縄文早期の井草式土器を観察しています。
この記事では井草式土器が出土する遺跡の分布をその前代の縄文草創期遺跡の分布と比較しながら観察します。
1 井草式土器出土遺跡
井草式土器出土遺跡
私家版千葉県遺跡データベース(旧ふさの国文化財ナビゲーションダウンロードデータから作成)で101レコードがヒットしました。実際には井草式土器が出土している遺跡で(発掘調査報告書には井草式土器が記載されている遺跡で)、データベースにはその旨が記載されていない遺跡がかなりあります。井草式土器出土遺跡のうち7割程度がデータベースに記載されているのではないかと、他の遺物例から、推察します。
101の遺跡はほとんどが台地に存在します。低地遺跡はありません。
次に示す草創期遺跡と井草式土器出土遺跡の分布は大略でよく類似します。
参考 草創期遺跡
私家版千葉県遺跡データベースでは11レコードがヒットしました。
2 井草式土器出土遺跡分布の特徴
井草式土器出土遺跡 下総台地拡大図
井草式土器出土遺跡が分布する場所の地形的特徴が、入り組んで細密に開析された谷津の最上流部と台地平坦部の境付近であることが観察できます。
入り組んで細密に開析された谷津だけが広がり台地面が少ない空間には遺跡が分布していません。
また、結果として隣接水系を跨ぐような場所に立地する場所が多くなっています。
井草式土器を使う縄文人が谷津と台地の双方の地形を必須としていたことがこの分布図から感得できます。遺跡と地形との関係を生業との関連から詳しく分析する価値があると考えます。
井草式土器出土遺跡の密集域が成田-芝山付近や四街道付近などに存在します。その付近が生活しやすい条件があった空間である可能性があり、今後その条件を検討することにします。
参考 草創期遺跡 下総台地拡大図
草創期遺跡立地場所が入り組んで細密に開析された谷津の最上流部と台地平坦部の境付近であることが観察できます。これから、井草式土器出土遺跡は草創期遺跡立地場所の特性をそのまま引き継いでいると推定できます。
草創期の生業や生活の仕方と井草式土器時代の生業や生活の仕方が似ていたと推察します。
3 遺跡数の変化
井草式土器出土遺跡遺跡数を旧石器時代遺跡数、草創期遺跡数と比較してみました。比較の指標は「遺跡数/100年(継続年数)」です。
学習における一種の柔軟体操みたいな思考です。
3-1 区分の継続年
縄文時代の絶対年代推定 一部
この図を参考に、縄文時代草創期の継続年数は4000年としました。
井草式土器の継続年数は1000年、500年、250年の3例を設定しました。
後期旧石器時代年数は15000年としました。
千葉県域 遺跡数と継続年数
3-2 遺跡数/100年(継続年数)
千葉県域 遺跡数/100年(継続年数)の数値
後期旧石器時代遺跡が6.0になるに対して、井草式土器遺跡は継続年1000年の場合10.1、500年の場合20.2、250年の場合40.4となります。
井草式土器遺跡の継続年数をどのようにとっても後期旧石器時代より値が大きくなりますから、井草式土器遺跡の時代の人口は後期旧石器時代よりはるかに多かったことがわかります。
一方、縄文草創期時代遺跡の値は0.5であり、後期旧石器時代と比べて1/12となり、異常に少なくなっています。
井草式土器遺跡と比較すると、井草式土器継続年数を1000年とした場合でも20倍の開きがあります。
この情報を次のように考え(仮説し)、その適否判断を今後の課題とします。
・後期旧石器時代→草創期時代→井草式時代と人口が増加することはあっても激減するような状況は無かった。
・土器発生頃は土器の利用が稀であり、普及していなかったので、その時期の遺跡数は土器出土を指標とするとほとんどカバーされない。(草創期遺跡数が極端に少ない理由)
・早期になると(井草式土器の時代になると)土器利用が一般化し、誰でもいつでも土器を使うようになるので、出土土器を指標にした遺跡数カバー率が向上する。
このように仮説すると、早期遺跡の中に、草創期土器が出土しないという理由だけのために、草創期遺跡が相当数含まれていると推定できます。
また、後期旧石器時代遺跡のなかに、土器が出土しないという理由だけのために、草創期遺跡が含まれている可能性が推定できます。
つまり縄文草創期遺跡は土器を指標にすると、その全体像の理解は10%以下であるということです。
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