2024年8月23日金曜日

甕被葬の意義(メモ)

 The significance of burial in a jar (note)


I happened to come across a photo of the burial in a jar at the Ariyoshi Minami Kaizuka, and I couldn't stop thinking about it. So I thought long and hard about the significance of burial in a jar.

I hypothesized that the jar is a device that stops the exoskeleton of the body from becoming active after the soul of the deceased has passed on to the afterlife.


たまたま目にした有吉南貝塚甕被葬の写真から離れられなくなりました。そこでじっくりと甕被葬の意義を考えました。

故人の魂があの世に向かった後、脱殻の肉体が活動しないようにする装置が甕被であると仮説しました。

1 甕被葬人骨


甕被葬人骨 「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」から引用

参考 2018.09.10記事「事例学習 有吉南貝塚

甕被葬の意義についての記述は、とても興味があるので、これまでにいろいろと資料・情報を渉猟したのですが、結局なにも見つけることはできませんでした。そのため、自分にとって「わからないこと」であり、世の中的にも「流布されている仮説はない」と考えていました。

2 千葉市史(第一巻、昭和49年)の仮説

webで検索すると千葉市史(デジタルアーカイブ、第一巻原始古代中世編、昭和49年)に次のような記述があります。

「埋葬は、そのこと自体が、死者あるいは死に対する一定の観念の現われであるが、遺体に対する種々の所作により、更にそれが明確となってくる。

 それは、埋葬に際して、遺体の頭部に甕をかぶせるとか、胸部に石を抱かせるというような所作が行われている(二―八八図左下)。

 前者は甕被り葬と呼ばれ、遺体の中でも特に頭部を意識していることがわかる。

 後者は、石抱き葬と呼ばれ、これは胸部を意識している。

 これらは、縄文時代の当時にあっても、すでに、頭部及び胸部(心臓)が、身体の中でもっとも重要であり、人間の「生」あるいは「死」というものに、もっとも深くかかわりをもっているということを意識してのことであると考えられる。

 そして、そこには、人間の生と死をつかさどる不思議な何ものかの存在=霊魂の存在ということを、すでに縄文時代人は考えていたということも考えられる。

 甕をかぶせ、石を抱かせることによって死者の霊魂をしずめ、死者の霊魂がその肉体から遊離して生者に災厄を及ぼすことを防ごうとしたと推定される。」(千葉市史から引用)

明解な結論「甕をかぶせ、石を抱かせることによって死者の霊魂をしずめ、死者の霊魂がその肉体から遊離して生者に災厄を及ぼすことを防ごうとしたと推定される。」が記述されています。

3 検討

千葉市史の結論では埋葬とは故人の霊魂と肉体が土壙や貝層中などに閉じ込められることになります。

縄文人の死生観はそうではなく、故人の霊魂はあの世に行き、肉体は埋葬され閉じ込められるということだと、自分は、考えます。

従って、自分は、千葉市史記述の矛盾を解消するストーリーとして次のように仮説します。

人が死ぬと、埋葬という儀礼を行うことにより、故人の霊魂はあの世に行き、豊かな生活を送る。残された肉体は埋葬され土中で(あるいは貝層中で)深い眠りにつく。ただし、残された肉体がなにかの弾みで動き出したり、活動したりする不慮の事故が発生することが考えられる。そのような事故が発生すると霊魂はあの世で生活できない。そこで、霊魂が離れた肉体の頭部に甕を被せて、万一頭が動き出す兆候があっても、動けないようにしたと考えます。抱石葬も同じ趣旨で、霊魂不在の肉体が活動できないようにしたのだと思います。

甕被葬や抱石葬の意義は肉体に霊魂が戻れないようにすることにあったと仮説します。


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