2019年9月10日火曜日

縄文時代列状陥し穴の事例(鎌ヶ谷市東野遺跡)

鎌ヶ谷市史上巻(改訂版)に東野遺跡の列状陥し穴が紹介されていて、珍しいと思いましたので興味をメモします。

1 東野遺跡列状陥し穴
金山落しの上流にあたる東野遺跡から陥し穴22基が列状に配置され発掘されています。
遺物など時期を推定する積極的な根拠がありませんが、調査者は縄文早期後半のものと考えていると記述されています。
鎌ヶ谷市史資料編Ⅰ(考古)ではこの陥し穴列はシカ捕獲用で、水を飲んでいるシカを斜面を追い上げて陥し穴で捕まえる方法が効率的であると書かれています。

列状陥し穴平面図
「鎌ヶ谷市史資料編Ⅰ(考古)」(鎌ヶ谷市)から引用

陥し穴平面・断面図例
「鎌ヶ谷市史資料編Ⅰ(考古)」(鎌ヶ谷市)から引用

東野遺跡全景写真
「鎌ヶ谷市史 上巻(改訂版)」(鎌ヶ谷市)から引用

2 類似列状陥し穴の例
千葉市内野第1遺跡から36基と42基の陥し穴列2条が発掘されています。(発掘調査報告書では「土壙」列)
時期は不明ですが、古墳時代前期住居に切られているので、それ以前であることだけ判っています。
台地から谷津谷底に下がる斜面の台地面に近い上部に設置されています。
台地面でシカを集めその群れを斜面に誘導して追い落とし、その時シカを大量に捕獲する装置であると考えました。谷底沖積地から鹿骨多数が出土していて、谷底の川の水を利用してシカ解体を行ったものと考えました。

内野第1遺跡陥し穴列 検討 1

内野第1遺跡陥し穴列 検討 2

ブログ「花見川流域を歩く 番外編」2015.04.16記事「千葉市内野第1遺跡 縄文時代遺構の土壙列に注目する
ブログ「花見川流域を歩く 番外編」2015.04.18記事「千葉市内野第1遺跡 縄文時代土壙列と地形
ブログ「花見川流域を歩く 番外編」2015.04.20記事「千葉市内野第1遺跡 縄文時代大規模落し穴シカ猟

3 東野遺跡列状陥し穴の地形
3-1 誤解を招く地形平面図
東野遺跡の範囲図を次に示します。
東野遺跡位置図
ちば情報マップ(埋蔵文化財包蔵地)から引用

東野遺跡位置図
上記の東野遺跡範囲図をGISにプロットしたものです。


東野遺跡位置図
東野遺跡範囲図の背景地図を旧版地形図(1/25000、大正年間測量)にしたものです。
この地図から東野遺跡は全域が斜面上にあり、台地平面はほとんど含まれていないことが判明します。陥し穴列は斜面上にあったと考えられます。

「鎌ヶ谷市史上巻(改訂版)」や「鎌ヶ谷市史資料編Ⅰ(考古)」に掲載されている陥し穴平面図では陥し穴は台地平面の縁に存在しているように見えてしまします。
これは錯覚です。
東野遺跡全景写真でわかる通り、発掘のためのある任意の平面まで削平し、その平面で陥し穴を発掘したものであると考えられます。その現場の平面図が図書に掲載されている平面図です。台地平面のように見える等高線の無い面は掘削平面であり、原地形とは無関係です。


東野遺跡の地形復元モデル

原地形を掘削して設定した任意の削平面から陥し穴を発掘したという事情はつぎの情報からも確認できます。
斜面から離れた陥し穴は浅く(つまり断面の上部がたくさん失われ)、斜面に近い陥し穴は深く(つまり断面の上部があまり失われていない)なっています。

図書掲載陥し穴列平面図は大きな誤解を招く図面です。

3-2 陥し穴利用方法
陥し穴列は、台地平面を追われたシカ群れが斜面を下ろうとしたとき、見えない位置でかつ台地縁直近斜面に位置していたと推定します。シカ追い込み猟で最も効率的に捕獲できる場所に陥し穴列が作られたと考えます。
図書記載では「水を飲んでいるシカを斜面を追い上げて陥し穴で捕まえる方法が効率的である」旨書かれています。しかし、シカがいつもいる場所とか効率的な追い込み方法とか陥し穴をできるだけ隠すとかの様々な理由から首肯できません。おそらく平面図から陥し穴列が台地縁の平面の上にあると錯覚したことが影響した思考であると想像します。

3-3 設置利用時期
東野遺跡も内野第1遺跡も陥し穴列の時代は不明です。東野遺跡では縄文早期後半であると調査者が推定しています。
陥し穴の形状が時期によって土器形状のように変化するならば時期がわかるのだと思います。しかし、シカを動けなくするという単純機能が実務的に求められる装置ですから果たしてその形状に時期変化があるのかどうか疑問が湧きます。
陥し穴列の作り方は時期変化があるかもしれません。(斜面地形を無視して直線状に作る例、斜面地形を利用して曲線状に作る例・・・内野第1遺跡の2つの例)

次のような事情からも時期が推定できるものであるかどうか、興味を持ちます。
1 掘削道具
多数の陥し穴を一斉に掘るのですから、掘削が効率的にできる道具が必要です。掘削道具の進化という点から時期を検討できないか。
2 シカ個体数の増加
台地面を周遊するシカ群れが多いからこそ陥し穴列を作ったものであると考えます。陥し穴列で多数シカを捕獲できるほどのシカが増えている時期から検討できないか。
3 社会の組織性
陥し穴列を作るためにはシカ群れ挙動の十分な観察による設置場所の選定、陥し穴を掘る多人数労働管理、他の生業を中断して行う多人数によるシカ追い込み猟実施、シカ解体・干し肉作成・皮干し等集約労働が必要で、高度な社会組織性が必須です。このような社会組織性の発達という観点から時期を検討できないか。

全くの素人考えですが、縄文後期晩期に人口が減り、貝塚も低調になった時期に獣骨出土が急増します。そのころにこの陥し穴列がつくられた可能性があるかどうか、興味を持ちます。

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