2021年7月7日水曜日

有吉北貝塚北斜面貝層成立メカニズム 土はどこから

 縄文社会消長分析学習 110

発掘調査報告書掲載第2断面の詳細記述を良く読んで、第2断面から読み取れる貝層成立メカニズムを検討しました。そのなかで、貝層に含まれる土の起源や混貝土層・混土貝層の意義、純貝層の意義について作業仮説の候補となるようなイメージが湧いてきましたのでメモします。

1 第2断面


第2断面


第2断面写真


第2断面写真


第2断面位置

2 第2断面詳細記述に基づく貝層形成メカニズム検討


第2断面詳細記述に基づく貝層形成メカニズム検討

ア 谷底に薄く堆積する土層で、右岸側の地山から掘削して運搬してきて埋め土したものであると考えます。この時期は少し下流で廃用大型土器を破壊して大形土器片を配置した頃であると考えます。

イ 混貝土層が3層にわたって堆積しています。この混貝土層から土器やイノシシ頭骨などが出土しています。遺物が豊富です。土は右岸地山から掘削運搬してきて、この現場で貝(破砕貝など)と混ぜて埋め土したものと考えます。混貝土層により形成する地面は祭祀の場として利用されたものと考えます。

ウ 純貝層から顕著な遺物出土はないようです。純貝層はそれで地面を作るという意義よりも、大切なモノを覆うという機能が大きかったものと考えます。具体的にはイで行われた祭祀活動の場を保存(保全)するためにつくられた聖的な覆いだったと考えます。

エ 混土貝層と混貝土層による継続的反復埋め土が行われ、祭祀活動の場であったと考えます。材料の土は右岸地山から掘削運搬されたと考えます。

オ ア~エの期間に右岸地山から掘削運搬して埋め土された跡であると考えます。ア~エとオの境はガリー主流路の流心であると考えます。

カ、キ、ク ア~オの貝層形成が終わった後(ガリー流路が貝層・土層で充填された後)、新たにガリー侵食された跡であると考えられます。

ケ キの後に形成された後期貝塚です。

3 感想

この記事では煩雑になるので掲載しませんでしたが、右岸地山から土を掘削した跡が地形として確認できます。

有吉北貝塚集落の人々は単純に貝を貝塚に捨てたというのではなく、貝を破砕する作業、土を掘削運搬する作業、貝(破砕貝)と土を混ぜて新たな埋め立て素材(混土貝、混貝土)をつくり埋め立てする作業、土だけの掘削運搬埋め立て作業をしていたことになります。

混貝土層から遺物出土が多いことから、混貝土層埋め立てで作られる地面は特別の意味があり、祭祀の場として利用されたのかもしれません。

純貝層は聖的なモノや活動(祭祀の場)を保全保護して封印する役割があったのかもしれません。

これだけの大土木工事をしていたのですから、土木工事にかかる道具などの推定も根拠を持ってできる可能性があるかもしれません。

また、これだけの大土木工事の意義が果たしてガリー侵食による集落災害危機にだけ対応するものかどうか、検討を要すると思います。ガリー侵食以外に同根のもっと大きな危機(食糧危機)がせまっていたのかもしれません。ガリー浸食地形を充填するという大土木工事が終わるとともに集落が終焉してしまうことがヒントになるかもしれません。

ガリー侵食が発生するということは植物が使い尽くされて、裸地が広がっていたということです。燃料危機とか食糧危機がガリー侵食危機と同時に発生していたのかもしれません。

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