2019年9月18日水曜日

尖石縄文考古館観覧で生まれた感想

縄文土器学習 260

尖石縄文考古館観覧で生まれた感想のうち、千葉との対照に関するものをメモします。

千葉でよく見る縄文土器と、ここでみる縄文土器のデザインなどがかなり違いますが、その違いに関連した感想が次々と連続して生まれました。

以下の感想は千葉と長野の実物土器の対照分析ではありません。
千葉と長野の土器の違いを感じて生まれた一般論的感想です。
より正確に言えば、千葉の土器の特性をあぶり出す方法に関する感想です。
すべて知識虚弱の学習初心者の感想です。

1 千葉と長野の土器デザインの違いを知る方法
例えば縄文中期の地域社会盛期の千葉と長野の土器デザインの違いをある程度客観的に把握できる方法を知る必要があります。
問題
・展示施設の展示土器は珍品や美術的価値のあるものなどがメインで、展示土器から当時の平均的デザインを、特に一般素人は見つけることが困難。
・ある器種について、出土復元土器を全部並べて観察すれば「これが平均的デザインである」と定性的な直観を得ることができるに違いない。そのような平均的デザインの土器を知る方法を知りたい。(土器図鑑の挿図がそれであるかどうか?)

尖石縄文考古館展示風景

[以下、千葉の中期縄文土器は長野の中期縄文土器とくらべて「淡白」である、「装飾が少ない」という違いが本当にあると仮定した場合の感想]
2 千葉と長野の土器デザイン相違の理由
千葉と長野の土器デザインの違いは生業分野数の違いに起因しているのではないか。

千葉の生業…動物の狩猟、植物の採集、魚介類の獲得→より豊かな社会・より安定した社会
長野の生業…動物の狩猟、植物の採集→普通の豊かさの社会・普通の安定社会

千葉の生業にかかる時間・エネルギー…長時間・大
長野の生業にかかる時間・エネルギー…普通の時間・普通(魚介類の獲得の分だけ千葉より少ない。それが列島全体で普通である。)

千葉の社会組織性…強い(生業運営が高度である分、組織性を必要とする)
長野の社会組織性…普通(生業運営が普通である分、組織性も普通である)

千葉の土器作成にかける時間・エネルギー…時間をかけない(組織人による実務的作成、情念はあまり込めない)、エネルギーをあまりかけない
長野の土器作成にかける時間…普通の時間をかける(普通の縄文人による普通の作成、情念を込める)、エネルギーを惜しみなく投入する

千葉の深鉢デザインの役割…イボキサゴ汁によるうまみ成分で植物質食材を美味しく食べられるので、鍋(深鉢)デザインの役割が弱い(豪華な深鉢デザインでまずい食材をごまかす必要がない)。
長野の深鉢デザインの役割…うまみ成分(貝汁など海産物)がないので植物質食材がおいしくなく、それを鍋(深鉢)デザインの豪華さで補う必要がある。

尖石縄文考古館展示風景

3 千葉の加曽利EⅡ式頃(最盛期)とその前後の土器デザインの違いは2と類似している
(千葉だけの検討)
加曽利EⅡ式頃は社会の最盛期(人口急増期)で土器デザインは口縁部が平滑化して明らかに実利的・工業デザイン的になりました。その前後の時期は波状口縁や把手が付き縄文土器一般のデザインに近づきます。
狩猟・採集・漁労の3つの生業を組み合わせ、急増した人口を擁する高度な社会では組織性が発達し、土器作成もこなすべき多数作業の1つの実務作業になったと考えます。そこでは、情念の投影や過大な時間・エネルギーの投入は疎んじられたと考えられます。
人口急増期には集落の分村とそれに伴う各種縄張りの分割調整とか、生業地の新開発とか、衛生問題とか、環境破壊とか、交易ネットワークの再編成とか無数の社会問題が噴出したに違いありません。その新たな社会問題解決を意識すればするほど社会の在り方は組織的・実務的・生産効率的・技術開発的にならざるを得ません。そうした状況では土器づくりに情念を燃やすことは下火になると考えます。

尖石縄文考古館展示風景

4 千葉と長野の土器デザインの変異の程度の違い
千葉では土器作成が実務作業となり、大量生産され大量消費された。土器デザインに個人の情念がその場で直接投影されることは少なかった。(大量工業生産的)
長野では土器作成時に個人の情念が投影される割合が千葉より多かった。(一品手作り生産品的)
従って千葉のある集落から出る土器群のデザイン変異の幅より、長野のある集落から出る土器群のデザイン変異の幅の方が大きい。
この仮説が成り立つか?

尖石縄文考古館展示風景

5 同じ時間と人口を対象としたとき、千葉の方が長野より土器作成数が多い
千葉では廃用土器は定期的に土器塚や低地祭場(西根遺跡など)で祭祀的に破壊し堆積した例が発掘されています。きわめて多量の土器が出土します。
長野では多数土器出土例として「吹上パターン」などがあります。しかし土器数は限られたものです。
長野では千葉程には(同じ時間・人口で比較した時)土器がつくられなかったのではないかと想像します。
長野では情念を投影した土器がつくられ愛着があり丁寧に使われたに違いありません。千葉ではそれほどでもなかったと思います。逆に千葉では廃用土器を破壊する活動が重要であり、極端にいえば破壊する祭祀のために作られたとも想像します。
千葉より長野の方が土器作成数が少ないことを証明する方法を見つることがまず必要です。
もしこの想像が正しければ、長野が列島で普通であり、千葉が特異であるのだと思います。

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