谷口康浩著「土偶と石棒 儀礼と社会ドメスティケーション」学習 4
The development of rituals and rites is the driving force behind social and economic revitalization
Study 3 “DOGU & SEKIBOU: Rituals and the Domestication of Society in Prehistoric Jomon” by Yasuhiro Taniguchi
I learned that the extreme development of rituals and rites in the late and final Jomon periods should not be understood as "spreading magic and customs amidst social stagnation due to the cold climate," but as "a factor in the expansion of ritual consumption and the development of trade, which became the driving force behind social and economic revitalization."
縄文後期・晩期の儀礼祭祀の極度の発達が、「寒冷化による社会行き詰まりの中で蔓延した呪術と因習」ではなく、「儀礼的消費の拡大、交易発達の要因となり、社会と経済を活発化させる原動力となった」と、真逆に理解すべきであることを学びました。
序章 儀礼考古学の現代的意義
1 儀礼への問題関心
(3)儀礼考古学の現代的意義-本書のテーマと問題意識-
・この小節では著者の儀礼考古学に関する問題意識が明瞭にかつ簡潔に述べられています。とてもインパクトのある問題意識です。
・その問題意識を一言で表現すると、次のようになります。
「縄文後期・晩期の儀礼祭祀の極度の発達が、「寒冷化による社会行き詰まりの中で蔓延した呪術と因習」ではなく、「儀礼的消費の拡大、交易発達の要因となり、社会と経済を活発化させる原動力となった」と、真逆に理解すべきである。」
・私はこの著者の問題意識を読んで、「そういう問題提起を考古学者にはしてもらいたかったんだ」と膝に手を打って賛同し、この図書をじっくり学習してみようという気持が沸き上がりました。
・私はこの数年の間、「寒冷化による社会困難の増大→呪術の盛行」という論調に大いに疑問を持っていましたので、この図書に触れたことは、自分にとってとても時宜に適ったことです。
【著者が批判する儀礼祭祀のネガティブな評価】
「筆者が疑問視するのは、原始共同体論にみられる儀礼祭祀の偏った見方である。縄文時代における儀礼祭祀の発達の歴史的意味がネガテイブに評価され、生産力の発展に限界を抱える採集経済の停滞性がタブーゃ呪術の発達をもたらしたという歪んだ理解が広がり定着してしまった(藤間1951、坪井1962、岡本1975、稲田1975など)。特に、縄文後期・晩期における儀礼祭祀の極度の発達は、寒冷化による環境悪化に起因した狩猟採集経済の行き詰まり、あるいは社会的同様によりひき起こされた現象と考えられてきた。寒冷化による自然環境の悪化が中期までの順調な発展を行き詰まらせ、動揺した社会秩序を維持するために祭りと呪術が発達したという見解は、縄文時代史を総合的に叙述した近年の多くの著作にも示されている(今村1999・2002、勅使河原1998・2016、同月2000・2007など)。」(谷口康浩著「土偶と石棒」から抜粋引用)
【著者の問題意識】
「儀礼祭祀の発達は、はたして採集経済の限界を克服できない原始社会に蔓延していた呪術と因襲の表れなのだろうか。
前著で筆者は、縄文時代における社会複雑化の視座から儀礼祭祀の意味や力を再評価する議論を提起した。筆者が着目するのは、儀礼祭祀の発達に付随した生産の特殊化と経済の活性化である。人口密度が高揚した前期から中期にかけて分節的な親族組織が現れ、葬制が発達し、祖先祭祀を中心とする儀礼祭祀が盛行したが、こうした動きに伴って、それに関連した物質文化が生み出され儀礼的消費の拡大が起こった。後期・晩期にはそれがエスカレートし、土器製塩や朱の生産、漆器製作にみられるように高級品・工芸品を求める生産の特殊化と交換経済の発達が導かれた。東北地方・晩期の亀ヶ岡文化がそうした動向をよく体現しており、華麗な漆器や亀ヶ岡式土器が盛んに生産され、長距離交易を通じてヒスイや南海産貝製品などの希少品が遠隔地から人手されていた。次第にエスカレートするこうした動きが、奢修品を作り出す特殊生産と、製品を遠隔地に配給する長距離交易を発達させる社会的要因となり、延いてはその動きがコメの受容にもつながった。つまり、宗教的儀式や祭宴に伴う儀礼的消費の拡大が生産の特殊化を招き、社会と経済を活発化させる原動力になったと理解するのである。コメも当初は縄文人にとって魅力のある贅沢品であり、珍しいものを遠方から入手し、その作り方を知ること自体に、社会的な意味と価値があつた。東日本・北日本地域の縄文社会が、コメの入手に動いた能動的な理由がそこにあつたと筆者は考えている(谷口2017b)。」(谷口康浩著「土偶と石棒」から抜粋引用)
中空土偶(君津市三直貝塚)
縄文後期~晩期
千葉県教育委員会所蔵
撮影場所:加曽利貝塚博物館 ミニ企画展示「県内縄文遺跡展」-千葉県の縄文時代研究を彩った遺跡たち- 君津市三直貝塚編
撮影月日:2020.07.14
ガラス面越し撮影
中空土偶の画像は本文とは関係ありません。
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