1 鏡味完二による「~ベ(部)」の検討
鏡味完二(1981)「日本地名学(上)科学編」(東洋書林)(初版1957)では「~ベ(部)」について次のように記述しています。
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品部,部民,名代,子代の地名の中で最も個数の多いのは,Hase・Hazi・Hizi・Haso(土師・安師・埴師)の類で39例,それについで服部が25例・日置(部)が25例,Inbe・Nibe・Ibe(忌部・行部・丹部・印部・伊野部・一部・二部・仁(ニン)部・新(ニン)部・猪之部・伊部)が,22例・Osakabe(刑部・押部・坂部・長部)が21例などが多いものである。
下図はこれらの部民,品部,名代,子代の地名のうち,"~部"というもののみを,「5万分の1地形図」からとり出して作ったものである。
この図上でその分布の密度から,3つの部類の地域に分けられる。
最密地域は出雲から讃岐,阿波への線以東,敦賀,伊勢両湾頭を結んだ線以西,和歌山から松坂への線以北の地域である。
そして近畿の中央低地と等しく,丹波高原や中国山地地方にも多数分布することは,これらの地域の間には,当時にあっては今日みる程の文化的地域差がなく,殆んど一様な文化地域であったことを示しているものである。
次の分布の不連続は越後を含めた奥羽南境地方と,平戸,熊本,延岡を結ぶ線とにみられる。
以上のような3つの分布の段階によって示される様相は,ほぼ5世紀中葉における日本列島の文化の地域的配列の模様であるといえよう。
この地域区分は倭名鈔の郷名,"~部(ベ)"の地名の分布〔地図篇,Fig.51〕においても同様にいえる。
ベ(部)分布図
参考 ベ(部)分布図に引用者が説明情報追記
ベ(部)の分布(倭名鈔)
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2 ベ(部)の千葉県小字データベース検索結果
~ベ(部)について、古代部民に関わると考えられるものを小字及び大字について抽出しました。
見かけ上「~ベ(部)」に該当するものは約140抽出できますが、それが古代部民に関わる地名であるかどうかの判定は次の参考資料で部民に関わることが掲載されているものに限りました。
●~ベ(部)抽出の判定に使った資料
・「千葉県の歴史 通史編 古代2」(千葉県発行)「表3房総の部民」及び付録「古代房総三国の郡・郷・里の変遷と比定地一覧」
・「千葉県の歴史 資料編 古代」(千葉県発行)
・角川千葉県地名大辞典(1984)
小字は21件、大字は7件抽出できました。
その分布は次の通りです。
このうち和名抄で確認できる郷名の~ベ(部)地名と5個所で対応を見ることができました。
●ベ(部)地名で古代と現代の対応関係があるもの
【古代郷名】下総国香取郡磯々(イソベ)---【現代地名】 成田市磯部(イソベ)、栄町矢口字磯部(イソベ)
【古代郷名】下総国匝瑳郡日部(クサカベ)---【現代地名】 香取市府馬字日下部(クサカベ)
【古代郷名】下総国匝瑳郡田部(タベ)---【現代地名】 香取市田部(タベ)、香取市西田部(ニシタベ)、香取市田部字遠田部(トウタベ)、香取市竹之内東田部(トウタベ)
【古代郷名】下総国千葉郡三枝(サイクサ)---【現代地名】 千葉市稲毛区作草部町(サクサベチョウ)
【古代郡名】上総国長柄郡刑部(オサカベ)---【現代地名】長柄町刑部(オサカベ)
現代まで伝わった地名からみた、古代における品部、部民、名代、子代の地域開発分布が上記分布図ということになります。
なお、次の資料では、和名抄の郷名に「~ベ(部)」が全部で11確認できます。
参考
和名抄に見えるベ(部)地名の抜き書き
参考 和名類聚抄に見える「~部」地名 1
参考 和名類聚抄に見える「~部」地名 2
(この史料では下総国香取郡が欠落している)
余部(アマルベ)はこの検討における「~ベ(部)」地名には入らないと考えます。
意部(オフ)は字は部ですが、やはり「~べ(部)」地名には入らないと考えます。
上記史料で、郷名では房総3国に11の「~ベ(部)」地名が見えますから、それらの分布図を作成すれば、古代における品部、部民、名代、子代の地域開発状況を概観する貴重な情報になると考えます。
それが可能かどうか、次の記事で検討します。
現代まで伝わった地名からみた、古代における品部、部民、名代、子代の地域開発分布が上記分布図ということになります。
なお、次の資料では、和名抄の郷名に「~ベ(部)」が全部で11確認できます。
参考
和名抄に見えるベ(部)地名の抜き書き
参考 和名類聚抄に見える「~部」地名 1
参考 和名類聚抄に見える「~部」地名 2
(この史料では下総国香取郡が欠落している)
余部(アマルベ)はこの検討における「~ベ(部)」地名には入らないと考えます。
意部(オフ)は字は部ですが、やはり「~べ(部)」地名には入らないと考えます。
上記史料で、郷名では房総3国に11の「~ベ(部)」地名が見えますから、それらの分布図を作成すれば、古代における品部、部民、名代、子代の地域開発状況を概観する貴重な情報になると考えます。
それが可能かどうか、次の記事で検討します。
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