2020年5月13日水曜日

縄文早期の環状石斧に驚く

縄文社会消長分析学習 16

霧島市上野原遺跡の発掘調査報告書をwebサイト「全国遺跡報告総覧」からダウンロードして向学のために寄り道学習しています。(因みに、紙本を古書店検索で探したところ、第三工区分だけで合計24000円でしかも欠冊ありです。全国遺跡報告総覧から発掘調査報告書を入手できることに感謝します。)

驚きの連続です。

1 環状石斧の出土
上野原遺跡から環状石斧が出土しています。発掘調査報告書でも縄文早期に環状石斧の出土例は耳にしたことがないと驚きを隠していません。

出土した環状石斧
上野原遺跡発掘調査報告書から引用

環状石斧の挿図
上野原遺跡発掘調査報告書から引用

出土した環石
上野原遺跡発掘調査報告書から引用

環石の挿図
上野原遺跡発掘調査報告書から引用

環状石斧・環石等の出土分布
上野原遺跡発掘調査報告書から引用

2 千葉県の「環状石器展」
千葉県では昨年から今年にかけて「環状石器展」が開催されました。

埋蔵文化財ロビー巡回展 環状石器展 パンフレット

弥生時代の主な出来事と南関東で環状石器が出土した時期
パンフレット「令和元年度埋蔵文化財ロビー巡回展 環状石器展」から引用

千葉県では弥生時代中期をメインにして、縄文晩期から弥生後期まで出現したと考えられているようです。より具体的には水田耕作が始まってから鉄器が普及するまでの期間が環状石器が使われたメイン時期と考えられているようです。
大陸からの文化的影響をもろに受けるようになって環状石器が出現し、鉄器登場とともに衰退したという見立てのようです。

3 感想
千葉県では弥生時代に出現した環状石器が、霧島市上野原遺跡では縄文早期に出土しています。この時間落差にいくら素人とはいえ強い驚きを禁じえません。
「環状石器が大陸固有文化であり、縄文早期に九州に伝来して、上野原遺跡でも使われた。しかし、喜界カルデラの爆発で九州縄文文化が途絶し、環状石器も途絶えた。その後、5000年経って稲作技術とともに再度環状石器が日本に伝わり、200年間ほど盛行した。」と想像します。

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