2015年1月14日水曜日

ささやかな夢リスト(2013.11.15)をふりかえる

本日(2015.01.04)がこのブログ開設から丸4年経った最後の日で、明日はブログ開設4周年記念日、ブログ開設第5年目の最初の1日目になります。

そうした区切りを利用して、趣味活動における自分のささやかな夢をふりかえり、新たなささやかな夢を記録しておくことにします。

この記事では、2013.11.15記事「ささやかな夢リスト」の夢がどのように実現したのか、ふりかえります。

…………………………………2013.11.15「ささやかな夢リスト」ふりかえり…………………………………
【GIS関連の夢】
●高機能GISフリーソフトQGISの導入
→趣味活動にQGISを導入するということ自体は実現できた。

●GISソフトQGISの分析技術の習得と趣味への適用
(接峰面図等の作成、流域の自動図化、等高線図から自動メッシュ生成等)
→ヒートマップを作成することはできるようになりましたから、第1歩として実現できた。

●基盤数値情報(標高)5mメッシュの広域利用
(5mメッシュを広域入手して広域の地形段彩図等をつくり検討に活用する。)
→数回のステップを経て高度に実現した。

●標高10cm単位の設定と表現が可能な高機能3D地形表現ソフトの入手活用
(カシミール3Dと同等以上の地形3D表現機能を有し、標高が0.1m単位で設定と表現ができるソフトの導入と活用)
→実現していない。QGISの機能(grass)を利用してこの表現が実現できるかいつか検討したいと考える。

【地名検討の夢】
●小字レベルの地名分布図の千葉県北部地域作成とその歴史検討活用
(小字分布図の入手が一苦労である。それをGISにプロットすることがさらに膨大な時間を有する。この作業を効率化するICT上の工夫がきわめて大切。特定地名(例 「木戸」)の分布図を特定地域で作成し、そこでノウハウを貯め、作業を広域に広げる。)
(本来個人で行うにしては荷が重いが、これまで多くの記事で地名について検討してきたように、そこから得られる貴重な情報の魅力には大きなものがあり、行政に期待するのではなく、自力で取り組みたい。)
→実現していない。地名に対する興味はますます深まっている。

●地名と地形、遺跡、歴史情報のオーバーレイ図作成
→実現していない。一般的な意味でのオーバーレイ図作成ではなく、GIS上に地名・地形・遺跡・歴史情報等のデータベースをつくり、GISでオーバーレイ図をつくるという夢。

【遺跡検討の夢】
●使い勝手のよい遺跡分布図の作成
(「房の国文化財ナビゲーション」で掲載されている情報(文化財マップ)と同じ情報を自分のパソコン内でより使い勝手のよいシステムとして構築する。)
→実現していない。しかし、花見川-平戸川の一部区間を対象にテスト作業を始めている。

●花見川流域付近の遺跡の全出土物閲覧
(文献情報で遺跡を知るのではなく、出土現物の閲覧を各施設を巡っておこない、主要な出土物全部を見て、体感的に遺跡を知る。)
→実現していない。プロジェクトとしての試行もしていない。

●花見川流域の全遺跡の現場確認
→実現していない。プロジェクトとしての試行もしていない。

●花見川流域の全遺跡の報告書入手電子化
→実現していない。しかし図書館から帯出できる紙報告書の何冊かを丸ごとスキャンして所蔵したところ、後日結果としてとても役立ったので、私設電子図書館はこつこつ作りたい。

●東海道水運支路に関する遺跡の発掘調査実現
(杵隈…駅家、柏井横戸境界…広幅員道路、高津…土塁と港)
→実現していない。当面個人の努力では無理。

●トーチカの発掘調査実現
→実現していない。

●土器形式や出土物の見方についての基礎知識の習得
→実現していない。関連する夢は膨らんでいるが。

●古代東海道水運支路の仮説説明とりまとめ
→実現した。2015.01.10に房総古代道研究会で発表する機会を得た。

【地形・地質に関する夢】
●使い勝手のよいボーリングデータベースのパソコン内作成とその活用
(花見川流域を対象として、千葉県地質環境インフォメーションデータバンクや千葉市等のボーリングデータの使い勝手のよいデータベースをパソコン内で作成して検討に利用する。)
→実現していない。

●ボーリングデータを使った地下3D表現技法の習得
→実現していない。

●過去の主要地形・地質学術論文に掲載された全ての露頭柱状図の場所の地図プロット、現場確認、観察可能なポイントの観察、検証
→実現していない。

●地形説明ブロックダイヤグラム作成技法習得
(地形学や地質学の書籍に出てくる地形説明ブロックダイヤグラムの絵(画像)のデータベースを作成し、表現の類型を知り、その作成技法を習得する。)
→実現していない。ブロックダイヤグラムの実例が掲載されている戦前~現代の専門和書、洋書がかなり集まったので、あとは時間を割けば実現できる。

●花見川流域付近における縄文海進分布図(古環境図)の作成
→実現した。花見川、平戸川(新川)の検討はいろいろな記事で相当進めることができた。

●花見川流域付近河川の沖積層基底面高度分布図作成
→実現していない。2012年度に千葉県千葉土木事務所が花見川護岸工事のために実施した膨大な数のボーリングデータが、いつまで待っても千葉県地質環境インフォメーションバンクで公開されないので作業できないでいる。旧石器時代環境を考えると興味が湧く作業。

●花見川流域とその近隣を含めた地域の地形面(下総上位面、下総下位面、千葉段丘等)の正確な対比
→地形情報(凸凹情報)から1/3くらい実現したということか。火山灰層分析が不可欠であるが、露頭がほとんど無いため火山灰層分析専門技術の習得動機づけが生まれる素地がゼロとなっている。

●花見川河川争奪の説明とりまとめ
→実現した。モデル化して事象を把握できた。

【表現技法に関する夢】
●イラストレーターを使った表現技法の習熟
→初歩的な意味では実現した。

●フォトショップを使った表現技法の習熟
→初歩的な意味では実現した。

【撮影に関する夢】
●カメラ撮影技法の習熟
→初歩的な意味では実現した。

【ブログに関する夢】
●WEBを介さないで全ブログ記事画面を自分のパソコンで閲覧できるシステムの構築
→実現していない。

●常時更新する逆順ブログの併置
→実現していない。

【散歩に関する夢】
●再度全流域の踏破とその記録記事掲載
→実現していない。

●花見川流域の隣接流域踏破と記事掲載
→実現していない。しかし、隣接流域(千葉県北部地域)を歩く(調査する)機会は増えた。

【空中写真・衛星写真に関する夢】
●米軍等の空中写真をオルソ補正するソフトの入手と、空中写真のGIS張り付け、検討有効活用
→実現していない。

●空中写真からコンターマップを生成する実用ソフト入手活用
→実現していない。

●衛星写真の入手と自然環境や歴史環境検討活用
(これまで知られていない遺跡の発見を試みる。)
→実現していない。興味は深まっている。

【絵図・古地図に関する夢】
●続保定記絵図の現代地図プロット
(現代地図上で続保定記の内容を再現する。)
→実現していない。

●小金牧周辺野絵図の現代地図プロット
(過去の地形、地物の復元検討)
→実現していない。興味は深まっている。

●花見川流域における迅速図のGIS投影とその有効活用
→実現していない。

【流域地誌作成の夢】
●花見川流域地誌の作成
(案内書、ブログ検討の概要(仮説集)、本格地誌)
→実現していない。
……………………………………………………………………
趣味活動において、36の夢がリストアップされていて、実現した夢5、多少実現したもの5で合わせて10(28%)、実現していない夢26(72%)という結果になりました。

実現した夢の数やその%にあまり意味はないと考えますが、自分の予想より実現した夢が多いと感じます。

このようなささやかな夢をリスト化し、ブログ記事にするという行為がなければ、恐らく実現した夢ははるかに少なかったと考えます。

次の記事で2015年のささやかな夢をリストアップします。

現在使っているQGISのロゴ(Ver.2.6 Brighton)

2015年1月12日月曜日

房総古代道研究会発表の要旨・概要と感想

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.41 房総古代道研究会発表の要旨・概要と感想

2015.01.10房総古代道研究会で「忘れられた古代交通施設 -千葉市花見川区に所在した水運路を結ぶ古代道路施設 船越-」と題して発表する機会を得ることが出来ました。
発表の機会を与えていただいた房総古代道研究会様、関係する皆様、会員の皆様に改めて謝意を表します。

この発表で使ったパワーポイント資料(及びpdf化資料)は2015.01.11記事「房総古代道研究会発表資料」に掲載しました。

この発表の要旨・概要と感想をまとめました。

1 発表「忘れられた古代交通施設 -千葉市花見川区に所在した水運路を結ぶ古代道路施設 船越-」要旨
古代(奈良時代頃)において、東京湾と香取の海を結ぶ主な水運路は3箇所あり、船越と呼ばれる陸路で異なる水系の水運が結ばれていた。

そのうちの1箇所の水運路は花見川-平戸川船越で二つの水系がつながっていた。

この水運路の東京湾出口には浮島駅家、浮島牛牧(延喜式)、花見川河口津があり、花見川河口津には遺跡と地名(玄蕃所)から俘囚収容所施設が存在したと考えられる。俘囚は陸奥国から香取の海、印旛浦、花見川-平戸川船越を経由して花見川河口津に着いたと考えられる。玄蕃所における俘囚の検見は、この地に地名「検見川」を残したと考える。

花見川-平戸川船越付近には地名「柏井」があり、これは古語「杵隈(かしわい)」であり、船着場を意味すると考える。柏井には水運と陸運を乗り換える適地に古代駅家を連想させる名主屋敷外構が現存する。

柏井から高津の間には二つの古墳を起終点として、地形を無視して機械的に直線を保つ境界が存在し、近世には馬防土手として利用されていた。地番割図からこの境界(馬防土手)を分析すると、幅員11mの直線道路が廃絶して土地の取り合いがあった様子を想像することもできる。

高津には古代土塁遺跡似の人工構造物が米軍空中写真から判読でき、高津直轄港湾跡と考えられる。この古代土塁遺跡似地物は調査されることなく土地開発された。

高津馬牧(延喜式)の領域は近世高津村に該当すると考えられる。

以上の諸情報から、古代には花見川-平戸川船越を経由する東京湾と香取の海を結ぶ水運路が存在し機能していたと考える。

しかし、蝦夷戦争終結による緊急輸送要請の低減、海面低下による内陸水運の困難性増大等の要因から中世には花見川-平戸川船越を経由する水運路は廃絶し、その後、施設(地物)、交通活動、関係地名の意味など全てが忘れられ、現在に至っていると考える。

2 発表「忘れられた古代交通施設 -千葉市花見川区に所在した水運路を結ぶ古代道路施設 船越-」概要
2-1 花見川について(フィールドの特性紹介)
・花見川は東京湾水系の自然河川で、河川行政上は印旛沼の放水路として位置付けられている。
・地学現象「河川争奪」の現場であり、ここだけ東京湾水系の分水界が2㎞ほど北上していて、異常となっている。
・そのため花見川は縄文海進の海が台地深く入り込み、古代には舟運が可能な谷津であった。
・この特性を利用して近世には印旛沼堀割普請が3回にわたって行われ、戦後に印旛沼開発事業が完成した。

2-2 船越について(本発表のキー概念の説明)
・古代には異なる水系の水運路を結ぶ専用短区間陸路が存在し、船越と云われる。
・古逗子湾と東京湾(横須賀市田浦)を結ぶ古代船越の実例は有名である。
・古代ギリシャには船越進化形が存在し、石敷軌道が設置され船の陸送が行われた。
・日本の船越は全て船乗継タイプであると考えられる。
・東京湾と香取の海を結ぶ水運路の船越は3箇所あったと考えられる。そのうちの1箇所(花見川-平戸川船越)を詳細に検討する。

2-3 本論 古代「花見川-平戸川船越」付近の地物
2-3-1 花見川河口付近(浮島付近)
ア 浮島
・幕張湾に発達する砂丘が地名「浮島」と対応すると考える。この浮島(砂丘)上に浮島牛牧、浮島駅家が存在したと考える。
イ 河口津
・砂丘背後に残された内湾が花見川河口津となったと考える。
・河口津台地(検見川台地)には掘立柱建物だけで40棟が検出されていて、官施設があったと考えられる。
・玄蕃所地名が残っていて、治部省玄蕃寮の東国出先施設があったと考える。ここには俘囚収容施設があったと考える。
・俘囚は花見川-平戸川船越を経由して香取の海方面からこの地に送られてきたと考える。
・地名「検見川」は玄蕃所で俘囚を検見したことに由来する地名であると考える。

2-3-2 船越部付近(柏井、高津)
ア 柏井
・地名「柏井」は古語「杵隈(かしわい)」であり、船着場を意味すると考える。
・柏井に現存する名主屋敷外構が水運から陸運に乗り換える古代駅家の存在をイメージ的に彷彿とさせる。
イ 船越陸路(直線道路)
・17世紀絵図による柏井内野の東側境が直線状であり、現代町丁目境と対応する。
・この境の両端はともに古墳にドンヅケでぶつかる。
・この境を地番割図でみるとクランクや細長い筆が存在し、古代道路が廃絶後近隣地域が土地を取り合った跡であると考えることもできる。
・境の両端の地名が「高台」と「高台向」であり、一方が他方を意識している地名である。
・境の大半は迅速図では馬防土手が描かれている。
・迅速図で馬防土手が描かれていない範囲を1949年撮影米軍空中写真で分析すると、地形を無視した直線状小径(土手)と土地利用界を観察できる。
ウ 高津(直轄港湾)
・1949年撮影米軍空中写真で分析すると、古代土塁遺跡似の人工地物が観察できる。
・古代土塁遺跡似地物は調査されることなく小学校敷地等として開発された。
・小学校建設時のボーリングデータに古代土工事を想起させる記述がある。
エ 高津馬牧
・高津馬牧の場所は吉田東伍(大日本地名辞書)によって地名「高津」付近に推定されている。
・17世紀絵図を使って分析し、高津馬牧が17世紀の高津内野の場所であり、それは近世高津村の領域に該当すると考えた。

2-3-3 古代「花見川-平戸川船越」に関する考察結果
・柏井・横戸境のかつて馬防土手があった地物は次の多様な間接情報から古代交通施設としての船越の直線道路遺構と考える。
・直線道路遺構と考える理由…a直線性、広幅員、起終点が古墳、b二つの水系を結ぶ、c船着場(杵隈)と高津土塁の存在、d花見川河口の玄蕃所が船越利用交通を証明、e浮島牛牧・高津馬牧(ともに延喜式)の存在
・中世には「花見川-平戸川船越」は次の理由から廃絶していたと考える。
・船越が廃絶した理由…a蝦夷戦争の終結(緊急輸送の要請低減)、b海面低下による内陸水運の困難性増加、c造船技術、航海技術、土木技術の向上、d陸運の発達(家畜、車輪の利用)
・中世には「花見川-平戸川船越」が廃絶し、関連施設(地物)、その施設で営まれた活動(交通活動)、関係地名の意味などが全て忘れられ、そのまま現在に至っていると考える。

発表に使ったスライド一覧

3 発表の感想
3-1 話はご理解していただいた
・専門知識無しの無手勝流の発表でしたが、私が話したいことの趣旨は聞き手にご理解していただき、ある程度の興味も持っていただいたと思います。

3-2 自分の説が新説であることに気がつかされる
発表後のコメントの中に、「あなたの発表したことは、だれか専門家がそのようなことを言っているのですか、それとも新説ですか。」という質問がありました。
この発表の素材は全てこのブログ記事であり、それはほとんど全て自分だけが唱える新説です。こうした状況の中で、上記質問を聞いて、自分の話が全て新説から成り立っていることが、「当たり前の大前提」ではなく、「説明すべき特色」であったのだと強く意識させられました。
もう少し丁寧な説明を心がけるべきだったと思います。
残念ながら、自分は歴史考古の専門家でないため、既知の専門知識や学説との関連で自分の考え(新説)を説明できないので、生で自分の興味を話すしか方法はありませんが、それは当面仕方がないことです。

3-3 決定的証拠がないことに気がつかされる
・よくよく考えると船越に直線道路があったという発想を支える情報は全て間接情報です。状況証拠みたいなものばかりです。
・一つ一つの情報は面白くブログ記事作成の際には熱中したのですが、最後の「直線道路の存在」を立証する直接証拠に欠けます。

3-4 今後の検討方向についての質問があった
・発表した内容を今後どのように検討を深めて行くのかという質問があり、今回の発表では東京湾岸と船越部の2地点の検討をしましたが、それより北の印旛浦の地物の検討を今後したいという回答をしました。
・自分が出来る検討方法を考えると、効率的で決定的な方法を思い浮かべることができません。より沢山の関連情報をこつこつと集めて、仮説の確からしさを少しづつ高めることになると思います。
・いつか思いもよらない情報を見つけ出し、仮説の確からしさを一気に向上させることが出来ると信じています。
・このテーマが社会的関心を集め、将来万が一、印旛沼堀割普請捨土土手の発掘調査が実施できれば、古代道路遺構直接検出の可能性はあります。

3-5 発表したらどうかというお話をいただく
・話を多くの人に興味を持ってもらうために、文章などにして発表したどうかというアドバイスをいただきました。
・またグループなどに入り他の人と一緒に検討をすすめたらどうかというアドバイスもいただきました。

3-6 駅路との関係について
・水運路、船越と駅路との関係を詳しく調べたら面白いというご意見をいただきました。

3-7 地学と歴史の情報を使っている点
・地学の情報と歴史の情報を一緒に使っている点は面白いというご意見をいただきました。

3-8 防災対策との関係について
・発表したような内容を地域毎に調べておくと、地域防災上役立つのではないかというご意見をいただきました。

2015年1月11日日曜日

房総古代道研究会発表資料

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.40 房総古代道研究会発表資料

2015.01.10に千葉県市原市サンプラザ市原で第22回房総古代道研究会が開催されました。

この研究会で当方が「忘れられた古代交通施設 -千葉市花見川区に所在した水運路を結ぶ古代道路施設 船越-」と題する発表をしましたので、参考までにその資料を掲載します。

房総古代道研究会様には発表の機会を与えていただき、また発表後に会員の皆様からとても有益なコメントをいただき感謝申し上げます。

パワーポイント資料
パワーポイント資料
20.1MB、スライド枚数76、画像多、パソコンにパワーポイントが入ってないと開かないかもしれません。
(クリックして開くWEB画面では若干の不都合(縦書き文字の不都合など)がありますが、その画面からファイルをダウンロードして、パソコン内でファイルを開くと正常です。)

pdf資料
pdf資料
10.6MB、76ページ、画像多、パワーポイント資料と同じものです。

掲載資料表紙

ともに発表当日使ったパワーポイント画面に若干の説明文を加えたものです。

房総古代道研究会は房総の古代道に興味を持つ市民・研究者が集まる会です。

タメフン再開

2013.07.28記事「橋桁鉄骨上のタメフン」で弁天橋の橋桁鉄骨上にハクビシンのものと考えられるタメフンを発見し紹介しました。

2013.07.08に発見したタメフン

その後、タメフンは止まり、風雨で洗い流されてしまいました。

風雨で洗い流されてタメフンが完全になくなった橋桁鉄骨(2014.04.10)

本日、再び同じ場所に再開タメフン1号を発見しましたので、記録しておきます。

弁天橋橋桁鉄骨上の再開タメフン1号

タメフンの状況は毎日観察したいと考えています。

今朝の花見川
弁天橋から下流

2015年1月8日木曜日

古代交通技術「船越」の進化形 古代ギリシャの例

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.39 古代交通技術「船越」の進化形 古代ギリシャの例

水運路を短区間陸路でつなげる古代交通技術をこのブログでは「船越」と呼んでいます。

船越のイメージ

船越では船から荷物や人を全部降ろし、それを陸送(人力運搬)していたと考えています。

古代ギリシャ(ローマ帝国時代)では船越の進化形が見られますので紹介します。

ギリシャ周遊する人は必ず通過するポイントとしてコリント運河があります。

現在のコリント運河

コリント運河のある場所はコリント地峡といわれ、イオニア海とエーゲ海を結ぶ狭い地峡となっていて、船越として利用されてきています。

コリント地峡

シーザーはじめ古代ローマ帝国ではここに運河を計画し、ネロ皇帝の時代に実際に運河工事を始めました。

運河工事は失敗したのですが、その代わり船越に石敷軌道を敷設して船自体の陸送を行いました。

次の図書の解説にコリント地峡船越についての記述があります。

コリント地峡船越についての記述がある図書

戦後古代石敷軌道が発掘されています。

発掘された古代の船陸送用石敷軌道

台車と奴隷を利用した船陸送の想像図

台車と奴隷を利用した船陸送の想像図

コリント地峡船越の実例は古代船越の最大進化形であると考えます。

古代日本の船越で船陸送の物証は見つかっていないので、古代ギリシャみたいな船越進化形があったかどうかはわかりませんが、奈良時代の東国では車輪が普及していなかったようですので、おそらく船陸送はなかったと考えています。

追記
古代ローマ帝国時代にギリシャコリント地峡につくられた船陸送石敷軌道の建設時代(西暦50年~100年前後?)は日本では弥生時代後期です。世界における文明の時代的地理的偏在性は激しいものがあります。

●余分な感想

船越という交通施設が古代に存在し、その進化形は海外では船陸送技術にまで発展し、古代でその技術は陳腐化したのです。
造船技術、航海技術、土木技術等の発展のなかで、船越は不要となりました。
その技術陳腐化になにか歴史に関する感慨を持ちます。

一方、船越と全く逆の交通技術である陸送用列車の航送技術である青函連絡船が、自分の人生の目の前で陳腐化し、青函トンネルに新幹線が走る時代を迎えています。交通技術が陳腐化するという歴史の流れにさらに強い感慨を憶えます。

2015.01.08 今朝の花見川

西の空に月が出ていて、風景写真の中に取り込みました。

まだ薄暗い花見川

まだ薄暗い花見川
トーチカ付近

弁天橋から下流

弁天橋から上流

2015年1月7日水曜日

古代花見川船越の廃絶

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.38 古代花見川船越の廃絶

柏井町と横戸町の直線状境界線にかつて馬防土手がありました。
その馬防土手は古代直線道路の跡につくられたものであると考えました。
その古代直線道路は杵隈(かしわい、船着場)と高津(直轄港湾)を結ぶ船越であったというのが、このブログの見立てです。

この花見川と平戸川(現在の新川)を結ぶ船越は奈良時代に機能していたと考えますが、その後諸般の状況から使われなくなり、交通施設としては廃絶してしまったものと考えます。

廃絶しただけでなく、その存在と利用の全ての記憶が社会から消えてしまったと考えます。

次の図は中世香取社の影響範囲を描いた図です。

中世香取社と浦・海夫・関

花見川と平戸川付近には香取社の影響が全く表現されていません。つまり、この付近には通過交通がなく、従って利が伴う運輸活動がないため、香取社の影響(寄進や徴税)が無かったと考えます。

つまり、この図から、中世には花見川-平戸川船越は機能していないことを読み取ることができると思います。

恐らく、中世には花見川-平戸川船越の存在と利用は、すでに人々の記憶から消去されていたと考えます。

2015年1月5日月曜日

柏井橋工事風景

柏井橋の架け替え工事が進んでいて、仮橋が既に運用されています。

旧橋は解体工事が始まっています。

仮橋(右)と解体工事中の旧橋(左)

たまたまGoogle earthを見ていたら、2014年3月8日撮影の空中写真が掲載されていました。

Google earthで見る柏井橋工事現場

仮橋が架かったばかりで、まだ運用されていない状況です。

地形の起伏を表現しているので、橋が垂れ下がったようで、面白い写真になっています。

Google earthの空中写真更改頻度の激しさに舌を巻きます。

2015年1月3日土曜日

2015.01.03 今朝の花見川

快晴の青い空がひときわ透明に感じました。

弁天橋

交通も少なく、落ち着いた早朝です。

花見川
弁天橋から上流

花見川
弁天橋から下流

釣りのボートが出ています。

釣りのボート

弁天橋

2015年1月1日木曜日

2015年 明けましておめでとうございます

2015年 明けましておめでとうございます。

新しい年を迎え、皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

このブログも1月15日で5年目に突入することになり、掲載した記事も既に1240本を越えました。

ひとえに皆様にこのブログを閲覧していただき、いろいろなご協力をいただいたおかげです。

あらためて心からお礼申し上げます。

今年も、花見川散歩や、総武・常総の歴史考古・地形などから得られる面白さ・興味を誰はばかることなく深めて、それをできるだけ生で実況中継していきたいと思います。

今年もこのブログをよろしくお願い申し上げます。


宇宙から見た日本

宇宙から見た日本(地形段彩図投影)

宇宙から見た総武・常総(東北方向)

宇宙から見た総武・常総(東北方向)(地形段彩図投影)

宇宙から見た総武・常総(西日本方向)

宇宙から見た総武・常総(西日本方向)(地形段彩図投影)