2021年7月20日火曜日

砂層が水成層であることを知ることの画期的意義

 縄文社会消長分析学習 115

有吉北貝塚北斜面貝層の砂層起源について学習しています。

1 砂層が水成層である証拠(材料)

ア 層相区分線から水成層であると見える。(断面図観察)

少なくとも崩落物には見られない区分線です。崩落物ならその堆積物が作る地形斜面は安息角による角度となり、もっと急なものになるはずです。層相区分線も必ずもっと急になります。他の断面でも砂層の層相区分線は水平に近いものばかりです。


断面図例

イ 砂層の層相が水成層であるように観察できる(写真観察)

崩落層とするならば砂層ではなくローム中心の土層がメインとなるはずです。台地斜面に下総層群露頭はありません。しかし砂層と土層が混じることのない純粋砂層として存在していることは、それだけで砂層が水成であることを物語っています。

砂層は写真でみると締まっています。マッシブです。混ざりものがないように見えます。要するに粒径が揃っていて流水の流速変化により粒径選別されて沈降した結果のように見えます。


砂層の写真 例

ウ 砂層上限高度が右岸リッジ標高を越えない

砂層上限高度が右岸リッジ標高とほぼ同じであり、砂層が箱形地形に充満した懸濁流起源であることを強く支持しています。


砂層上限高度と右岸リッジ標高との関係

ア、イ、ウから、ガリー侵食谷頭から流れでた懸濁流は沈砂池で砂だけを沈降させ、水とより細かい懸濁物だけが流出するモデルと同じように、砂層を堆積させたと考えることができます。

2 砂層が水成であることの画期的意義

ア 砂層の起源がガリー侵食によることを証明できる

砂層が水成であると考えると、谷頭部でのガリー侵食が発生し、その侵食された物質(下総層群やローム層・表土など)が濁流となって流下し、箱形地形下半部で砂だけ沈降させたと考えることができます。

つまり、ガリー侵食の実在を物質的に証明できます。また砂層の存在様子から、ガリー侵食が突然発生したことも証明できます。


北斜面貝層 貝層形成直前の様子

イ ガリー侵食が混貝土層の形成を機に治まった(止んだ)ことを理解できる

砂層と混貝土層がインターフィンガーして混じり合い、同時異相になっているように観察できるところが多く見られます。つまり砂層形成と混貝土層形成(貝塚の開始)がオーバーラップしていた時期が存在すると考えられます。


砂層と混貝土層が同時異相のように見える断面

砂層の上部に土層が乗る断面が多く、砂層形成後、その発達が止んだ時期の存在を確認できます。ガリー侵食が治まり(止まり)砂層が時々水没したり侵食されたりすることが完全になくなったので、その結果斜面上部からの崩落土が堆積するようになり土層が出来たと考えられます。

砂層(及び土層)の上には全ての断面で混貝土層が乗ります。

以上の情報から、ガリー侵食の停止(砂層発達の停止)と混貝土層の形成が軌を一にしていることが判明しました。

次のような因果関係を有力な仮説として持つことができます。

●突然ガリー侵食がはじまり集落立地上の危機が発生する。

●集落では、貝をばら撒くなど(混貝土層を形成するなど)の幾つかの(現代から見ると防災工学的意義のある)施策を実施する。

●結果としてガリー侵食は治まる。その現場は箱形地形を貝層(混貝土層、混土貝層、純貝層)でほぼ完全に充填した北斜面貝層として残置する。

3 感想

砂層を斜面上部からの崩落物と誤認識している限り、北斜面貝層がガリー侵食防止工事遺跡であるという物事の本質を見抜くことは困難だと感じます。

北斜面貝層がガリー侵食防止工事遺跡であると判れば、何故ガリー侵食が発生したのかという次の大学習テーマに進むことができます。気候変動、人口急増、自然破壊などをキーワードとする縄文社会消長学習に進める可能性も生まれます。

さらには北斜面貝層形成終了とともに集落消滅したことの意味にもせまることが可能になります。

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