2024年6月8日土曜日

儀礼の実践と物質文化

 谷口康浩著「土偶と石棒 儀礼と社会ドメスティケーション」学習 3


Ritual Practice and Material Culture


Study 3 “DOGU & SEKIBOU: Rituals and the Domestication of Society in Prehistoric Jomon” by Yasuhiro Taniguchi


I learned that in a non-literate society, it is only possible for people to share concepts such as divine spirits by creating objects (shapes) like dogu. I also learned that the demand for treasures and food and drink necessary for rituals is a major factor that drives society, such as promoting trade.


無文字社会では、神霊のような概念を人々が共有するには、土偶のようなモノ(形)にすることによってはじめて可能であることを学びました。また、儀礼に必要な宝器や飲食需要が交易を促進するなど社会を動かす大きな要因であることを学びました。

序章 儀礼考古学の現代的意義

1 儀礼への問題関心

(2) 儀礼の実践と物質文化

・この小節では文化人類学における儀礼研究(儀礼が社会統合の維持と再生産に重要な機能をはたしているという視点からの研究)とモノをメインに扱う考古学における儀礼研究の違いに触れています。

・考古学は文化人類学の視点を共有すべきであるが、考古学の立場には「儀礼と社会の間に介在する物質文化への視点」を加えたいと著者は述べています。

・最初に「儀礼と社会の間に介在する物質文化への視点」を例示しています。

「結婚式・成人式・葬儀などの人生儀礼や宗教的祭儀なども、さまざまなシンボル・道具・装束・飲食などのモノが介在することで成り立っている。また、神霊のような超越的存在への信仰があったとしても、ある物質の上に形を与えてそれを物象化しなければ、社会の全員が不可視のそれを一定の観念形態として共有することはできず、そうした異界の超越的存在に働きかけたり礼拝したりしようとするにも、行為の対象を物質化する必要がある。土偶や仏像のような偶像、四神や曼茶羅のような図像、十字架のようなシンボルは、形式はさまざまだが心象世界を可視化し表現している点は同じである。ことに無文字社会では、文化を構成する概念や観念はモノを通してはじめて人々に共有化される。モノという媒体がなければ、人々は世界を認知することも世界像を創り出すこともできまい。」(谷口康浩著「土偶と石棒」から抜粋引用)

・次に北海道アイヌの物質文化と経済、社会組織、儀礼体系が不可分の構造的関係で結びついていることを明らかにした渡辺仁(1972)の研究を紹介しています。

「渡辺は、アイヌ文化の中核にある価値体系としてクマ祭(イオマンテ)とそれに機能的に関連する要素群を挙げ、「クマ祭文化複合体」として概念化している。クマ祭は、クマとなって恵みをもたらしてくれたカムイに感謝し、饗宴と贈り物で懇ろにもてなした後にカムイの国に送り返す儀式であり、アイヌ社会最大の集団祭儀となっている。この祭自体は、アイヌ固有の神観念や生物不死の信仰に基づく宗教的活動といえるが、社会。経済・技術にまたがる多くの文化要素がそれと結びついて一体構造を形成している。この祭儀がもつ社会的側面として注目されるのは、クマのカムイに捧げるイナウに、シネ・イトㇰパ集団と称する父系血縁集団の共有するエカシ・イトㇰパ(祖印)が刻まれ、共同祭儀の挙行が、個々のコタンを超えて広がるシネ・イトㇰパ集団の統合と連帯を維持する機制にもなっていた事実である。また、アイヌがシャモ(和人)社会との間に毛皮交易などの関係を保ったのも、多くの祭儀に不可欠な酒器として用いる漆器や、男が儀式の時に帯びる刀剣を入手することが大きな目的であった。クマのイオマンテをはじめとする集団的祭儀や神々に対する多様な儀礼(カムイノミ)が、特別な宝器や飲食の需要を生み、それが交易を含めた経済活動を動機づける要因となっていた。カムイの信仰と世界観こそがアイヌ文化の神髄であり、それがアイヌの生活と経済活動を成り立たせていたと渡辺は考察している。」(谷口康浩著「土偶と石棒」から抜粋引用)

・著者はこのアイヌモデルが縄文社会研究においても参考になると述べています。

・渡辺仁(1972)「アイヌ文化の成立-民族・歴史・考古諸学の合流点-」(考古学雑誌、58-(3)、47-64p)は入手して読むことにします。

・さらに縄文時代の儀礼と装身具需要とその生産特殊化促進が例示されています。

「儀式祭礼に参加する者は正装し威儀を正すのが通例である。縄文時代には儀礼・祭祀の盛行とともに装身具が発達した。装身具の製作にはその時代の最高級の素材と技術の粋が投じられているが、高品質の装身具が求められた理由の一つは、儀礼用の正装にあったと考えられる。縄文時代には、高級装身具を生産する特殊生産が開始し、また製品を流通・交換する交易組織が発達した。前期に盛行した瑛状耳飾、中期に本格的生産が開始した硬玉製玉類、後期・晩期に盛行した土製耳飾や漆塗り竪櫛などは、希少品を入手できる者の存在感を引き立て、威信を高めたであろう。後期・晩期に個人が侃用する刀剣形石製品や叉状鹿角製品が盛行したのも、儀礼の正装に関係していたと考えられる。こうした装身具への需要もまた、生産の特殊化を促進する要因となっていた。」(谷口康浩著「土偶と石棒」から抜粋引用)

・儀礼にかかわるモノ情報から縄文時代の文化・生活・経済活動の様子を少しでもあぶりだす(可視化する)ことが儀礼考古学の目的であると理解します。

【余談】

・アイヌモデルの紹介の中で、イナウの刻印の話しが出てきますが、千葉県印西市の西根遺跡から出土した縄文時代後期「杭」にも刻印と呼べる加工跡があります。縄文時代のイナウが近代アイヌのイナウの祖形かもしれません。


西根遺跡出土イナウ似木製品

縄文後期イナウ似木製品

【飛躍した感想】

エジプトのピラミッド建設は国家規模の儀礼活動の一環の活動であると言えます。そのピラミッド建設という活動は国家規模での経済活動の活性化の中で行われました。儀礼活動が社会運営の中軸となっています。秦の始皇帝の皇帝陵と兵馬俑建設も同じような儀礼活動の一環であり、国家の経済社会運営の中軸となってたと考えます。

ウクライナのスキタイ古墳発掘では、豪華な4.5kgの金製品や盛大な葬儀宴会の跡(3000人分の肉消費跡)、多人数の女、子ども、使用人の殉死者が出土しています。紀元前4世紀スキタイ社会では葬儀という儀礼が社会の富と人材を大規模に消費する活動でした。

2024.06.07記事「趣味の考古学切手 スキタイの胸飾り (ウクライナ2013年小型シート)

これらの断片的な事例を思い出すだけで、縄文社会の儀礼と社会運営の関連について「自分の問題意識がこれまでなんと希薄であったことか」と深く反省の念にかられます。

これまでの自分縄文学習は祭祀は祭祀、生業は生業と区別して学習してきました。その区別して学習するスタイルが間違いであることに気が付きました。

その時期の縄文社会運営を貫いている儀礼活動を発見しなければならないのです。


ミミズク土偶

安行系ミミズク土偶 下ヶ戸貝塚 観察記録3Dモデルのオルソ投影画像(我孫子市教育委員会1階ロビー展示)

ミミズク土偶画像は記事内容とは関係ありません。

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