2016年3月30日水曜日

戸神川で馬形・人形流しを行ったのは女性か

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.317 戸神川で馬形・人形流しを行ったのは女性か

2016.03.27記事「西根遺跡出土馬形・人形はオシラサマか」で西根遺跡出土馬形・人形が繭の豊作を祈願した水辺の祭祀であり、現代に伝わるオシラサマの原型みたいなものであると考察しました。

人形は女性、馬形は雄馬で中国から伝わった馬と娘の婚姻譚を背景とするオシラサマ流しであると考えました。

参考 西根遺跡出土馬形・人形

恐らく繭の豊作を願う集団のイベントであり、個人や1家族の行為ではないと思います。社会性のある活動だったに違いありません。

さて、このオシラサマ流しを行ったのは女性ではないかと空想します。

万葉集に次の歌があるように、養蚕は主に女性の仕事であったと考えます。

「たらつねの、母が養(かふ)ふ蚕(こ)の、繭(まよ)隠(ごも)り、隠(こも)れる妹(いも)を、見むよしもがも」(柿本人麻呂)

「たらちねの、母が飼(か)ふ蚕(こ)の、繭(まよ)隠(ごも)り、いぶせくもあるか、妹(いも)に逢(あ)はずして」(読み人知らず)

オシラサマ流しを行ったのが女性であると考えると、木の形に草や紙で編んだ着物を着せて飾り、それを草で編んだ舟に乗せて流すという行為がとても自然な行為として理解できます。

男ならばそのような繊細な行為はしないと思います。

なお、戸神川には投げ込まれた土器が沢山残っていますが、その土器投げ込みはおそらく男性だと思います。(戸神川水利や治水のための祭祀だったと考えています。)

また墨書土器「子」「小」の文字を書いたのも女性であったと空想します。

参考 船尾白幡遺跡 墨書文字「子」「小」出土状況

私は残念ながら、一般論として墨書土器を書いたり利用した人の男女比のイメージを持っていません。

やはり労働力や兵力としての意義の大きい成人男性が墨書土器と関わりが深いとは思いますが、深く考察したことはありません。

しかし、墨書土器「子」「小」の文字を書いて、それを利用したのは女性であった確率が高いのではないかと想像します。

そのように考えると、小の文字が「ハネ」をほとんど書かないで、まるで3頭の蚕のように見えてきて、女性の筆致であるように確信してしまいます。





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