2011年12月5日月曜日

花島は河川争奪の生き証人

花見川現地調査報告6

1 花島付近の地形
花島付近の地形分類図(予察図)と地形横断図を示します。
花島付近地形分類図(予察図)

地形横断図

次の写真は花島橋の袂から花島の斜面をみた風景です。
笹と斜面保護工に覆われていて、地層を観察できる露頭は残念ながらありません。斜面の表土は褐色シルト質細砂です。ロームそのものはないようです。

花島の川表斜面

花島は川表だけなく、全体が周辺より1m程度高くなっていて、現地でよく見ると、軍艦のように見えます。
周辺の低位面であると予察した平坦面も意外と高低が目立ちます。
このような明瞭な高低は柏井付近の低位段丘ではほとんどありませんでした。
次の図にこの観察結果を示します。
花島付近の地形詳細図
この図では、低位段丘と予察した平坦面を等高線高度別に区分するとともに、池縁の標高11m等高線で囲まれる範囲を抽出しました。また花島周囲の崖を示しました。

2 花島の不思議
●花島の谷津(*)の出口を塞ぐような形で花島があること自体が大いに不思議です。河岸段丘ができていく過程で、その出口を塞ぐ位置に半島状に地形面がのこり、一部が島状になることなど普通はあり得ません。普通は真っ先に侵食されてしまう場所です。

●さらに、柏井の段丘分布からみたように川は北方向に流れていました。ところが、池の形と地形面の高低からわかるとおり、段丘形成後の花島の谷津の水流は南に向かって流れて本川に合流しています。

この2つの不思議について、現場で地形を見ながら、河川争奪とのかかわりから、次のような地形発達の仮説を考えてみました。

*この場所の地名は「谷津」ですが、一般名称と混同するので、「花島の谷津」とします

3 河川争奪と関わる花島の地形発達
現場を歩いていると、デスクでパソコンにかじりついている時と違って、思いもよらない斬新な発想が湧くことが多くあります。
花島付近を歩いていて、花島の不思議について考えた、現場生まれの仮説を紹介します。
今後この仮説を実証するような証拠を集めたいと思います。

3-1 河岸段丘低位面が河床(谷底)であった時代
河岸段丘低位面が河床(谷底)であった時代があります。
V字谷の谷底が埋積されていた時代です。 川(古柏井川)は北流しています。
河川争奪前の花島付近

3-2 河川争奪が始まった頃
東京湾側水系が古柏井川の河床(谷底)を谷頭侵食により争奪しはじめ、谷頭侵食の前線が南から北に向かいます。 谷頭侵食の前線が花島に近づいたころの説明図を次に示します。
河川争奪進行中の花島付近

古柏井川の上流(南側)は争奪されてなくなっているので、川に流れはほとんどありません。
このような時、数十年に1度とか数百年に1度の大雨が降り、花島の谷津から多量の水が流れ出したとします。その時、本流に流れはありませんから、また河床の勾配はわずかですから、谷津から流れ出した水は北方向にも、南方向にもあふれるように流れ出すと思います。
南方向にあふれ流れだした水が谷頭侵食の前線に到達すれば、そこから新たな谷頭侵食が派生します。一つの流路ができます。
こうした大雨を何度か経て花島の谷津の水が南方向に流れる流路ができてしまいます。
花島の不思議(谷津を塞ぐ段丘の存在と谷津出口における南流)はこのような出来事で説明できると想像します。

3-3 河川争奪のクライマックス期
河川争奪のクライマックス期には、谷頭侵食前線は柏井を通りすぎて北上しています。柏井で合流する前谷津、後谷津にも入っています。
その頃(谷頭侵食前線が花島を通りすぎた頃)の花島付近の説明図を次にしめします。
谷頭侵食前線が通過後の花島付近

もともとあったV字谷の古柏井川の河床に新たなV字谷(谷中V字谷)が形成されました。
花島の谷津にも同じく谷中V字谷がされました。
谷中V字谷の谷底の標高はボーリング資料から花島付近で-2m前後と想定しています。
旧河床の標高が14m~16mですから、谷中V字谷が作った崖の比高は16m~18mくらいになります。
旧河床は谷中V字谷形成のため破壊が進み一部が河岸段丘となりました。花島の谷津の流域規模が小さく、流量が少ないため、谷中V字谷による旧河床の侵食破壊が中途半端におわり、現在のような花島と高度の低い(10m程度)平坦面も合わせて残りました。

(花島の低位面の高度が低いのは地殻変動によるものと最近まで考えていましたが、現場を見て、そうではなく、中途半端な侵食・・・崖による谷頭侵食だけでなく、平面を削るような侵食を含めて・・・によるものであると考えを変えました。)

3-4 縄文海進期
最終氷期が終わり、後氷期になると縄文海進により、河川争奪により形成された谷中V字谷が埋積され、現在の地形の原型ができました。埋積された谷底の標高は4~5mくらいです。
縄文海進期の花島付近

2011年12月4日日曜日

柏井付近の地形地質 下

花見川現地調査報告5

V字谷形成前の浅い谷地形の発見

東岸の台地上の広い緩斜面の存在は空中写真実体視でわかっていたのですが、現地を歩いて対岸(最成病院付近)にも同様の緩斜面が広がっていることを確認しました。
早速空中写真を見ると、樹木の存在に騙されて、緩斜面の存在を見落としていたようです。

この調査結果を地形分類図(予察図)に反映させてみました。
地形分類図(予察図を一部修正)

断面図

その分布から両岸に広がる緩斜面は、V字谷形成前の古柏井川の浅い谷であると考えました。
下総台地が形成されて最初に刻まれた谷地形(古柏井川)が、化石のように残っていたものと考えられます。
同様の緩斜面は東岸の北400m(柏井ポンプ場付近)にもあり、さらに北の西岸にも分布しています。

古柏井川の浅い谷地形

2011年12月3日土曜日

柏井付近の地形地質 中

花見川現地調査報告4

1 調査地点情報
次に調査地点の位置図を示しました。
調査地点位置図
基図は千葉市提供DMデータを使用しました。

事前に米軍が昭和24年に撮影した空中写真の実体視により作成した地形分類図(予察図)を次に示します。
事前に作成した地形分類図(予察図)

地形断面を次に示します。

断面1
千葉市提供DMデータ等高線情報から作成しました。

断面2
千葉市提供DMデータ等高線情報から作成しました。

2 高度から段丘面を2区分する
現地では高度から、河岸段丘がほぼ14mから16mの高さの低位面とほぼ18mから20mの高位面に区分できることが判りました。
事前に作成した地形分類図(予察図)の一部を修正する必要が生じました。
低位面と高位面が接するところには1m~2m程度の小崖が確認できます。
現地で予想した段丘面の分布と区分

3 高位面の露頭
露頭1、2は高位面を切っている断面です。

露頭1
露頭の上部は未固結黒色腐植質細砂、中下部は未固結褐色細砂になっています。
段丘面上は人為の影響を強く受けているので、この露頭がフレッシュな地層断面を表現していない可能性を排除できません。

露頭2
ローム質シルトが観察できます。
周辺の人為改変により、観察しているものが真に地層構成物であるか100%の確信を得られません。

想像たくましく考えれば露頭1、2の細砂、シルトは人為の攪乱を受けていたとしても、もともとの段丘堆積物であると思います。

露頭3
高位面背後の段丘崖付近の露頭です。斜面に堆積したロームのようです。

集落が立地してフレッシュな露頭が皆無の地域の段丘堆積物調査方法について、どのような専門的調査方法があるのか、情報収集してみたいと思います。
現場調査経験を積むことが一番大事だと判りますが、それ以外の方法(住民ヒアリング、井戸やボーリング資料入手、ハンドオーガー調査、…)について検討してみたいと思います。

4 段丘を作った古柏井川の流向
河岸段丘を作った古柏井川の流向を証明する方法として、地質面からの方法としては、段丘堆積物が礫である場合、その地層断面を観察できれば、インブリケイションの方向で流向を直接明らかにすることができます。
しかし、古柏井川の段丘堆積物は細砂やシルトであることが判ってきたので、この方法は使えない可能性が大です。

地形面からみると、谷津流心線の方向、段丘面分布から北に向かって流れていたことが証明できます。
段丘を形成した当時の古柏井川の流向

仮に異をとなえて、河岸段丘を作ったころの川の流向を、現在と同じ南方向に流れていたとすると、次のようなあり得ない地形形成を説明しなければならなくなります。
あり得ない古柏井川の流向

2011年12月2日金曜日

犢橋小学校柏井分校

柏井付近の地形地質調査をしている時、自分にとって予期せぬ場所に犢橋小学校柏井分校跡地を見つけました。
南柏井公園の看板があり、分校敷地跡をそのまま千葉市立公園にしたものであるようです。露頭をもとめて普段の散歩では入らない小径の先で見つけました。
この公園の情報は千葉市等のホームページからは得ることができませんでした。

柏井分校跡地の全景

柏井分校跡地の説明板

北柏井、南柏井の集落の人以外で、この分校跡の存在を知る人は、教育関係者を除いて、おそらくほとんどいないのではないかと想像しました。
近くの新興住宅団地に住んでいる自分がこの分校跡地の存在を知ることができたことは、言葉で十分説明できませんが、なにかラッキーな感じがしました。

現地の説明板には次の文章が書かれています。 ……………………………………………………………………
明治31年(1898年)、泉蔵寺におかれた柏井分教場が昭和5年(1930年)の、この地に移りました。
昭和22年(1947年)教育制度が改められ、柏井分教場は柏井分校と名前が変更されました。分校では、1年生から3年生までの子供が学び、4年生以上の子供は犢橋小学校に通いました。
昭和43年(1968年)、花見川団地内に千葉市立花見川第二小学校ができ、分校で学んでいた子供達は花見川第二小学校に通うことになりました。それにともない柏井分校は廃止され、70年もの長い歴史を閉じました。
……………………………………………………………………

柏井分校の位置とこの説明に出てくる二つの小学校の位置を地図にプロットしてみました。
柏井分校等の位置図

北柏井と南柏井の集落の人々にとって柏井分校の存在は子弟の教育をする上で、近距離に学校を確保するという意味で重要な役割を果たしていたことがこのマップから推察されます。
また、花見川第二小学校ができて北柏井と南柏井の子供の通学距離と施設面の教育環境改善が図られてことが判ります。
しかし、柏井橋が歩行者に危険な現状では、南柏井(花見川東岸)の子供の通学上の安全に重大な問題があります。
大人の私でも、柏井橋を歩行で通過することは危険を感じます。

花見川第二小学校の校区
花見川第二小学校ホームページより

2011年12月1日木曜日

印旛沼堀割普請人夫の供養塔?

北柏井の崖下段丘上の住民の方から、花見川対岸の南柏井共同墓地の先の雑木林の中に印旛沼堀割普請の途中に死亡した人夫の墓があると教えていただきました。

その場所に行ってみると、小さな石塔が6基ありました。
年号を見ると明暦、享保、宝暦などそれぞれ別の年代に、同じ路傍に建てられた供養塔のようです。

この中に印旛沼堀割普請で死亡した人夫の供養塔があるのかもしれません。 いつか調べてみたいと思います。
供養塔
供養塔
供養塔の位置

2011年11月30日水曜日

柏井付近の地形地質 上

花見川現地調査報告3

柏井付近の現地調査結果のうち、北側の部分を報告します。

 1 調査地点情報
次に調査地点の位置図を示しました。
調査地点位置図
基図は千葉市提供DMデータを使用しました。

調査地点のプロットはGPSデータをパソコンが機械的にプロットしていますから正確です。

この調査位置図に対応した地形分類図(予察図)を次に示します。
昭和24年撮影米軍空中写真実体視により作成しました。
事前に作成した地形分類図(予察図)

 また地形断面を次に示します

断面1
 千葉市提供DMデータ等高線情報から作成しました。

断面2
 千葉市提供DMデータ等高線情報から作成しました。

 2 緩斜面と凹地
 北柏井集落の乗る河岸段丘の北に広がる台地は、標高28m等高線より西側が平坦な地形面、東側が緩斜面になっています。
その緩斜面の中に、18.4mの測量ポイントのある大きな凹地があります。
断面1でもその縁が表現されています。
写真1は緩斜面上から東側(花見川方向)を見た時の風景です。
写真1
 緩斜面上から東側の風景 中心部から外れていますが、凹地形が確認できます。
凹地中央部は藪(雑木林)になっていてその内部の巨大すり鉢状地形は肉眼では観察できますが写真では表現できません。
普請盛土で出口を失った凹地です。

耕作されている方にヒアリングすると、雨が降ると水がたまるため戦後底の部分で水抜きの工事をしたことがあるとのことです。

 緩斜面を構成する地層を見ることのできる露頭の存在は見つけることができませんでした。
川表の崖は竹林となっていますが危険で近寄れません。
北柏井集落の乗る段丘面背後の崖は私有地で今回は入れませんでした。

 調査位置図に示した「地表面観察」場所では耕地の土質は褐色ローム質細砂か灰色中砂でした。
ローム層起源の土壌とは異なるので普請盛土起源であることが示唆されます。

崖下人家の住民からヒアリングしたところ、「崖から凹地までの一帯は全て普請盛土であり、だから土地が肥えていると先祖から伝わってきている」との話を聞くことができました。
水はけのよい砂地の土壌の特性を生かした畑作が行われているものと想像しました。

写真2
 北柏井集落の乗る段丘面上から背後の崖を望む。

この崖を調査すれば背後の緩斜面を構成する地層を確認できる可能性があります。

 現場観察から、北柏井集落の乗る段丘面が北方向に連続していてそこに普請盛土が行われ、一見台地のような緩斜面が作られ、一部が埋め残されて大きな凹地ができたと考えました。

 3 北柏井集落の乗る河岸段丘
北柏井集落の乗る河岸段丘の構成地層を観察するために露頭を探しましたが、見つかりませんでした。
路傍や人家の庭の土質はローム、褐色細砂、褐色シルトなどでしたが、地層に由来するのか、人工的なものなのか不明です。(おそらく地層由来ではあるが、人工的に撹拌されたものと現場では感じました。)

4 後谷津北側の河岸段丘
写真3は後谷津北側の河岸段丘の全景写真です。
写真3
後谷津北側の河岸段丘

 段丘端から北側を見た風景です。画面左側が花見川です。
地形面としての高さは花見川対岸の北柏井集落の乗る河岸段丘より2mほど高く、高位の段丘として捉えることができます。
段丘上の耕地の土質は手前から細砂やシルト、ローム、ロームと砂の混合と帯状に変化するので、段丘面の構成地層とその上の普請盛土の存在を推測できます。

 この段丘の構成地層を観察できる可能性のある場所が露頭2です。
露頭2

露頭2では、露頭下の地面に上層より固結した砂層があり、露頭崖には固結していない褐色の細砂・シルトが観察でき、その上にロームがあります。
ただ、露頭は笹などの植物に覆われ、私有地で植物を剥ぐわけにもいきませんので、最初の観察ですから無理はしませんでした。
土地関係者の了解を得てから、本式調査をしたいと思います。

柏井付近の河岸段丘地形面を構成する堆積物を直接観察できる貴重な露頭だと判断しました。

褐色の未固結細砂・シルトが段丘堆積物であると考えました。

露頭断面で堆積状況を観察できれば、段丘堆積物の特性情報が入手できると思います。

露頭1

 露頭1は川表の崖で段丘堆積物を観察できる位置にあります。
実際に観察できたものは上から崩落してきたと思われる砂質ロームです。崖の観察を子細に行えば段丘堆積物を観察できるかもしれません。

 5 後谷津北側の河岸段丘の東の台地
後谷津北側の河岸段丘と南柏井共同墓地に挟まれた台地は、その標高が24~26mで付近より低くなっています。
この台地の露頭付近の状況を次に示しました。

露頭3

 この露頭ではローム質砂などが観察できますが、層構造を確認できません。逆に近くに貝混じりの砂などがあり、露頭全体が普請盛土であるという感じを強く受けます。
露頭が急崖であるため最初の調査でそれ以上の十分な観察ができませんでした。
今後の調査で正確な情報を得たいと思います。

地形分類図(予察図)と異なり、現地調査では、この露頭から、台地の一部が河岸段丘上に築かれた普請盛土であるかもしれないという考えを持つに至りました。

 6 現地調査結果により想定した河岸段丘面の分布
現地調査の結果、次に示す河岸段丘の分布を作業仮説として考えるようになりました。
露頭観察調査を繰り返し行い、正確性と情報の増大を図ることにより、この作業仮説を検証したいと思います。
河岸段丘面の分布(一部)(仮説)

普請盛土に覆われて隠れてしまった部分を想定復元して作成した古柏井川河岸段丘面の分布図(一部)です。

2011年11月29日火曜日

横戸付近の今後の地形地質調査について

花見川現地調査報告2

1 東岸の古柏井川河岸段丘の地形
東岸の古柏井川河岸段丘と考えられる地形面(平坦面)とその背後の崖(侵食斜面)の存在、分布は米軍空中写真で事実を把握できました。
この上に乗る普請盛土の分布も同じく米軍空中写真と現場踏査から把握することができます。
地形分類図(予察図)は精度が荒いので、GIS上で目一杯拡大しても不都合の少ない本図を作成したいと思っています。

2 東岸の古柏井川河岸段丘の地質
問題はその地形面を構成する地層をいかに観察するかです。
幸い東岸のサイクリング道路沿いには小露頭がいくつかあるので、小露頭の情報を横に連続させていけば、最後には崩落土や植生に邪魔されないで、地層全ての情報を得られる可能性がありそうです。
難渋することは必至ですが、幸い植物も枯れだしたので調査は実施できそうです。
もし情報が得られれば、それは得難い重要情報になると思います。
東岸の露頭で古柏井川河岸段丘の構成地層を観察できれば、地形で明らかになったことを、地質においても証明することになり、さらに勝田川河岸段丘との対比も確実に行うことができる可能性があります。

現時点では次のような地形面分布と地層断面を想定していますが、予断を持たずに露頭調査にチャレンジしてみたいと思っています。
想定する古柏井川河岸段丘面分布
想定する地層断面

普請盛土の下に段丘面を構成するローム層やその下の堆積層を見つけるだけ程度の観察スキルは、40年ぶりの露頭観察であってもありそうです。
問題は斜面で崩落土と植生に勝てるだけの体力があるかどうかです。

3 西岸ゴルフ場の凹地地形
西岸ゴルフ場の凹地地形も古柏井川段丘面の川側に普請盛土が乗っているものと考えています。
戦前の地形図を見るとこの凹地地形は南に続いており、大胆に考えれば北柏井の集落の乗る河岸段丘まで連続しているのではないかと考えています。

現在は地形情報(普請絵図、旧版1万分の1地形図、米軍空中写真)と1つのボーリングデータしか情報がありません。

西岸川表の崖の調査はそこに到達する公の通路がなく、切り立っていて下が水面であるため危険であり、植生に覆われているため個人では到底無理です。
しかし、もし調査ができれば貴重な情報が得られる可能性が濃厚です。

[思考実験]
崖の地質調査を、ロープを使った高所調査技術等を活用して、また土地関係者の協力を得て最小限の植生を抜開して、プロ地質調査者が実施するということも、一つの夢としてあり得ます。
そのような特殊調査の企画(予算と効果)について検討しておくことも意義があると思います。
もしそのような特殊調査が実現するとしたら、地形地質に興味を持つ人、堀割普請に興味を持つ人、地域の歴史に興味を持つ人、ゴルフ場や柏井高校の関係者、近隣住民が、何らかの取り組みの中で花見川の成り立ちを解き明かす興味を共有している状況があるにちがいありません。

2011年11月28日月曜日

横戸付近の地形地質

花見川現地調査報告1

花見川の地形地質現地調査を行いました。とりあえずわかったことをいくつかの記事に分けて報告します。
最初に、下横戸付近(弁天橋から軍用軌道鉄橋跡)について報告します。

1 調査地点情報
調査地点の位置図を次に示しました。
調査地点位置図
基図は千葉市提供DMデータを使用しました。

この調査ではGPSを利用したので位置(風景や露頭を撮影したカメラの平面位置)は正確です。

この調査位置図に対応した地形分類図を示します。昭和24年撮影米軍空中写真の実体視により作成した予察図です。
事前に作成した地形分類図(予察図)

また、地形断面を示します。
断面1 千葉市提供DMデータの等高線情報から作成しました。

断面2 千葉市提供DMデータの等高線情報から作成しました。

2電波塔付近の地形(古柏井川河岸段丘と考えられる地形面)
電波塔は地形分類図の平坦面と普請盛土の境付近にあります。
写真1は、ここから普請盛土方向を見たものです。
写真1
地形図等高線の表現は不十分で、実際は普請盛土の川裏が比高7m程度の急崖になっています。
普請盛土であることは地形分布と急崖の露頭から確認できます。
電波塔の敷地は付近の最も低い場所と比べると1m程度盛土されています。

電波塔から東をみた風景が写真2です。
写真2
だらだら坂になって台地面(標高22m程度)に続いています。
昭和24年の空中写真ではここに切り立った急崖が確認できますから、その後埋立が進んだことが確認できます。
以上の情報から、台地面を切る地形面(分布から古柏井川の河岸段丘と考えられる)の川側寄りに普請盛土の山が築かれたことが確認できます。

3 花見川東岸の露頭(河岸段丘の構成地層)
露頭1、露頭2は花見川東岸川表の標高12mから14mに在ります。

露頭1
ロームです。直感的には上から崩れてきた普請盛土のように思われます。

露頭2
露頭の上はロームと砂層の塊が混じっていて、明らかに普請盛土で、下は地の砂層のようです。

この付近には上から崩れてきた普請盛土が多く本来の地層断面を、今回の現地調査では確認で出来ませんでした。
しかし、露頭が連続しているので、根気よく調べれば電波塔の乗る地形面(古柏井川河岸段丘と想定)の構成地層を明らかに出来る可能性の存在を知ることができました。

次に露頭の地形断面図上の概略位置を示しました。
露頭の地形断面図の位置

露頭1、2付近から、今後、貴重な地質情報が得られる可能性を感じます。

4 花見川西岸の露頭(普請盛土)
露頭3、露頭4は普請盛土の露頭です。
露頭3
砂の中にローム塊が混じっています。標高22mほどの盛土面を1.5mほど切った道路脇の露頭です。

露頭4
砂の中にローム塊が混じっています。標高26mほどの盛土面を1.5mほど切った道路脇の露頭です。

この付近では川表の崖斜面の露頭を観察することはできません。 幸いoryzasan氏に教えていただいたボーリング柱状図があります。
ボーリング柱状図
12175地点と12176地点では概略標高22mから上4mほどが普請盛土になっていて、本来の地層はそれより下に位置しています。
このボーリング柱状図について、oryzasan氏から概略標高22mから18mがローム層、それより下が常総粘土層、木下層などの洪積層であることを教えていただきました。

この付近の花見川西岸は古柏井川の河岸段丘はなく、台地面の上に直接普請盛土を乗せたことが確認できます。

5 ゴルフ場の凹地地形
ゴルフ場の凹地地形の現在の姿を写真で示します。
写真3
この凹地は迅速図、大正6年測量旧版1万分の1地形図にも表現されています。
地形がゴルフ場の恰好のアンジュレーションとして利用されています。
この凹地の露頭は花見川西岸川表の崖で見ることが理論上はできますが、現実にはできません。

しかし幸いにもボーリング柱状図(12177)でその地層を知るとこができると考えられます。
標高16mほどのところに本来の地形面があり、薄いロームと上部が削られた洪積層があるように解釈できます。

このボーリング柱状図の情報から、ゴルフ場の凹地地形は河岸段丘面の川寄りに普請盛土が乗っているように理解することが可能です。

決めてとなる情報を今後収集することが必要です。

6 横戸付近でわかったこと
ア 横戸付近花見川東岸に古柏井川河岸段丘と考えられる地形面が存在すること。
イ その地形面の地層断面は今後の調査で明らかにできる可能性があること。
ウ 横戸付近花見川西岸には古柏井川河岸段丘は存在しないこと。
エ 軍用軌道鉄橋付近の花見川西岸ゴルフ場内の凹地に、古柏井川河岸段丘の可能性があること。
オ 一部の戦後盛土、掘削を除き、地形分類図(予察図)はほぼそのまま現場で確認できた。

(つづく)