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2020年5月17日日曜日

上野原遺跡の縄文早期集落と祭祀空間との関係

縄文社会消長分析学習 20

霧島市上野原遺跡の発掘調査報告書をwebサイト「全国遺跡報告総覧」からダウンロードして向学のために寄り道学習しています。
祭祀空間(第10地点)からの埋設土器や環状石斧・異形石器などの出土物に驚き、遺跡全体が霊峰霧島を仰ぐ祭場として顕著なゾーニングにより利用されていたことを学習してきました。

2020.05.14記事「上野原遺跡祭祀空間Aゾーンは神殿基壇である」
2020.05.14記事「上野原遺跡祭祀空間のゾーニング」
2020.05.14記事「縄文早期異形石器に驚く」
2020.05.13記事「縄文早期の環状石斧に驚く」
2020.05.12記事「霧島市上野原遺跡出土埋設ペア土器の意義」
ブログ「芋づる式読書のメモ」2020.05.10記事「鹿児島県霧島市上野原遺跡」

この記事では縄文早期大型集落として紹介されている集落域(第2・3地点及び4・7地点)について発掘調査報告書により学習します。

1 第2・3地点の遺構・遺物

発掘地点
上野原遺跡発掘調査報告書から引用

第2・3地点遺構配置図
上野原遺跡発掘調査報告書から引用

第2・3地点遺構検出状況
上野原遺跡発掘調査報告書から引用

・竪穴住居跡 52基、火山灰検出状況から約9500年前(※暦年較正はしていない値のようです。)
・竪穴住居跡からの出土土器は極めて少ないが3類土器段階に収まる。
・連結土坑(炉穴)16基出土、時期は約9500年前におおむね合致する。
・集石 2・3地点で100基、4地点で32基、7地点で8基の合計140基確認。
・土坑 約270基検出
・道跡 2本検出

出土土器は以下の18類に分類
1類 前平式土器
2類 前平式土器及びそれに類するもの
3類 河口氏の前平式土器、新東晃ー氏の知覧式土器、長野眞ー氏・前迫亮一氏の加栗山式土器に該当する
4類 吉田式土器
5類 倉園B式土器
6類 石坂式土器
7類 下剥峯式土器
8類 辻タイプ
9類 桑ノ丸式土器
10類 押型文土器を一括
11類 刺突文に類似した文様のもの
12類 一野式土器や中原式土器もしくは櫛島タイプと称されるものに該当
13類 撚糸文・縄文を施すものを一括
14類 手向式土器
15類 妙見・天道ケ尾式土器
16類 平栫式土器
17類 塞ノ神式土器
18類 1類から17類に入らないものを一括

2・3地点の主体をなす土器は、 3類が最も多く9類・10 類がそれに続く。

3類土器
上野原遺跡発掘調査報告書から引用

・石器類の出土物
石鏃、尖頭状石器、石匙、楔型石器、異形石器、石核、剥片類、石斧類(環状石斧も出土→中~後葉のもの)、礫器、磨石、砥石、石皿、軽石

遺物の出土傾向としては2地点では早期前葉段階から中葉段階にかけて、 3地点では、早期中葉から後葉にかけての遺物が主に出土している。

2 集落の様子
竪穴住居跡52基は概ね3類土器段階に収まる。
切り合いや近接しているものを差し引き、最大6基程度が1時期に近い状態であったと思われる。

3 祭祀空間(第10地点)との関係
16 類土器は、平栫式士器に該当する。
この15・16類土器は、上野原台地南側の10 地点で膨大な遺物量を誇っている土器でもある。この10 地点の様相に比べ、台地の北側に位置する2~7地点では、極端に出土数が少ないという差が生じている。しかし、少ないながらも遺物の出土は見られ集石遺構を伴っている。2~7地点での数個体の土器と集石を有する場面と、 10 地点の土器埋納遺構を中心とする環状の遺物集中という場面とが同一型式内であっても時間的に微妙な差が生じているのか、場の機能に差があったのか今後解明していかなくてはならない。

4 考察と感想
縄文早期大型集落といわれる竪穴住居52軒(第2・3地点)は3類土器の時代(約9500年前…暦年較正はしていない?)で、土器出土は3類が多く、9類・10類がそれにつづくという状況です。一方隣接する祭祀空間(第10地点)は16類土器(平栫式土器)が圧倒しています。
つまり、竪穴住居集落が形成された時代と祭祀空間が運用された時代とは「縄文早期」という言葉は同じでも、全く異なるということです。
この事実から、祭祀空間が隣接する上野原遺跡集落(第2・3地点)の人々によって使われたという想定は完全なる誤解・間違いであるということを理解しました。

祭祀空間(第10地点)の多量の石器出土が隣接集落にかかわるものではないと理解できると、祭祀空間が広域社会の共同祭祀場であるという性格が浮かび上がってきます。

上野原遺跡の発掘写真をみると火山灰(軽石)が竪穴住居跡を埋めている状況がよくわかります。3類土器の時代の縄文早期大型集落は桜島火山の噴火影響により終焉したと考えることがありうるかもしれません。それ以降その場所で定住的生活は困難であったのかもしれません。同時に海辺でかつ恐ろしい火山の近くで、なんといっても霊峰霧島を仰ぐことができるという好適な立地環境が、この場所をして広域社会における共同祭祀場にさせたものと想像します。2~3カ所を回帰的に行き来する定住生活の合間にこの上野原遺跡(第10地点)に小集団が次から次へとやってきて祭祀活動をして帰って行ったのかもしれません。

2020年5月14日木曜日

上野原遺跡祭祀空間のゾーニング

縄文社会消長分析学習 18

霧島市上野原遺跡の発掘調査報告書をwebサイト「全国遺跡報告総覧」からダウンロードして向学のために寄り道学習しています。

発掘調査報告書に石器等出土分布図が多数掲載されていますので、自分が空間的なイメージを持つことができるように簡易な分析をして、思い浮かぶ感想をメモしました。そもそも居住空間についての知識なしで祭祀空間の本質が判ることは困難と思いますが、まず手を付けた祭祀空間から学習を積み上げていくしかありません。

1 石器全点分布図
上野原遺跡第10地点の石器全点分布が発掘調査報告書に掲載されています。

上野原遺跡第10地点石器全点分布図
上野原遺跡発掘調査報告書から引用

発掘調査報告書ではこれら膨大な石器はすべて運び込まれたもので、その分布は二重の環状をなしていることが述べられています。
この分布図のドット密度が濃いところを抽出して赤く塗ると見事な空間ゾーニングが現出します。

上野原遺跡第10地点石器全点分布図に基づく空間ゾーニング
上野原遺跡発掘調査報告書掲載図から作成

上野原遺跡に居住する縄文人が空間を使い分けた結果、つまり空間ゾーニングを設定して活動した結果、このようなA~Dのゾーンが現出したと考えることができます。
次に各ゾーンの性格や活動について考察します。
ア 全体
・A~Dゾーンは全体が北方向に下がる斜面になっていて、斜面の上→下の順にA→Dとなっています。この斜面からふもとに集落が、正面遠方に霧島(高千穂峰)を仰ぐことができます。縄文早期上野原遺跡縄文人にとっても霧島は霊峰であり、その眺望が最も優れた場所Aが祭祀場として最高ランクの場所であり、順次B→C→Dとランクが下落したと想像します。
イ 石器送り場
・膨大な石器がこの空間に運び込まれていることから、この空間全体が「石器送り場」という側面を持っていたことは確実であると考えます。
破損した石器を「送る」というだけでなく、石器持ち主が死亡したとき所持完形石器も「送った」と考えます。
・石器を送るという活動以外に石器を活用した多様な祭祀活動が行われ、その結果膨大な石器が持ち込まれたと考えます。
ウ A~Dのゾーンが生まれた意義
集落が行うありとあらゆる野外祭祀はすべてA~Dの空間で行われ、祭祀種類によってその場所がかなり明確に決まっていたと考えます。したがって年月が経ち、無数の祭祀活動が積み重なった結果がA~Dとして残ったと考えます。AとB及びCとDの境がかなり判然としていることからイナウ等で境界を示すなど、境界がわかる地物が存在していたかもしれません。
エ 道路
・Bゾーンでは石器密集域が途切れる場所が1箇所あります。それがAゾーンに入るための道であった可能性があります。その道はCゾーンに続くと想定できます。

2 遺構配置図

遺構配置図
上野原遺跡発掘調査報告書掲載図から作成
遺構配置図に空間ゾーニングを書き込んでみました。

ア Aゾーンの性格
Aゾーンに土器埋納遺構及び磨製石斧埋納遺構の4/6が分布します。
発掘調査報告書には土器は土坑に保管され、必要に応じて使われたという想定が可能な記述がされています。また磨製石斧も袋に入れられていた状況が想定され、これも保管され、必要に応じて使われた様子を空想することができます。
このような情報と、Aゾーンには他の石器出土が少ないことから、この場所が祭具保管場所であり、祭具を使った儀式を行う場所ではないと空想します。
Aゾーンには建物はありませんが、観念的には祭具保管神殿のような空間であったと考えます。その神殿前の儀式を行う場所がBゾーン、Cゾーンであると空想します。
なお、磨製石斧埋納遺構のうち2つがCゾーンに分布していますが、この二カ所の石斧は損壊の激しいモノであり、Aゾーンのそれと異なり「送った」跡かもしれません。
イ Bゾーン、Cゾーンの性格
集石遺構(Ⅳ類型)はほとんどBゾーン、Cゾーンに分布します。Ⅳ類型とは集石遺構でも底石や側石が存在する遺構としてしっかりしたものであり、その場所で火を焚き、調理した可能性のある場所です。調理を伴う祭祀を行った可能性のある場所です。集石遺構(Ⅳ類型)の分布からBゾーン、Cゾーンは野外祭祀のメイン会場であったと考えることができます。
ウ 尾根の東向き斜面における遺構分布
Cゾーンの集石遺構(Ⅳ類型)のうち図右側のものは尾根と東向き斜面の接点付近に列状に分布していて、とても特徴的です。
この特徴的分布は、その場所は東側に眺望が開けている場所であり、当時の縄文人の自然観、世界観の中で東方向を見つめる(拝む)ということが重要であったことを表現していると考えます。

3 異形石器出土分布図

異形石器出土分布図
上野原遺跡発掘調査報告書掲載図から作成
異形石器出土分布図に空間ゾーニングを書き込んでみました。

ア A~Cゾーンに分布する
・異形石器の用途がアイヌのイオマンテのような動物送りに使われた飾り矢や飾り槍の先だったと超空想しています。異形石器の出土がその動物送りの場所を指示しているのかもしれません。
・A~Cゾーンに分布することから、次のような空想をすることができます。
空想1…動物送りにもランクがあった。南九州一円の遠方から招待客を招くようなイベントにおける動物送りから、近郷範囲のイベントにおける動物送り、集落独自イベントにおける動物送りなど。そのランクに応じてAゾーン、Bゾーン、Cゾーンが使い分けられた。
空想2…この空間全体が近郷多数集落の共同祭祀場であり、集落ごとに姻戚関係や力関係でランキングが決まっていて、ランクの高い集落主催動物送りではAゾーンが使われ、それよりランキングの低い集落はBゾーン、Cゾーンを使った。
空想3…動物送りが組み込まれているイベント(祭祀)の重大性によって使うゾーンが異なった。例 社会の存続にかかわるような祭祀(長期にわたる天候不順や重大な災害)ではAゾーンを、年中行事ではB、Cゾーンを使うなど。

4 環状石斧・環石出土分布図

環状石斧・環石出土分布図
上野原遺跡発掘調査報告書掲載図から作成
環状石斧・環石出土分布図に空間ゾーニングを書き込んでみました。

ア 環状石斧はBゾーンから出土する
環状石斧(すべて破片)がBゾーンから出土します。これは環状石斧を送るとき、祭祀面で上位ランクのB空間で送ったことを示すと考えます。つまり環状石斧は一般石斧より丁寧に送られたことになると考えます。環状石斧が純粋な祭具だったと想像します。
環石がCゾーンから出土していますが、この意味は分かりません。

5 感想
1~4の検討(空想的検討)要点をまとめます。
ア 霊峰高千穂を仰ぎ、ふもとに集落が見える眺望のひらけた台地北向き斜面が祭祀空間として設定され、高所→低所でゾーニングが行われ、活動により空間が使い分けられた
イ 最高所Aゾーンは最も神聖な空間で祭具保管場としても使われた。保管されていたと想定される完形土器や石斧が出土する。
ウ BゾーンはAゾーン前のメインイベント広場であり、石器を伴う祭祀が活発におこなわれ多数の集石遺構と石器が残った。
エ CゾーンはBゾーンに次ぐイベント広場であり尾根沿いに集石遺構と石器が残された。石器送りの場でもあった。