを野蚕・山蚕・天蚕という。

山東省東部の山地ではこれを採取して繭綢〘けんちゆう〙をつくることが行われていた。古来,カイコの飼育と繭の採取とは女性の仕事とされ,《山海経〘せんがいきよう〙》海外北経に〈欧糸の野……一女子が跪〘ひざまず〙きて樹に拠って糸を欧〘は〙く〉とあり,カイコを女子に見たてている。

これを原形として《捜神記》に見える太古蚕馬の神話となる。

家に残された娘が,他郷に住む父を連れ帰れば妻になると家に飼う雄の馬に頼む。
馬は父を連れ戻ったが,娘と父は約束を守らず,馬を殺してその皮をはぐ。
馬の皮は娘を巻きこんで飛び去る。
数日して馬の皮と娘はクワの大木にとまってカイコに化し,巨大な繭が採れたという。

クワと女性のほかに馬が出るのは,カイコは胴が女体に,頭部が馬に似ているからだという。

それでカイコの神を女神として〈馬頭娘〉とも〈馬明菩薩〉とも称するようになった。

沢田 瑞穂

[日本]
《魏志倭人伝》に養蚕の記載があって,日本における養蚕の古さを示す。

古代の絹は貴族の独占物で,▶調の貢進のため農民は養蚕を強制され,《万葉集》にも〈たらちねの母が養う蚕の繭隠り〉の慣用句があるほどであったが,農村で広く行われるのは近世以後である。

この生産には多くの儀礼や民間信仰が伴い,雄略天皇の命令を聞き違えて〈蚕〘こ〙〉でなく〈児〘こ〙〉を集めた少子部蜾蠃〘ちいさこべのすがる〙の伝説もその一端である。

民間でこれを〈おこさま〉〈お姫様〉などと尊称するのは,養蚕起源譚〘たん〙のカイコの前身が女性であったことに基づく。

これには金色姫の話と馬娘婚姻譚との2系統がある。

前者は《御伽草子》その他にみえ,クワの木の空〘うつ〙ろ舟で日本に漂着した姫のしかばねがカイコとなった話で,まま母の奸計で遭遇した4度の危難により4回眠ると説明し,それぞれシシ(第1眠),タカ(2眠),フナ(3眠),ニワ(4眠)と呼ぶ。これは土地によって差異があるが,茨城県つくば市の蚕影山〘こかげさん〙神社はこの金色姫伝説を縁起とし全国の蚕影信仰のもととなっている。

後者は,中国の《捜神記》に由来するとされる馬と娘との婚姻譚で,夫婦となった娘がカイコとなって天から下り,またはカイコの神にまつられたとするもので,東北日本のオシラサマがその蚕神と伝え,クワの木で男女あるいは馬の顔をつけた棒をつくる。

正月にこの神をあそばせながら▶いたこはこの由来を説いた〈オシラ祭文〉を唱える。現在でも蚕種の包装紙や蚕種紙に馬の印を用いるのはこの説話に基づく。

繭の豊作を祈願する行事として農民の習俗のいちじるしいものに小正月の▶繭玉,蚕神の祭りである蚕日待などさまざまの習俗があり,屋根裏に蚕室を造るために民家の構造にも変化が現れ,二階造りが多くなった。

これらの点でカイコの飼養とその信仰とが農民生活に与えた変動はいちじるしいものがあった。

▶▶▶養蚕
佐々木 清光

『平凡社 改訂新版 世界大百科事典』 日立ソリューションズ

太字は引用者
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西根遺跡から出土した馬形・人形は養蚕の発展を祈願して、船尾白幡遺跡住民が戸神川で流した現代でいうオシラサマの原型であったと考えます。

オシラサマを川に流して養蚕発展を祈願するという祭祀(習俗)が8世紀9世紀頃船尾白幡遺跡(西根遺跡)にあったと考えます。

ここまでに見つけた船尾白幡遺跡の養蚕関連情報は次の通りです。

1 紡錘車・鎌・墨書文字「小」の集中出土域の存在(Dゾーン)(「小」=蚕)

2 Dゾーン近くの小字名が「白幡」(「白幡」=古代養蚕地名)

3 鎌・掘立柱建物・墨書文字「小」「子」の集中出土域の存在(Fゾーン)(「小」「子」=蚕)

4 Fゾーン出土「子」は掘立柱建物から出土(掘立柱建物=養蚕施設)

5 船尾白幡遺跡住民利用水域でオシラサマ出土(水辺における養蚕発展祈願祭祀)

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