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2020年5月17日日曜日

上野原遺跡の縄文早期集落と祭祀空間との関係

縄文社会消長分析学習 20

霧島市上野原遺跡の発掘調査報告書をwebサイト「全国遺跡報告総覧」からダウンロードして向学のために寄り道学習しています。
祭祀空間(第10地点)からの埋設土器や環状石斧・異形石器などの出土物に驚き、遺跡全体が霊峰霧島を仰ぐ祭場として顕著なゾーニングにより利用されていたことを学習してきました。

2020.05.14記事「上野原遺跡祭祀空間Aゾーンは神殿基壇である」
2020.05.14記事「上野原遺跡祭祀空間のゾーニング」
2020.05.14記事「縄文早期異形石器に驚く」
2020.05.13記事「縄文早期の環状石斧に驚く」
2020.05.12記事「霧島市上野原遺跡出土埋設ペア土器の意義」
ブログ「芋づる式読書のメモ」2020.05.10記事「鹿児島県霧島市上野原遺跡」

この記事では縄文早期大型集落として紹介されている集落域(第2・3地点及び4・7地点)について発掘調査報告書により学習します。

1 第2・3地点の遺構・遺物

発掘地点
上野原遺跡発掘調査報告書から引用

第2・3地点遺構配置図
上野原遺跡発掘調査報告書から引用

第2・3地点遺構検出状況
上野原遺跡発掘調査報告書から引用

・竪穴住居跡 52基、火山灰検出状況から約9500年前(※暦年較正はしていない値のようです。)
・竪穴住居跡からの出土土器は極めて少ないが3類土器段階に収まる。
・連結土坑(炉穴)16基出土、時期は約9500年前におおむね合致する。
・集石 2・3地点で100基、4地点で32基、7地点で8基の合計140基確認。
・土坑 約270基検出
・道跡 2本検出

出土土器は以下の18類に分類
1類 前平式土器
2類 前平式土器及びそれに類するもの
3類 河口氏の前平式土器、新東晃ー氏の知覧式土器、長野眞ー氏・前迫亮一氏の加栗山式土器に該当する
4類 吉田式土器
5類 倉園B式土器
6類 石坂式土器
7類 下剥峯式土器
8類 辻タイプ
9類 桑ノ丸式土器
10類 押型文土器を一括
11類 刺突文に類似した文様のもの
12類 一野式土器や中原式土器もしくは櫛島タイプと称されるものに該当
13類 撚糸文・縄文を施すものを一括
14類 手向式土器
15類 妙見・天道ケ尾式土器
16類 平栫式土器
17類 塞ノ神式土器
18類 1類から17類に入らないものを一括

2・3地点の主体をなす土器は、 3類が最も多く9類・10 類がそれに続く。

3類土器
上野原遺跡発掘調査報告書から引用

・石器類の出土物
石鏃、尖頭状石器、石匙、楔型石器、異形石器、石核、剥片類、石斧類(環状石斧も出土→中~後葉のもの)、礫器、磨石、砥石、石皿、軽石

遺物の出土傾向としては2地点では早期前葉段階から中葉段階にかけて、 3地点では、早期中葉から後葉にかけての遺物が主に出土している。

2 集落の様子
竪穴住居跡52基は概ね3類土器段階に収まる。
切り合いや近接しているものを差し引き、最大6基程度が1時期に近い状態であったと思われる。

3 祭祀空間(第10地点)との関係
16 類土器は、平栫式士器に該当する。
この15・16類土器は、上野原台地南側の10 地点で膨大な遺物量を誇っている土器でもある。この10 地点の様相に比べ、台地の北側に位置する2~7地点では、極端に出土数が少ないという差が生じている。しかし、少ないながらも遺物の出土は見られ集石遺構を伴っている。2~7地点での数個体の土器と集石を有する場面と、 10 地点の土器埋納遺構を中心とする環状の遺物集中という場面とが同一型式内であっても時間的に微妙な差が生じているのか、場の機能に差があったのか今後解明していかなくてはならない。

4 考察と感想
縄文早期大型集落といわれる竪穴住居52軒(第2・3地点)は3類土器の時代(約9500年前…暦年較正はしていない?)で、土器出土は3類が多く、9類・10類がそれにつづくという状況です。一方隣接する祭祀空間(第10地点)は16類土器(平栫式土器)が圧倒しています。
つまり、竪穴住居集落が形成された時代と祭祀空間が運用された時代とは「縄文早期」という言葉は同じでも、全く異なるということです。
この事実から、祭祀空間が隣接する上野原遺跡集落(第2・3地点)の人々によって使われたという想定は完全なる誤解・間違いであるということを理解しました。

祭祀空間(第10地点)の多量の石器出土が隣接集落にかかわるものではないと理解できると、祭祀空間が広域社会の共同祭祀場であるという性格が浮かび上がってきます。

上野原遺跡の発掘写真をみると火山灰(軽石)が竪穴住居跡を埋めている状況がよくわかります。3類土器の時代の縄文早期大型集落は桜島火山の噴火影響により終焉したと考えることがありうるかもしれません。それ以降その場所で定住的生活は困難であったのかもしれません。同時に海辺でかつ恐ろしい火山の近くで、なんといっても霊峰霧島を仰ぐことができるという好適な立地環境が、この場所をして広域社会における共同祭祀場にさせたものと想像します。2~3カ所を回帰的に行き来する定住生活の合間にこの上野原遺跡(第10地点)に小集団が次から次へとやってきて祭祀活動をして帰って行ったのかもしれません。

2020年5月14日木曜日

上野原遺跡祭祀空間Aゾーンは神殿基壇である

縄文社会消長分析学習 19

霧島市上野原遺跡の発掘調査報告書をwebサイト「全国遺跡報告総覧」からダウンロードして向学のために寄り道学習しています。
2020.05.14記事「上野原遺跡祭祀空間のゾーニング」で上野原遺跡の祭祀ゾーンがA~Dにゾーニングされていたことを学習しましたが、Aゾーンについては神殿と同じ意義がある旨推定しました。
この記事では上記記事を風景的に補強します。

1 上野原遺跡祭祀空間Aゾーンからの風景

上野原遺跡祭祀空間Aゾーンからの風景 Google earth(web版)による 現況地形
上野原遺跡祭祀空間Aゾーン(写真円形付近)から正面に霧島(高千穂峰)を拝むことができます。

参考 上野原遺跡祭祀空間ゾーニング

Aゾーンは一般論でいう神殿基壇にあたる部分に該当すると考えます。
Aゾーンは(縄文早期の霊峰)霧島(高千穂峰)に正面を向けた祭壇です。

Aゾーンから南を見ると桜島が見えますが、桜島の霊的な意義は祭祀ゾーンが北側(霧島側)を向いていることから小さかった(あるいは無かった)と想定します。

2 参考 縄文早期大型集落上野原遺跡遺跡付近の地形3 地理院地図3Dモデル

縄文早期大型集落上野原遺跡遺跡付近の地形2 地理院地図3Dモデル
標準地図、色別標高図(鹿児島県)、赤色立体図の合成
垂直倍率:×5.0
北側赤丸:縄文早期大型集落
南側赤丸:土器埋設遺構

動画

3 参考 縄文早期大型集落上野原遺跡付近の地形1 地理院地図3Dモデル

縄文早期大型集落上野原遺跡付近の地形1 地理院地図3Dモデル
空中写真、色別標高図(鹿児島県)、赤色立体図の合成
垂直倍率:×3.0
北側赤丸:縄文早期大型集落
南側赤丸:土器埋設遺構群

4 参考 クントゥル・ワシ神殿
以前アンデスのクントゥル・ワシ神殿について学習したことがあります。
時代や場所、背景は全く異なりますが、人の霊的心性には共通するものがインプットされていると想定していますので、一つの参考になります。
ブログ「世界の風景を楽しむ」2019.06.15記事「ペルー クントゥル・ワシ神殿」等

クントゥル・ワシ遺跡遠景
大貫良夫・稀有の会編「アンデス古代の探求」中央公論社から引用
タンタリカの霊峰を正面に拝むことができます。

クントゥル・ワシ神殿
大貫良夫・稀有の会編「アンデス古代の探求」中央公論社から引用
最高所が大基壇となっていて、タンタリカの霊峰を仰ぎながら祭祀活動ができるようになっています。

5 超空想
上野原遺跡祭祀空間ゾーンAは単純に自然地形を利用しただけだとは到底考えられません。いろいろ手を加えて、盛土したり、平坦面を作ったりして基壇としてふさわしい形状を生み出したに違いありません。イナウなども多数設置したと考えられます。ただ、それが盛土や木製品だけであるならば発掘者にそれとわかる可能性はほとんどないと思います。

上野原遺跡祭祀空間のゾーニング

縄文社会消長分析学習 18

霧島市上野原遺跡の発掘調査報告書をwebサイト「全国遺跡報告総覧」からダウンロードして向学のために寄り道学習しています。

発掘調査報告書に石器等出土分布図が多数掲載されていますので、自分が空間的なイメージを持つことができるように簡易な分析をして、思い浮かぶ感想をメモしました。そもそも居住空間についての知識なしで祭祀空間の本質が判ることは困難と思いますが、まず手を付けた祭祀空間から学習を積み上げていくしかありません。

1 石器全点分布図
上野原遺跡第10地点の石器全点分布が発掘調査報告書に掲載されています。

上野原遺跡第10地点石器全点分布図
上野原遺跡発掘調査報告書から引用

発掘調査報告書ではこれら膨大な石器はすべて運び込まれたもので、その分布は二重の環状をなしていることが述べられています。
この分布図のドット密度が濃いところを抽出して赤く塗ると見事な空間ゾーニングが現出します。

上野原遺跡第10地点石器全点分布図に基づく空間ゾーニング
上野原遺跡発掘調査報告書掲載図から作成

上野原遺跡に居住する縄文人が空間を使い分けた結果、つまり空間ゾーニングを設定して活動した結果、このようなA~Dのゾーンが現出したと考えることができます。
次に各ゾーンの性格や活動について考察します。
ア 全体
・A~Dゾーンは全体が北方向に下がる斜面になっていて、斜面の上→下の順にA→Dとなっています。この斜面からふもとに集落が、正面遠方に霧島(高千穂峰)を仰ぐことができます。縄文早期上野原遺跡縄文人にとっても霧島は霊峰であり、その眺望が最も優れた場所Aが祭祀場として最高ランクの場所であり、順次B→C→Dとランクが下落したと想像します。
イ 石器送り場
・膨大な石器がこの空間に運び込まれていることから、この空間全体が「石器送り場」という側面を持っていたことは確実であると考えます。
破損した石器を「送る」というだけでなく、石器持ち主が死亡したとき所持完形石器も「送った」と考えます。
・石器を送るという活動以外に石器を活用した多様な祭祀活動が行われ、その結果膨大な石器が持ち込まれたと考えます。
ウ A~Dのゾーンが生まれた意義
集落が行うありとあらゆる野外祭祀はすべてA~Dの空間で行われ、祭祀種類によってその場所がかなり明確に決まっていたと考えます。したがって年月が経ち、無数の祭祀活動が積み重なった結果がA~Dとして残ったと考えます。AとB及びCとDの境がかなり判然としていることからイナウ等で境界を示すなど、境界がわかる地物が存在していたかもしれません。
エ 道路
・Bゾーンでは石器密集域が途切れる場所が1箇所あります。それがAゾーンに入るための道であった可能性があります。その道はCゾーンに続くと想定できます。

2 遺構配置図

遺構配置図
上野原遺跡発掘調査報告書掲載図から作成
遺構配置図に空間ゾーニングを書き込んでみました。

ア Aゾーンの性格
Aゾーンに土器埋納遺構及び磨製石斧埋納遺構の4/6が分布します。
発掘調査報告書には土器は土坑に保管され、必要に応じて使われたという想定が可能な記述がされています。また磨製石斧も袋に入れられていた状況が想定され、これも保管され、必要に応じて使われた様子を空想することができます。
このような情報と、Aゾーンには他の石器出土が少ないことから、この場所が祭具保管場所であり、祭具を使った儀式を行う場所ではないと空想します。
Aゾーンには建物はありませんが、観念的には祭具保管神殿のような空間であったと考えます。その神殿前の儀式を行う場所がBゾーン、Cゾーンであると空想します。
なお、磨製石斧埋納遺構のうち2つがCゾーンに分布していますが、この二カ所の石斧は損壊の激しいモノであり、Aゾーンのそれと異なり「送った」跡かもしれません。
イ Bゾーン、Cゾーンの性格
集石遺構(Ⅳ類型)はほとんどBゾーン、Cゾーンに分布します。Ⅳ類型とは集石遺構でも底石や側石が存在する遺構としてしっかりしたものであり、その場所で火を焚き、調理した可能性のある場所です。調理を伴う祭祀を行った可能性のある場所です。集石遺構(Ⅳ類型)の分布からBゾーン、Cゾーンは野外祭祀のメイン会場であったと考えることができます。
ウ 尾根の東向き斜面における遺構分布
Cゾーンの集石遺構(Ⅳ類型)のうち図右側のものは尾根と東向き斜面の接点付近に列状に分布していて、とても特徴的です。
この特徴的分布は、その場所は東側に眺望が開けている場所であり、当時の縄文人の自然観、世界観の中で東方向を見つめる(拝む)ということが重要であったことを表現していると考えます。

3 異形石器出土分布図

異形石器出土分布図
上野原遺跡発掘調査報告書掲載図から作成
異形石器出土分布図に空間ゾーニングを書き込んでみました。

ア A~Cゾーンに分布する
・異形石器の用途がアイヌのイオマンテのような動物送りに使われた飾り矢や飾り槍の先だったと超空想しています。異形石器の出土がその動物送りの場所を指示しているのかもしれません。
・A~Cゾーンに分布することから、次のような空想をすることができます。
空想1…動物送りにもランクがあった。南九州一円の遠方から招待客を招くようなイベントにおける動物送りから、近郷範囲のイベントにおける動物送り、集落独自イベントにおける動物送りなど。そのランクに応じてAゾーン、Bゾーン、Cゾーンが使い分けられた。
空想2…この空間全体が近郷多数集落の共同祭祀場であり、集落ごとに姻戚関係や力関係でランキングが決まっていて、ランクの高い集落主催動物送りではAゾーンが使われ、それよりランキングの低い集落はBゾーン、Cゾーンを使った。
空想3…動物送りが組み込まれているイベント(祭祀)の重大性によって使うゾーンが異なった。例 社会の存続にかかわるような祭祀(長期にわたる天候不順や重大な災害)ではAゾーンを、年中行事ではB、Cゾーンを使うなど。

4 環状石斧・環石出土分布図

環状石斧・環石出土分布図
上野原遺跡発掘調査報告書掲載図から作成
環状石斧・環石出土分布図に空間ゾーニングを書き込んでみました。

ア 環状石斧はBゾーンから出土する
環状石斧(すべて破片)がBゾーンから出土します。これは環状石斧を送るとき、祭祀面で上位ランクのB空間で送ったことを示すと考えます。つまり環状石斧は一般石斧より丁寧に送られたことになると考えます。環状石斧が純粋な祭具だったと想像します。
環石がCゾーンから出土していますが、この意味は分かりません。

5 感想
1~4の検討(空想的検討)要点をまとめます。
ア 霊峰高千穂を仰ぎ、ふもとに集落が見える眺望のひらけた台地北向き斜面が祭祀空間として設定され、高所→低所でゾーニングが行われ、活動により空間が使い分けられた
イ 最高所Aゾーンは最も神聖な空間で祭具保管場としても使われた。保管されていたと想定される完形土器や石斧が出土する。
ウ BゾーンはAゾーン前のメインイベント広場であり、石器を伴う祭祀が活発におこなわれ多数の集石遺構と石器が残った。
エ CゾーンはBゾーンに次ぐイベント広場であり尾根沿いに集石遺構と石器が残された。石器送りの場でもあった。

縄文早期異形石器に驚く

縄文社会消長分析学習 17

霧島市上野原遺跡の発掘調査報告書をwebサイト「全国遺跡報告総覧」からダウンロードして向学のために寄り道学習しています。

驚きの連続、連続です。

1 異形石器の出土
上野原遺跡から次の異形石器が出土しています。

縄文早期上野原遺跡出土異形石器
上野原遺跡発掘調査報告書から引用

異形石器の材質は出土21点の19点が黒色安山岩で、残りはチャートとタンパク石です。
最大重量の個体(2)は石材:黒色安山岩、長さ:7.6㎝、幅:4.1㎝、厚さ0.9㎝、重量21.33g。

異形石器出土の分布
上野原遺跡発掘調査報告書から引用

発掘調査報告書では次のように説明しています。
「その機能・用途については全く分からないが、いくつかの個体に摩耗痕が残されていることから、装飾晶ではなくて利器であった可能性がある。また、個体変位の大きさは、日常的な利器ではないことを暗示するのではないかと思われる。つまり、祭りの中で用いられる利器であった可能性を提示できるのではないかと考えている。」第三工区 上野原遺跡発掘調査報告書(第10地点)第7分冊から引用

さらに形状を分析して叉状部(さ状部…ふたまた、さすまた)+体部+尾部からなる基本形を設定して、その基本形のバリエーションで全出土異形石器を理解できるとしています。

異形石器の分類
上野原遺跡発掘調査報告書から引用

2 感想
刃部が二股に分かれている後期旧石器時代及び縄文時代石器はこれまで見たことがありませんから驚きです。さらに石器全体にごつごつした突起が作られていることで、驚きが増大します。
武器・捕縛具としての「さすまた」の原型みたいなものでしょうか?
二股に開いた刃先形状は相手の体部に深く刺さるのではなく、浅く刺さってそこに留まる機能を求めて工夫されたようにも感じます。
ごつごつした突起の存在はこの刃器が体部から落ちない工夫であるとともに、刺さる相手に苦しみを与える(相手を挑発する)ことが目的であると理解することができます。効率的に相手を仕留めるための刃器であるとは到底いえません。
アイヌのイオマンテみたいな動物送りで使われた祭具でしょうか?

環状石斧と同じようにこの異形石器も、縄文早期までに大陸から九州に伝来した石器文化で、それが7300年前(暦年補正)の喜界カルデラ爆発で途絶し、列島の東には伝わらなかったと、とりあえず作業仮説しておきます。

2020年5月13日水曜日

縄文早期の環状石斧に驚く

縄文社会消長分析学習 16

霧島市上野原遺跡の発掘調査報告書をwebサイト「全国遺跡報告総覧」からダウンロードして向学のために寄り道学習しています。(因みに、紙本を古書店検索で探したところ、第三工区分だけで合計24000円でしかも欠冊ありです。全国遺跡報告総覧から発掘調査報告書を入手できることに感謝します。)

驚きの連続です。

1 環状石斧の出土
上野原遺跡から環状石斧が出土しています。発掘調査報告書でも縄文早期に環状石斧の出土例は耳にしたことがないと驚きを隠していません。

出土した環状石斧
上野原遺跡発掘調査報告書から引用

環状石斧の挿図
上野原遺跡発掘調査報告書から引用

出土した環石
上野原遺跡発掘調査報告書から引用

環石の挿図
上野原遺跡発掘調査報告書から引用

環状石斧・環石等の出土分布
上野原遺跡発掘調査報告書から引用

2 千葉県の「環状石器展」
千葉県では昨年から今年にかけて「環状石器展」が開催されました。

埋蔵文化財ロビー巡回展 環状石器展 パンフレット

弥生時代の主な出来事と南関東で環状石器が出土した時期
パンフレット「令和元年度埋蔵文化財ロビー巡回展 環状石器展」から引用

千葉県では弥生時代中期をメインにして、縄文晩期から弥生後期まで出現したと考えられているようです。より具体的には水田耕作が始まってから鉄器が普及するまでの期間が環状石器が使われたメイン時期と考えられているようです。
大陸からの文化的影響をもろに受けるようになって環状石器が出現し、鉄器登場とともに衰退したという見立てのようです。

3 感想
千葉県では弥生時代に出現した環状石器が、霧島市上野原遺跡では縄文早期に出土しています。この時間落差にいくら素人とはいえ強い驚きを禁じえません。
「環状石器が大陸固有文化であり、縄文早期に九州に伝来して、上野原遺跡でも使われた。しかし、喜界カルデラの爆発で九州縄文文化が途絶し、環状石器も途絶えた。その後、5000年経って稲作技術とともに再度環状石器が日本に伝わり、200年間ほど盛行した。」と想像します。

2020年5月12日火曜日

霧島市上野原遺跡出土埋設ペア土器の意義

縄文社会消長分析学習 15

1 鹿児島県霧島市の縄文早期上野原遺跡の寄り道学習
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)で縄文早期大型集落の例として詳述されている上野原遺跡について、webサイト「全国遺跡報告総覧」から発掘調査報告書をダウンロードできました。この発掘調査報告書を読むと、次から次へと興味のある遺物・遺構・事象が出てきて、くぎ付けになってしまいました。
そこで、しばらくこの発掘調査報告書の学習を行い、九州における縄文早期大型集落についての見聞を深めるための寄り道学習を行います。
ブログ「芋づる式読書のメモ」2020.05.10記事「鹿児島県霧島市上野原遺跡」

この記事では手始めに埋設ペア土器についてメモします。

2 上野原遺跡出土埋設ペア土器
上野原遺跡の興味ある多数の遺物・遺構等のうち、土器埋設遺構の一つに2つの土器がペアで出土していることに興味を持ち、情報を集めました。

土器埋納遺構第1検出状況
発掘調査報告書から引用・追記(遺構範囲を青点線でなぞっています)
(※発掘調査報告書では「土器埋納遺構」という表現をしていますので、引用はその通りにします。ブログとしての表現は山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)の表現に従い、「土器埋設遺構」とします。)

この写真を見ると、2つの壺形土器が出土していますが、この口縁部形状がなんと四角と円で異なります。異様な雰囲気を察知します。
調べるとウィキペディア「上野原遺跡」に掲載されている2つの土器がこの検出土器のようです。

ウィキペディア「上野原遺跡」掲載写真
ウィキペディア「上野原遺跡」から引用

さらに情報を手繰ってみると小林達雄編「総覧縄文土器」(アム・プロモーション)の口絵に出ている写真もよく見ると口縁部が四角で、この遺構出土土器のようです。

鹿児島県上野原遺跡 早期 平栫式 鹿児島県埋蔵文化センター蔵
小林達雄編「総覧縄文土器」(アム・プロモーション)から引用

口縁部四角と円形の2つの土器が同じ遺構から出土していることは否が応でも興味を惹きます。
縄文後晩期にコップ形土器などと称して口縁部四角の例を見ていますが、縄文早期では初めてです。

3 発掘調査報告書の記述
発掘調査報告書でこの遺構を調べると次のような出土状況を知りました。

土器埋納遺構第1の断面
2つの土器を転ばすことのないような丁度よい大きさの2つの穴を複合して一つの土坑に作っています。
発掘調査報告書ではこの土坑で火を焚いたことは大きさからあり得ない。しかし土器はススが付着し使用感がある。また土器内部堆積物分析では人骨や食料を入れて埋まった形跡は無いという理化学分析の結果が出ています。したがって、この遺構に土器を保管して、必要な時に使ったのではないかという趣旨の記述をしています。

土器埋納遺構第1出土土器
口縁部四角の土器底面は少し湾曲していて自立できないそうです。

土器埋納遺構第1の場所
土器埋納遺構第1の場所は台地南端の最高高度部付近でかつ北向き(集落方向向き、霧島向き)の場所です。
この場所の意味は大いに興味を惹きますので、別記事でさらに検討を深めます。
桜島を向いているのではなく、霧島を向いて祭祀活動が行われているのです。!!!

4 埋設ペア土器の意義
口縁部四角と円形の2つの土器がペアで出土した様子は以下の例と同様の縄文人心性に起因する活動の結果であり、「異質な2者の対置と象徴操作」の結果であると考えます。

異質な2者の対置と象徴操作 のある断面を表現しているとこの写真を意味付けします。
ブログ「芋づる式読書のメモ」2020.05.10記事「谷口康浩編「縄文人の石神 ~大型石棒にみる祭儀行為~」
異質な2者が、男女であるのか、死と生であるのか、2集団であるのか興味はますます深まります。

5 夫婦土器の例

加曽利貝塚出土異形台付土器のペア

加曽利貝塚出土異形台付土器ペア出土状況

佐倉市井野長割遺跡第2次調査1号住居跡出土大小ペア異形台付土器
「縄文時代の技と祈り」(1995、八千代市歴史民俗資料館)から引用

町田市広袴遺跡の大小ペア異形台付土器
「縄文時代の技と祈り」(1995、八千代市歴史民俗資料館)から引用

2点並んで出土した縄文中期深鉢形土器(茅野市下ノ原遺跡)

2点ならんで出土した様子の説明

五領ヶ台式土器 上谷遺跡 埋納土器 上谷遺跡
八千代市郷土博物館展示

出土の様子 八千代市郷土博物館展示から引用