2020年5月12日火曜日

霧島市上野原遺跡出土埋設ペア土器の意義

縄文社会消長分析学習 15

1 鹿児島県霧島市の縄文早期上野原遺跡の寄り道学習
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)で縄文早期大型集落の例として詳述されている上野原遺跡について、webサイト「全国遺跡報告総覧」から発掘調査報告書をダウンロードできました。この発掘調査報告書を読むと、次から次へと興味のある遺物・遺構・事象が出てきて、くぎ付けになってしまいました。
そこで、しばらくこの発掘調査報告書の学習を行い、九州における縄文早期大型集落についての見聞を深めるための寄り道学習を行います。
ブログ「芋づる式読書のメモ」2020.05.10記事「鹿児島県霧島市上野原遺跡

この記事では手始めに埋設ペア土器についてメモします。

2 上野原遺跡出土埋設ペア土器
上野原遺跡の興味ある多数の遺物・遺構等のうち、土器埋設遺構の一つに2つの土器がペアで出土していることに興味を持ち、情報を集めました。

土器埋納遺構第1検出状況
発掘調査報告書から引用・追記(遺構範囲を青点線でなぞっています)
(※発掘調査報告書では「土器埋納遺構」という表現をしていますので、引用はその通りにします。ブログとしての表現は山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)の表現に従い、「土器埋設遺構」とします。)

この写真を見ると、2つの壺形土器が出土していますが、この口縁部形状がなんと四角と円で異なります。異様な雰囲気を察知します。
調べるとウィキペディア「上野原遺跡」に掲載されている2つの土器がこの検出土器のようです。

ウィキペディア「上野原遺跡」掲載写真
ウィキペディア「上野原遺跡」から引用

さらに情報を手繰ってみると小林達雄編「総覧縄文土器」(アム・プロモーション)の口絵に出ている写真もよく見ると口縁部が四角で、この遺構出土土器のようです。

鹿児島県上野原遺跡 早期 平栫式 鹿児島県埋蔵文化センター蔵
小林達雄編「総覧縄文土器」(アム・プロモーション)から引用

口縁部四角と円形の2つの土器が同じ遺構から出土していることは否が応でも興味を惹きます。
縄文後晩期にコップ形土器などと称して口縁部四角の例を見ていますが、縄文早期では初めてです。

3 発掘調査報告書の記述
発掘調査報告書でこの遺構を調べると次のような出土状況を知りました。

土器埋納遺構第1の断面
2つの土器を転ばすことのないような丁度よい大きさの2つの穴を複合して一つの土坑に作っています。
発掘調査報告書ではこの土坑で火を焚いたことは大きさからあり得ない。しかし土器はススが付着し使用感がある。また土器内部堆積物分析では人骨や食料を入れて埋まった形跡は無いという理化学分析の結果が出ています。したがって、この遺構に土器を保管して、必要な時に使ったのではないかという趣旨の記述をしています。

土器埋納遺構第1出土土器
口縁部四角の土器底面は少し湾曲していて自立できないそうです。

土器埋納遺構第1の場所
土器埋納遺構第1の場所は台地南端の最高高度部付近でかつ北向き(集落方向向き、霧島向き)の場所です。
この場所の意味は大いに興味を惹きますので、別記事でさらに検討を深めます。
桜島を向いているのではなく、霧島を向いて祭祀活動が行われているのです。!!!

4 埋設ペア土器の意義
口縁部四角と円形の2つの土器がペアで出土した様子は以下の例と同様の縄文人心性に起因する活動の結果であり、「異質な2者の対置と象徴操作」の結果であると考えます。

異質な2者の対置と象徴操作 のある断面を表現しているとこの写真を意味付けします。
ブログ「芋づる式読書のメモ」2020.05.10記事「谷口康浩編「縄文人の石神 ~大型石棒にみる祭儀行為~
異質な2者が、男女であるのか、死と生であるのか、2集団であるのか興味はますます深まります。

5 夫婦土器の例

加曽利貝塚出土異形台付土器のペア

加曽利貝塚出土異形台付土器ペア出土状況

佐倉市井野長割遺跡第2次調査1号住居跡出土大小ペア異形台付土器
「縄文時代の技と祈り」(1995、八千代市歴史民俗資料館)から引用

町田市広袴遺跡の大小ペア異形台付土器
「縄文時代の技と祈り」(1995、八千代市歴史民俗資料館)から引用

2点並んで出土した縄文中期深鉢形土器(茅野市下ノ原遺跡)

2点ならんで出土した様子の説明

五領ヶ台式土器 上谷遺跡 埋納土器 上谷遺跡
八千代市郷土博物館展示

出土の様子 八千代市郷土博物館展示から引用


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