2019年9月2日月曜日

中峠式土器出土遺跡ヒートマップの3Dモデル

縄文土器学習 251

鎌ヶ谷市郷土資料館展示阿玉台Ⅳ式深鉢形土器(根郷貝塚)の3Dモデルを作成しましたが、この土器をキッカケにして寄り道学習をしています。
この記事では中峠式土器の分布について資料を作成しました。

1 中峠式土器出土遺跡ヒートマップ

中峠式土器出土遺跡は千葉県で19遺跡あり、多くが根郷貝塚の近くに分布しています。この様子をヒートマップ3Dモデルを作成して直観的に把握できるようにしました。

根郷貝塚付近中峠式土器出土遺跡ヒートマップ ヒートマップ3Dモデル

中峠式土器の分布は他の土器形式と較べると明らかにローカルなものであり、土器形式としては成立しないという専門家説明もあります。
中峠式土器という様式を共有する地域社会が阿玉台式期の終わり頃鎌ヶ谷や市川付近にあったことはいえると思います。土器の様式が似ているということは生業のあり方なども似ていたと考えられます。

参考 千葉県中峠式土器出土遺跡ヒートマップ ヒートマップ3Dモデル

2 根郷貝塚付近の地形
根郷貝塚付近の中峠式土器出土遺跡分布を地形3Dモデルで見てみました。

根郷貝塚付近の中峠式土器出土遺跡分布 地形3Dモデル
いずれの遺跡も東京湾水系谷津の湾奥部台地上に位置しています。これらの遺跡(集落)から海岸線までの距離は改めて検討することにしますが、8㎞から10㎞程度は離れていたと考えられます。漁労に便利な海浜部に集落をつくらないでわざわざ片道2時間以上もかかり標高差も30m近くある場所に集落を構えた理由の検討は縄文社会のあり方を観察する上で重要な要素になると思います。
その理由の最大なものとして、漁労専業という分業的生業があり得ないため、漁労もおこなう、狩猟も行う、ドングリや各種植物の採集も行う・・・ためにはどうしても谷奥台地が好適だったのだと思います。飲料水の確保や燃料の確保という要素も大きかったと考えます。
谷奥に集落を構えることで、周辺と背後台地、下流の谷津、さらに下流の海の利用占用権(狩猟権、入会権、漁業権・・・)つまり空間的縄張りを確保できたと考えます。
貝塚集落が谷奥にあることから、漁労がどんなに盛んであっても、それが専業ではなかったことを推察することができます。

参考 根郷貝塚付近の地形 地形3Dモデル





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