2019年4月11日木曜日

大膳野南貝塚出土土器と較正年代グラフ

縄文土器学習 89 縄文土器較正年代グラフを使った学習 4

2019.03.31記事「縄文土器絶対年代推定」で作成した縄文土器較正年代グラフ(絶対年代グラフ)を様々な情報と対比させることによって縄文時代に関する基礎的な学習を行っています。
この記事では大膳野南貝塚出土土器と縄文土器較正年代グラフを対比させてみました。
参考 2017.02.03記事「大膳野南貝塚 出土土器形式リスト作成

1 大膳野南貝塚から出土した土器
千葉県あるいは下総地域からみれば大膳野南貝塚は点にしかすぎませんが、その点としての大膳野南貝塚から出土した土器形式を次図でピンクで示し、さらに炉穴あるいは竪穴住居から出土した土器形式を赤枠で囲ってみました。

大膳野南貝塚から出土した土器
草創期の土器出土はありませんが、早期はその前半の井草式土器などの出土していて、後半には炉穴群から野島式、茅山式土器が出土しています。その後前期から後期の加曽利B2式土器までは土器形式が連続して出土しています。
前期集落からは諸磯b式土器と浮島Ⅰ式、Ⅱ式が共伴して出土しています。
後期集落からは加曽利EⅣ式、称名寺式Ⅰ式・Ⅱ式、堀之内1式・2式、加曽利B1式・B2式が連続して出土しています。

2 感想
・点にしか過ぎない大膳野南貝塚が、早期後半から後期前半まで約5000年にわたって土器形式が連続出土する様子に驚きます。早期後半炉穴群、前期集落、後期集落が繰り返し営まれたことは飲み水の確保、薪の確保、海漁の利便、動物狩猟の利便、近隣集落との交通上の利便などの「定住が要請する要件」が満たされた場所であったことを示していると考えます。縄文人が定住したくなる場所の要件を大膳野南貝塚サイトが満たしていたことを示していると想定します。
・旧石器時代遺物は出土するのに草創期土器は大膳野南貝塚から出土しません。その理由の検討を今後行います。
・加曽利B2式土器を最後に後期後半と晩期の土器は一切出土しません。劇的といえる変化です。5000年ものあいだ利用されつづけた空間がほとんど利用されなくなった様子が感じられます。縄文社会がこの時期に劇的に変化したのかどうか、今後検討を深めます。なお弥生時代遺物は出土しています。

3 参考 大膳野南貝塚の場所と地形

大膳野南貝塚の位置

大膳野南貝塚の地形上の位置

4 参考 大膳野南貝塚学習中間とりまとめ

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