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2016年7月10日日曜日

鏡味完二の地名型検討のまとめ

千葉県小字データベースの試用として鏡味完二地名型を千葉県小字から抽出して検討してきて、完結しました。

この記事では鏡味完二の地名型検討の内容についてまとめます。

千葉県小字データベースの試用によるデータベースの改良点等の検討は別記事で行います。

1 鏡味完二の地名型検討結果のまとめ

鏡味完二の地名型検討結果を次の一覧表にまとめました。

鏡味完二の地名型検討(予察的検討)結果まとめ

地名が全く検出できなかったのは3のスエ・ハジだけです。しかし関連する地名「ハニ、ハネ」が抽出されましたので、地名と古代窯業との関連を検討することができます。

鏡味完二の地名型の説明で首肯することが出来なかったのは、1のイラ・エラが母音相通であるということ、7の条が条里に由来するということ、11の轆轤が木地屋と関連するということ(ただし房総に限定しての話)の3点でした。

全体として、鏡味完二の地名型選定は開発地名に焦点を絞っていて、また時代別になっているので、興味の尽きない作業となり、地名と歴史に関わる自分の知識を大幅に増やすことができました。


2 派生した興味

鏡味完二地名型検討の中で、次のような興味が派生して、既に検討がスタートしたものもあります。

鏡味完二の地名検討の中で派生した興味

縄文時代に由来する地名検討のきっかけをつかめたような気がしています。

また窯業だけでなく製鉄・鍛冶や漆、牧、養蚕等の開発地名検討のきっかけもつかめました。

さらに地名と遺跡・墨書土器データベースとのリレーションをとることにより、地名情報を使って考古歴史検討を深めることができそうなイメージを持ちました。

2016年7月9日土曜日

地名型「開墾」、地名型「農場」の千葉県検索結果

鏡味完二の地名型全21の最後の2つである「開墾」と「農場」について検討しました。

1 鏡味完二の検討 地名型「開墾」、地名型「農場」

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-kaikon,-nozyo,-dantaiの地名

"~開墾","~農場","~団体"などという地名は,多くは原住の地名(県名や国名が多い)を冠し命名されている。

これらの地名は,関東地方の周辺部と,北海道とに多く分布している。

その分布の中心は相変らず江戸であるが,江戸時代には未だ北海道はなお開墾が始まっていなかったが,明治以後になると東京中心の政治力の下に,北海道から,遠くは満洲方面に亘って,現代語によるこれらの開墾地名が発達するようになった。

〔地図篇,Fig.212〕

鏡味完二(1981)「日本地名学(上)科学編」(東洋書林)(初版1957年) から引用

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2 千葉県における小字「開墾」、「農場」の検索結果

千葉県小字データベースから「開墾」、「農場」それぞれ1件つづがヒットしました。

小字「開墾」及び農場

分布は次の通りです。

小字「開墾」、「農場」分布

なお、「開」のつく小字は千葉県で55あり、「新開」、「開発」、「~開」、「開~」、「古開」などがあります。いずれも農地開発に関わる地名であると考えられます。

2016年7月8日金曜日

地名型「新田」の千葉県検索結果

鏡味完二の地名型全21の19番目「新田」について千葉県小字データベースを試用して検討します。

1 鏡味完二の検討 地名型「新田」

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Sindenの地名

"~新田"という開墾地名は,多くの文献を整理してみると,江戸時代前~中期に盛行し,その最盛期は1650~1700年頃となる。

その新らしい例は明治維新まで時代が下る。

分布のPatternは明確に江戸中心である。

〔地図篇,Fig.237〕

(Fig.22,No.19)

上述の2つの地名型,SyukuとSindenは江戸中心の分布Patternを示し,何れもその地名個数が前代未聞の移だしい数に上っていることから,江戸時代における実際上の政治中心の東方移動によって,とくに東北日本の開墾が躍進し,西南日本に対して東北日本の文化の比重が重きを加えた時代であったことを知る。

鏡味完二(1981)「日本地名学(上)科学編」(東洋書林)(初版1957年) から引用

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2 千葉県における小字「新田」の検索結果

千葉県小字データベースから802件の「新田」を含む小字を抽出しました。

出現数の多い名称は次の通りです。

小字「新田」の名称内訳

なお、日本の地名では個人名が冠されることは稀ですが、新田地名に限ると個人名が冠されたものが存在します。

●個人名が冠された新田小字の例

喜兵衛新田(市原市)、九郎左エ門新田(松戸市)、重兵衛新田(成田市)、南伊左衛門新田(大網白里市)、北伊左衛門新田(大網白里市)

分布は次のようになります。

小字「新田」分布

千葉県全域に分布しますが、詳細に観察すると地域によって偏在している様子をみることができます。

九十九里浜の低地には特に密に分布しています。

新田地名の詳細な検討は今後の課題とします。

2016年7月7日木曜日

地名型「宿」の千葉県検索結果

千葉県小字データベースの試用として、鏡味完二の地名型全21について検討しています。

これまでに先史地名4、古代地名10、中世地名3の検討が済んでいます。

先史地名と古代地名の検討は房総原始古代史と重ね合わせて、大変興味を持ちました。

地名という地味な対象ですが、ワクワクドキドキした検討も多くありました。

中世地名は、地名の出現数が大変少なく、興味を深めるきっかけがありません。

房総の原始古代史は大変濃いけれど、中世になると薄くなる(日本で占める房総の役割・意義が縮小する)ような印象を持ちます。

この記事から近世地名の検討を行い、この記事を含めて4記事で地名型検討を全部カバーする予定です。

参考 鏡味完二の地名型

1 鏡味完二の検討 地名型「宿」

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Syukuの地名

"~宿"という地名については次のような文献がある。

平安~鎌倉時代の浮浪民の集落は,之をAmabeといわずSyuku(宿)といった(喜田博士)。

江戸時代に至り駅を専ら宿といった(金沢博士)。

Nii-Syuku(二井宿,新宿)は戦国時代の記録にのっている。

宿地名は交通路に沿わぬものは,比較的大型の密集集落に名付けてあるらしくみえる。

町も相当多く存在するが,大型集落を指すもの,士族の居住地を指すもの等がある。

置賜に多いのは慶長元年以後に,米沢藩で屯田兵を配置した関係による。

農兵でも自己の居住地を町または宿と称して,他の農村と区別したものである。

村山では館または城に附属しているのが見受けられる。(長井博士)。

埼玉県あたりでは"宿"というのは,非農業的機能をもつもので「町」と同義である(中島義一氏)。

以上を総括してみると"宿"の地名の意味は,初めの頃は「浮浪民の集落」であったのが,後には「町」の意となったらしい。

そしてその時代は,平安末~鎌倉・室町頃から江戸時代に及んでいることになる。

中島義一氏の研究によると,相模の"原宿"の地名は寛永年間(1633)の集落設定の際に,新らしく命名された名である。

またこの地名の分布Patternをみると,明らかに江戸中心に発達している。

従って吾々は"~宿"という地名は,大体において江戸時代初期に形成されたものと推定することができる。


〔地図篇,Fig.327〕


(Fig.22,No.18)

鏡味完二(1981)「日本地名学(上)科学編」(東洋書林)(初版1957年) から引用


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2 千葉県における小字「宿」の検索結果

千葉県小字データベースから482件の「宿」小字を抽出しました。

内訳は次の通りです。

小字「宿」の名称内訳

よみは「シュク」が最も多く、次いで「ジュク」、「ジク」となります。

分布は次のようになります。

小字「宿」分布

千葉県にほぼ満遍なく分布するような様相となっています。

宿の立地条件がどのようなものであるか分析すれば、地名「宿」の発生の様子を推察できると考えます。

その検討は今後の課題とします。



2016年7月3日日曜日

地名型「田代」の千葉県検索結果

このブログでは千葉県小字データベースの試用として鏡味完二の地名型について千葉県小字を検索して予察的検討をしています。

この記事では地名型「田代」を検討します。

1 参考 鏡味完二の地名型

鏡味完二の地名型

2 鏡味完二の検討 地名型「田代」
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Tasiroの地名

"田代"は疑なく開墾地名である。

その分布は大体,Yasikiと大同小異であるが,四国の大半が開拓地域から充実地域に進化している点で異り,それだけ時代の進行を示している。

"田代"の地名は柳田先生の指摘のように,峡谷(ここに"軽井沢"の地名あり)を越えて入り込んだ,山間の小盆地にこの田代の地名があるという傾向が存在するのは,近畿文化の最後の時期の開墾が,このような山間部に及ばなければならなかった事情として考えられる。


〔地図篇,Fig.269〕


(Fig22.No.14)

鏡味完二(1981)「日本地名学(上)科学編」(東洋書林)(初版1957年) から引用

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3 学習 柳田國男の田代と軽井沢

鏡味完二が言及しているように柳田國男は「地名考説」のなかで「田代と軽井沢」という項目をたてて田代の意味と田代と軽井沢の関係を検討してます。

そのうち、田代に関する部分を引用します。

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此序に一言したいのは輕井澤と田代と云ふ地名との關係である。此二地が縷々相接してあることはよもや偶合ではあるまい。例へば、

伊豆田方郡函南村大字輕井澤
同 同 同 大字田代

岩代大沼郡東川村大字輕井澤
同 同 同 大字田代

羽後雄勝郡田代村大字輕井澤
同 同 同 大字田代

同 北秋田郡十二所町大字輕井澤字輕井澤
同 同 同 大字葛原字田代

少し離れては居るが上野吾妻郡嬬戀村大字田代なども、淺間山の東側を傳つて碓氷の輕井澤と通うて居る。

この田代と云ふ地は全國に何百とあるが意味の深い地名だ。

田代と云ふ語は近世の書物には單に耕地の意味に用ゐられて居るのもあるが、其字義から推しても又其所在が多く入野の奥であることを考へても、もとは唯水田適地と云ふことで、上古の文書に墾地などゝあるのと同じ意味であつたらしい。

天平十六年の大安寺資財帳に、伊勢國三重郡采女郷十四町の内譯、開田二町五段未開田代十二町、同員辨郡宿野原五百町、開田三十町未開田代四百七十町などゝある。

この未開田代はやがては田代と云ふ地名の起原であらうと思ふ。

降つて績左丞抄に探録した建久六年の若狭の國富保の文書などには、前には田三十四町一反餘の内譯、見作(現作)二十五町三段餘、田代八町八段餘とあり、後には同じ敷字を再起して、見作田何程荒何程としてある。

要するに開けば水田に成るべき地のことゝ考へられる。

其田代が今は大抵開かれて一區の村里の名になつて居ることは、以前其下流又は隣接地に本村などがあつて、早くから水田適地として此地に着目して居たのを人口が増すにつれて開作に手を下したと云ふことを意味し、多くの田代が随分の山奥にあるのは、今日でも北海道樺太の新村で米を栽培したがると同一の人情で、水の手の乏しい高地を拓くに至り、愈ゝ米作の希望を痛切にした結果が、地名となつて残つたものと思ふ。

而うして其田代に接近して存する輕井澤が、負搬してまでも道路を求めた人間移動の流れの溝口を意味するとすれば、是だけでも昔の田舎の生活が偲ばれる。

伊豆の今一つの田代などは、源平時代に既に狩野氏の分家が入つて住んで居た。

柳田國男「地名考説」(定本柳田國男集第20巻)から引用
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柳田國男は軽井沢(馬も通れない急峻な峠を人が荷を背負って運んだことに因む地名)と田代がツインで存在していることに着目して、田代とは山奥の水田適地のことを意味していたと考察しています。

鏡味完二はこの考察を踏まえて地名型として田代を設定したと考えます。

なお、辞書では田代の説明を次のように行っていて、柳田國男説と同じく田にするための土地(まだ開田されていない湿地)の意味も含めています。

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た‐しろ【田代】

〖名〗 田地。田となっている土地。また、田にするための土地。でんだい。

多度神宮寺伽藍縁起資財帳(801)延暦二〇年一一月三日「合墾田并田代捌拾町肆段参〓肆拾歩」

山家集(12C後)下「たしろ見ゆる池の堤の嵩添へて湛ふる水や春の夜のため」

補注 現在も山中の湿地について田代と呼んでいる例が少なくないから、まだ開田されていない湿地をいうか。

『精選版 日本国語大辞典』 小学館 から引用
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4 千葉県における小字「田代」検索結果

小字「田代」は37件ヒットし所在市町は市原市、君津市、富津市、大多喜町、館山市、鴨川市、南房総市に限られました。

その分布図は次の通りです。

「田代」小字分布

「田代」は房総半島の南部に偏在し、かつ地形の険しい土地に多くなっていることがわかります。

「田代」が房総半島の南部に偏在している理由や田代の意味がかつて開発適地であったことを意味しているかどうかという検討は今後の課題とします。

なお、小字「軽井沢」は柏市に1個所あります。

「軽井沢」と「田代」とは、千葉県では関係ないと考えてよいと思います。



2016年7月2日土曜日

地名型「~屋敷」の千葉県検索結果

このブログでは千葉県小字データベースを完成させたので、その試用として鏡味完二の地名型について千葉県小字を検索して予察的検討をしています。

この記事では地名型「~屋敷」を検討します。

1 鏡味完二の検討 地名型「~屋敷」
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~yasikiの地名

この地名も豪族屋敷に由来し,荘園時代以後の名田開墾が盛行した鎌倉時代の地名である。

この地名の分布では,広大な充実地域が,広島から静岡までの間に拡がり,奥州や九州にもこの地名が多い。

〔地図篇,Fig.312〕

(Fig.22No.13)


概念図説明
開墾地名では,分布の粗密によって3つの地域に区分することができる。

開墾地名のこの区分された地域を,次のように命名することができる。

文化の中心から縁辺へと順次,(1)充実地域(Completed Region),(2)開拓地域(Pioneer R.),(3)開拓縁辺地域(Pionee Fringe)。

また分布のあるものには(1)と(2)との間に,前充実地域(Incompleted R.)を入れて,4地域とすることのできるものもある。

充実地域というのは,その時代の文化水準では,開墾が一応終了して新村の樹立がない地域,開拓地域には最も高密度にその語根型の地名が分布しており,開拓縁辺地域には,その地名が疎らに分布するのみである。

前充実地域にも同様に疎な分布がみられ,開拓が大部分すんでいて,充実地域に移行する漸移型を示すのである。

上表に掲げた地名は殆んどこのような配列をとっている。

開拓地域の前縁は,開拓前線(Pioneer Front)と称することができ,この線の通過する位置によって,開拓の進行する地域を捉えることができる。

鏡味完二(1981)「日本地名学(上)科学編」(東洋書林)(初版1957年) から引用

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2 千葉県における小字「~屋敷」検索結果

「~屋敷」は486件ヒットしました。

その分布図は次の通りです。

「~屋敷」小字分布

大局的にみると千葉県全域に偏在することなく分布しているように見えます。

詳しくみると分布が密集しているところと疎のところとがあり、この地名が流行した当時の開発地域をしめしていると考えます。

この地名分布と中世遺跡分布を重ねるとこれまで気が付かなかった情報を得ることができるかもしれません。

それは今後の課題とします。