この記事の中で柳田國男が谷地形の地名について論じている著作物を引用しましたが、それに関連して、千葉県の谷地形関連小字の種類と出現数を整理してみましたので、参考までに記事にします。
次の表と図は千葉県小字データベースから予察的にカウントしたデータを整理したものです。
千葉県の谷地形関連小字の出現数(表)
千葉県の谷地形関連小字の出現数(グラフ)
この表は千葉県小字データベースで読みデータのあるもの、つまり原典(角川千葉県地名大辞典)でルビのあるものだけを対象としています。(残念ながら船橋市と習志野市のデータはルビがなく、全て抜けています。)
純粋小字とはこの表で取り上げた9つの小字名称としました。
関連小字とは純粋小字に別の言葉が付いたものを全て含みました。
ヤツが最も多く出現します。
ヤツの分布は次の通りです。
小字「ヤツ」の分布
ヤツは次の辞書情報にあるように狩猟民起源ではなく、農耕民起源の言葉であると考えています。
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やつ【谷】
〖名〗 たに。たにあいの地。特に鎌倉・下総(千葉県・茨城県)地方で用いる。やち。やと。⇨「やち(谷地)」の語誌。〔名語記(1275)〕
*十六夜日記(1279‐82頃)「忍びねはひきのやつなる郭公雲ゐに高くいつかなのらん」
『精選版 日本国語大辞典』 小学館 から引用
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やち【谷地・谷・野地】
〖名〗
① 湿地帯。低湿地。やと。やつ。
*俳諧・続猿蓑(1698)旅「そのかみは谷(ヤ)地なりけらし小夜碪〈公羽〉」
⑴東北方言では、普通名詞として、湿地帯を意味する。関東地方の「やと」「やつ」は、現在では「たに」と同義か。しかし、「や」は「四谷」「渋谷」など、固有名詞を構成する形態素としては存在するが、普通名詞としては使われない。
⑵アイヌ語に沼または泥を意味するヤチという語があるところから、地名に多く見られる「やち」「やと」「やつ」「や」がアイヌ語起源であるとの説(柳田国男)があった。
しかし、北海道の地名にこれらの語が使用されていないところから、むしろアイヌ語のヤチの方が日本語からの借用語ではないかと考えられている。
『精選版 日本国語大辞典』 小学館 から引用
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ヤツは次のように言葉を分解できると考えています。
ヤツの分解
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や【谷】
低湿地。また、谷あいになった地形。地名に残る。「雑司ヶ谷(ぞうしがや)」→やつ
『広辞苑 第六版』 岩波書店 から引用
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つ【津】
〖名〗
② 泉など、水の湧き出るところ。
*万葉(8C後)九・一七五九「鷲の住む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の その津(つ)の上に 率(あども)ひて 未通女壮士(をとめをとこ)の 行き集ひ」
『精選版 日本国語大辞典』 小学館 から引用
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つまり、ヤツとは水の豊かな湿地を意味していて、水田耕作適地を示している古代農耕技術用語であると考えます。
ヤツから派生した、あるいはヤツと兄弟関係にあると考えるヤト、ヤチは千葉県ではごく少数の出現にとどまります。
小字「ヤト」の分布
小字「ヤチ」の分布
サクは縄文人から弥生人が引き継いだ地名で、ヤツに次いで多数出現します。
小字「サク」の分布
柳田國男の文章に出てくるサコは千葉県では見つかりませんでした。
ヤツ、サクについで多いのはサワです。
小字「サワ」の分布
ヤツは水田耕作との関連で、サクは狩猟活動との関連で捉えることができますが、サワの語源がどこにあるのか、現状では未検討です。
なお、サワとタニは河川として空間を捉えている言葉かもしれないと予想しています。
ヤツやサクは空間を自分に引き寄せて、生産活動空間として表現している言葉、サワとタニは自然現象としての河川空間を表現している言葉という違いを予想します。
参考までに、河川名でその語尾に沢が付くものの分布図を鏡味完二が作成していて、その分布は東日本に偏っていると情報がありますので、参考に掲載します。
河川名の語尾 ~沢
クボも千葉県全域に出現します。
クボの検討も今後の課題ですが、ヤツ、サクなどと同じで、生産活動空間としての特性を表現している名称であると考えます。
小字「クボ」の分布
タニはサワとともに河川空間を表現しているものと予想します。
小字「タニ」の分布
ハザマ・ハサマが数は少なくなりますが、千葉県に出現します。
柳田國男は「ハザマは關東などでは全然耳にせぬ地名だが」と書いていますが、小字では千葉県に出現するということになります。
小字「ハザマ」の分布
ハザマも生産活動空間の特徴を表現したものと考えます。それが何であるか、今後の検討課題です。
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