2021年9月28日火曜日

縄文時代と鳥

 突然ですが縄文時代と鳥との関係について自分の興味が深まっていますのでメモします。

1 縄文出土物と鳥(空想)

以前から縄文時代出土物に鳥イメージを天真爛漫に投影してその思考を楽しむことが多くありました。


イナウと鳥に関する空想

2018.08.20記事「縄文後期イナウ似木製品に関する考察

●棒状木製品と水鳥に関する空想


飛翔する水鳥の形状


飛翔する水鳥の首から頭部にかけての形状区分


雷下遺跡出土棒状木製品アと水鳥形状区分


亀田泥炭遺跡出土棒状木製品アと水鳥形状区分


渋谷貝塚出土棒状木製品アと水鳥形状区分

2019.06.10記事「雷下遺跡等3遺跡から出土した棒状木製品に関する鳥形作業仮説


鳥をイメージしていると空想した舟形土器

2019.05.13記事「阿玉台式土器 注口付舟形鉢形土器(ヲサル山遺跡出土) 展示3Dモデル

2 縄文時代と鳥に関するある図書の記述

土偶に関連して学習している設楽博己著「顔の考古学 異形の精神史」(2021、吉川弘文館)の中で、弥生時代の鳥信仰に関連した次のような記述を見つけました。

「鹿にしても鳥にしても、縄文時代に信仰の対象ではなかつた。すくなくとも好んで土製品や絵画の材料にされることはなかつた。鹿や鳥の絵は弥生時代になるとにわかに増えるのに加えて、それらが稲作と結びついているところからすれば、この思想は大陸から農耕とともにもたらされたと考えるのが妥当であろう。縄文時代にはなかつた土偶の頭頂部の隆起帯は、こうした鳥の信仰によって縄文時代の土偶が変化したことを物語る。」

鳥が縄文時代に信仰の対象ではなかったと断言されているところに大いにショックを受けました。自分がこれまで鳥を縄文遺物に投影して思考してきたことが全面否定されたと感じたからです。

この図書は最初つまみ食い的に縄文土偶の知識を入手し、あとは軽く流して読めばよいとタカをくくっていました。ところが、読むうちにその内容の重要性・重大性に気が付き、すっかり設楽博己ファンになっていたので、縄文時代鳥信仰否定は大ショックでした。

また、この頃Twitter美華さんが次のようなツィートをされて、自分の縄文の鳥に関する問題意識が否が応でも高まりました。

「弥生時代

農耕の影響や外来の影響はあれど

鳥を神聖視し、後の神道への影響にまで続く

縄文人は鳥にどんな概念を持っていたか.

鳥、食べてはいるんですよね

宗教観や死生観にどんな変化があったか

鳥を どう見ていたか...

凄く気になる...

弥生時代 鳥の格好にも見えるシャーマン(写真)」美華さん2021.09.07ツィート引用

3 鳥との関係が確実視される縄文出土物

そんな中で自分が鳥との関係が確実視されている縄文出土物を既に観察していたことに偶然気が付きました。


鳥形突起

ブログ記事も書いていて、3Dモデルを作成しいろいろと感想をメモしています。

2021.04.01「千葉市動物公園に展示されている鳥形突起(縄文後期初頭)

この観察を思い出し「鳥は縄文時代には信仰の対象ではなかった。」という断言をそのまま無批判的に受け入れる必要はないことに気が付きました。この断言が正しいという保証は無いことに気が付きました。むしろ時期や地域を限定すれば信仰の対象であったからこそその遺物が出土していると考えるようになりました。

このような経緯があり、縄文時代と鳥との関係を継続的に、細々になるかもしれませんが、学習していくことにします。

「1縄文出土物と鳥(空想)」で列挙した空想がどれだけ間違っているのか、あるいは合っているのか、そのおおよその評価ができる程度まで学習を深めたいとおもいます。

4 縄文時代と鳥

web検索や縄文土器総覧を読むと縄文後期に関東一円で鳥形把手のついた土器が出土し、三反田蜆塚貝塚(茨城県ひたちなか市)では埋葬されたオジロワシ全身骨格が出土し、鳥形土製品も出土していることを知りました。

また、称名寺式深鉢の一部には鳥形把手が口縁部に内側を向くようにつけられているものがあり、土器自体を鳥とみなし、羽根をひろげて求愛ダンスのようにも見えると考えられていることも知りました。千葉市動物公園展示鳥形突起はまさにその土器の把手であったようです。


称名寺式のトリ

総覧縄文土器から引用


北陸の「鳥さん土器」

総覧縄文土器から引用

今後情報を収集し、縄文鳥学習を楽しむことにします。

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