鏡味完二の地名層序年表による地名型21について、順次千葉県小字を対象にして検索して検討しています。
この記事ではアガタについて、千葉県小字データベースを検索しましたのでその結果を記録します。
1 鏡味完二によるアガタの検討
鏡味完二(1981)「日本地名学(上)科学編」(東洋書林)(初版1957)ではアガタについて次のように記述しています。
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アガタの分布
(4) A・ngata
太古の住民は山地農民であったから,最初の水田はA・ngata,すなわち山腹の高所の水田であって,それが上田(アガタ)であるという名義説や,「吾が田」をA・ngataといったという説もあるが,その何れにせよ間もなく「領地」の意味で用いられたものであったらしい。
上古においては土地は皇領を除き,他は凡て諸氏族に分属していて,後日の県主という名やA・ngataという地名として伝承されてきたのである。
この地名の分布はTadokoroやSue・Haziよりは,余ほどその重心が東に移り,殆んど近畿中心に近くなっている。
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2 アガタの千葉県小字データベース検索結果
小字「アガタ」は次の3件抽出されました。
東金市下武射田 県(アガタ)
大網白里市金谷郷 県台(アガタダイ)
同 県森(アカタモリ)
大網白里市分は同じ大字にあり、県(アガタ)から派生した関連小字ですから、もともとの県(アガタ)開発は1カ所であると考えられます。
つまり、千葉県には県(アガタ)という地名型が2カ所残っていることが判明しました。
小字「アガタ」の分布
アガタ2カ所が太平洋岸に存在することに大いに注目します。
タドコロ、ミヤケでもタドコロは船橋市と睦沢町、ミヤケは茂原市で、合計3カ所のうち2カ所が太平洋岸でした。
歴史を大局的に観察したとき、東京湾側が最初に開拓され、その後太平洋岸が開拓されたことは間違いないと思います。
従って、「ミヤケ」開発、「タドコロ」開発、「アガタ」開発は東京湾側の土地がほぼ開発されてしまった後、新天地の太平洋岸に大和政権が国策のような形で、あるいは大和政権直結勢力が直営で実施した地域開発であると想像します。
ミヤケ・タドコロ・アガタはある時代の開発最前線の場所を記録している地名でもあると考えます。
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参考 「タドコロ」「ミヤケ」の分布
「タドコロ」「ミヤケ」の分布
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