2016.05.05記事「千葉県最多小字名「大谷」の5系統(オオヤツ、オオサク、オオタニ、オオザワ、ダイサク)」から2016.05.11記事「小字ヤツ・サク群の検討でわかったこと」までの7編の記事でヤツ・サクの検討を行いました。
検討結果の趣旨は次の通りです。
ヤツ…農耕民が水田適地を表現した水田耕作技術用語である。千葉県全域に分布する。ヤツの当て字はほとんど「谷」「谷津」となった。
サク…狩猟民が狩猟適地を表現した狩猟技術用語である。千葉県全域に分布する。サクに当て字をする時点で、大かたの地域はその意味が判らなくなっていたので、「作」の当て字をする。狩猟民末裔が残っていた地域ではその意味が判っていたので「谷」の当て字をする。
ヤツは弥生時代以降に外来弥生人によって命名された地名、サクは縄文時代から存在していた地名で、先住縄文人から外来弥生人が引き継いだ地名であると考えました。
ヤツとサクがイメージしている谷地形の部位も、オオヤツ・オオサクを例にして次のポンチ絵に示したように、異なると考えました。
オオヤツがイメージしている場所
オオサクがイメージしている場所
ここまでの検討は大局的にみて間違いないところだと自信を深めています。
しかし、サクの語源についてこれまで「裂く」と説明していたのですが、その考えを訂正しますので、この記事で説明します。
サクを「裂く」とすると、動詞が技術用語になっていて、さらに地名になったように見えますので不自然です。この不自然さは以前からうすうす感じていました。
思考上の本当の転機となったのは、柳田國男(1934):地名と歴史、定本柳田國男集 第20巻に次のような文章が出ていて、サクとサコの類縁性が指摘されていて、早速サコの情報を調べたことによります。
参考 柳田國男のサクとサコに関する記述
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ホラといふ語の盛んに使はれて居るのは、東美濃から飛騨の益田川流域にかけてゞあり信州も南部には少しあるから、三河とは地域が繋がつて居る。
それが大分の間隔を置いて伊豆半島の南半部に、ごく普通に行はれて居るのを私は實験した。
クボといふ語は西國にも丸で無いとは言はれぬけれども、多いのはやはり此國以東の太平洋岸で、殊に東京の四周の僅かな土地が最も目につき、東へ進むと又無くなつてしまふのである。
東京近くでクボといふ地形は、其外側へ出ると多くはヤツ又はヤト、上總下總等ではサクといふ語が代りになつて居て、是は愛知縣には共に無いやうである。
サクは九州南部のサコと一つの語であらうと思ふが他の地方では是をハザマと謂ひ、現に大迫と書いて鹿兒島地方はオホサコ又はウーザコ、岩手縣では之をオハザマと謂つて居る。
ハザマは關東などでは全然耳にせぬ地名だが、其分布は存外に廣く、西は山口縣でも盛んに地名になつて居り、東北にも亦僅かだが大迫の如き例がある。
無論東北などのものはこちらが元でもあらうが、何にもせよ甲にあつて乙丙の地には無いといふ地名の幾つかゞ、こゝで又新しい組合せを見せて居るといふことは、所謂國内移民の動向を察する上に於て、獨りこの土地限りの史料とも言はれぬ位に大切な事實である。
柳田國男(1934):地名と歴史、定本柳田國男集 第20巻 から引用
太字は引用者
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柳田國男がサクとサコは同じ言葉であると論じているのですから、早速サコを調べてみました。
次のような情報を入手できました。
参考 サコに関する既存情報
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さこ【谷・迫】
〖名〗 山の尾根と尾根の間をいう。小さな谷。はざま。〔名語記(1275)〕
『精選版 日本国語大辞典』 小学館 から引用
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さこ 【迫】
山あいの小さな谷をいう。
岡山県以西の中国地方と九州地方に多い。
同様の語として千葉県などでは〈さく〉がある。
また〈狭間〘はざま〙〉も同様の意味の語である。
このような小さな谷に開かれた田が迫田であり,《俚言集覧》に〈美作〘みまさか〙にて山の尾と尾との間をさこと云ふ。其処に小水ありて田有をさこ田と云ふ〉とある。
迫田は,谷田,棚田と同様に,1枚1枚の耕地は零細であり,労働力の投下に比して収穫量はけっして多いものではなかった。
しかし,小さな谷々の湧水によって用水が確保でき,河川のはんらんなどの影響をうけることが少ないので,古代,中世では安定的な水田であった。
とくに中世では,小さな谷池が築かれるなどして,より安定した水田とされ,中世農民の経営と開発能力に適合的な耕地形態の一つであった。
なお,鹿児島県地方の迫はシラス台地に刻みこまれているため水もちが悪く,しかも降雨があると沃土が泥津波によって流されてしまいがちなので,同地方の迫田における生産力の上昇はとくに困難であった。
『平凡社 改訂新版 世界大百科事典』 日立ソリューションズ から引用
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サコは小さな谷という意味ですから、サコを分解すれば次のようなサとコになります。
既存情報に基づくサコの分解
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さ【狭】
〖語素〗 (名詞に付いて接頭語的に) そのものの幅が狭いことを表わす。「狭物(さもの)」「狭織(さおり)」など。
『精選版 日本国語大辞典』 小学館 から引用
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こ【処】
〖語素〗 名詞、代名詞に付いて、その場所を表わす。「ここ」「そこ」など。
『精選版 日本国語大辞典』 小学館 から引用
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サコと同じ考え方でサクを分解すると次のようになります。
既存情報によるサコ分解に基づくサクの分解
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さ【狭】
〖語素〗 (名詞に付いて接頭語的に) そのものの幅が狭いことを表わす。「狭物(さもの)」「狭織(さおり)」など。
『精選版 日本国語大辞典』 小学館 から引用
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く【処・所】
〖語素〗 名詞または、それに準ずるもの、動詞の連用形に付いて場所の意味を示す。「いづく」「こもりく」など。「みやこ」「いづこ」「そこ」などの「こ」、「おくか」「くぬか」「ありか」「すみか」などの「か」と同語源の語。
『精選版 日本国語大辞典』 小学館 から引用
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結局、サコの辞書や百科事典の説明を踏襲すると、サクも小さな谷という意味になります。
ここで次のような疑問が生じます。
サコ・サクが小さな谷の意味とすると、その小ささに着目した谷の最初の利用が何であったのか、わからなくなってしまうという疑問です。
現代でこそ、台地開析谷は狭くて、水田耕作にとっては不利な場所ですが、古代水田耕作にあっては、まったく正反対であり、当時の技術力における最適の場所です。
古代では、狭いが故に最適の水田開発地であったのです。
台地開析谷を小さい谷と命名したと考えるのは、技術力が高度化して広大な面積の水田開発を現実のものとした近世・近代・現代の人々だからであると思います。
古代の水田開発者が台地開析谷の特徴をその小ささに焦点を当てて表現することはあり得ないと考えます。
サコの辞書説明、百科事典説明は現代人がその意味をそのように理解しているという情報にすぎません。
サコの語源を説明しているとは到底考えられません。
従って、サコ・サクの語源は別のところに求めるべきであると考えます。
サコ・サクの語源をつぎのように考えます。
サコ・サクはサとコ、サとクに分解して次のように考えます。
サコの語源
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さ【矢・箭】
〖名〗 矢の古称か。
*万葉(8C後)一三・三三三〇「鮎を惜しみ 投ぐる左(サ)の 遠離り居て」
『精選版 日本国語大辞典』 小学館 から引用
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こ【処】
〖語素〗 名詞、代名詞に付いて、その場所を表わす。「ここ」「そこ」など。
『精選版 日本国語大辞典』 小学館 から引用
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サクの語源
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さ【矢・箭】
〖名〗 矢の古称か。
*万葉(8C後)一三・三三三〇「鮎を惜しみ 投ぐる左(サ)の 遠離り居て」
『精選版 日本国語大辞典』 小学館 から引用
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く【処・所】
〖語素〗 名詞または、それに準ずるもの、動詞の連用形に付いて場所の意味を示す。「いづく」「こもりく」など。「みやこ」「いづこ」「そこ」などの「こ」、「おくか」「くぬか」「ありか」「すみか」などの「か」と同語源の語。
『精選版 日本国語大辞典』 小学館 から引用
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サコ・サクとも同じ意味で、サ(矢)を射る場所という意味です。崖を利用した獣追い落とし猟で、狩猟民がとどめの矢を射る場所、つまり崖を意味すると考えます。
サ(矢)はサチ(幸)のサです。
サチ(幸)とは狩猟社会の根源的な生活能力を表したことばです。
そのサチ(幸)が生起する場所がサコ・サク(矢処)です。
サコ・サクは狩猟民(直接的には縄文人)の言葉であり、今後その意味をさらに深めて把握する必要がある、重要な言葉です。
地名サコ・サクからサチ(幸)概念を手づるにして、縄文社会の様子に切り込むことができると考えます。
参考 サチ
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さち【幸】
〖名〗
① 獲物をとるための道具。また、その道具のもつ霊力。
*古事記(712)上「火遠理命、其の兄火照命に、各佐知(サチ)を相易へて用ゐむと謂ひて」
② 漁や狩りの獲物の多いこと。また、その獲物。
*書紀(720)神代下(鴨脚本訓)「各、其の利(サチ)を得ず」
③ (形動) 都合のよいこと。さいわいであること。また、そのさま。しあわせ。幸福。
*続日本紀‐天応元年(781)四月一五日・宣命「凡人の子の福(さち)を蒙らまく欲りする事は、おやのためにとなも聞しめす」
*名語記(1275)六「人の身に、さち・さいわいといへるさち」
*元来①や②の意味で用いられ、情態性を表わす「さき(幸)」とは、関係ない語であった。しかし、「さち」を得られることが「さき」という情態につながることと、音声学上、第二音節の無声子音の調音点のわずかな違いをのぞけば、ほぼ同じ発音であることなどから、「さち」に③の意味が与えられるようになったと推定される。上代の文献には、狩りや漁に関係しない、純然たる③の意味の確例は見られない。
『精選版 日本国語大辞典』 小学館 から引用
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参考 サチの分解
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さ【矢・箭】
〖名〗 矢の古称か。
*万葉(8C後)一三・三三三〇「鮎を惜しみ 投ぐる左(サ)の 遠離り居て」
『精選版 日本国語大辞典』 小学館 から引用
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ち【霊】
〖語素〗 神や自然の霊の意で、神秘的な力を表わす。「みずち(水霊)」「のつち(野霊)」「いかずち(雷)」「おろち(大蛇)」。「わたつみ」「やまつみ」「ほほでみ」の「み」と同じ。
『精選版 日本国語大辞典』 小学館 から引用
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参考 サチと狩猟に関する折口信夫の記述
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未開野蛮の時代に於て、最幸福な、或は、或種の君たるべき資格ともなる筈の、祝福せられた威力の根元は、狩猟の能力であると考へられて居た。
私は、此威力の源になって居る外来魂は、さちと言ふ名であった事を主張して居るものである。
即、古くから用ゐられた語に、さつ矢・さつ弓・さち夫など言ふのがある。
此さちは、只今も残って居る方言、又は其背景をなして居る信仰に於ては、明らかに抽象的な能力、或はその能力の出所となるものを意味して居る様である。
普通、山ノ幸・海ノ幸といふ事は、山の猟・海の猟、或はそれに、祝福せられた、といふ形容がついた位に説かれて居るが、実は、山海の漁猟の、能力を意味する威力を表すのが、此語の古義であったと思ふ。
だから、その威力を享けた人が、山幸彦・海幸彦であったのだ。
折口信夫:原始信仰、折口信夫全集 第19巻 から引用
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