2021年8月6日金曜日

ヴィレンドルフのヴィーナス切手と石偶

 1 考古学切手の収集

切手の博物館企画展「切手de考古学」を観覧して、世界の考古学切手に興味をもちました。世界の考古学切手を収集して世界の遺跡や遺物に興味を持てればうれしい思いました。さいわいにも、切手の博物館学芸員田辺先生に切手収集のコツのアドバイスをいただくことができました。その中の次の言葉は特に重要だと思いました。

「インターネットで検索して集めた情報を自分なりにまとめておく。それをもとに、切手を販売しているお店や個人をワールドワイドに探す。」

「この切手を手に入れたいと思っても、なかなか手に入らない。手に入るものから、手に入れる。」

早速探してみると、企画展でも展示されていた「ヴィレンドルフのヴィーナス」切手を見つけました。そこで、インターネット購入第1弾として購入して、切手をみながら頭に浮かぶ妄想を楽しむことにしました。

2 ヴィレンドルフのヴィーナス切手


ヴィレンドルフのヴィーナス切手(スキャナーでスキャン)

Venus of Willendorf オーストリア、2008、レンチキュラー印刷(微細レンズ集合によりビーナスが背景の中で立体的に見える、さらに背景の背景でビーナスの影が動く)、7㎝×7.5㎝、販売店価格¥1000。


切手裏面


ヴィレンドルフのヴィーナス切手(カメラで撮影)

3 妄想 その1

ヴィレンドルフのヴィーナスはウィーン自然史博物館の収集品です。以前この博物館を訪ねた時はハルシュタット岩塩坑遺跡を見学した直後であり、その遺跡展示のみを集中観覧しています。次に訪問する機会があれば、ぜひとも本物ヴィレンドルフのヴィーナスを観覧したいと思います。


ウィーン自然史博物館で観覧したハルシュタット岩塩坑遺跡展示


ウィーン自然史博物館のページにでてくるヴィレンドルフのビーナスの側面写真


ウィーン自然史博物館が提供するGoogle Arts & CultureのVenus of Willendorf画面

この切手をみながら、何故か気持ちがウィーンなりヴィレンドルフなりに本格的に飛びません。気持ちが飛んだのはなんと日本の四国です。

4 妄想 その2

自分の考古学学習では学術論文はあまり読んだことがありません。しかし、以前上黒岩岩陰遺跡学習の時には次の学術論文を読んで大いに感動しました。考古学学術論文のすごさ、面白さを痛感しました。考古学の学術性とはまさにこのようなことだと大いに感心しました。


春成秀爾・小林謙一著「愛媛県上黒岩遺跡の研究」(国立歴史民俗博物館研究報告154、2009)

この論文では上黒岩岩陰遺跡から出土した石偶をユーラシア大陸ヴィーナス像との関連でその意義を捉えています。


上黒岩岩陰遺跡出土石偶

春成秀爾・小林謙一著「愛媛県上黒岩遺跡の研究」(国立歴史民俗博物館研究報告154、2009)から引用

この論文の石偶意義検討部分を、自分なりに理解すると次のようになります。後期旧石器時代ヴィーナス像を乳房の表現のあるものからないものへと型式学的に配列してみると、最後は女性器だけは一貫してY字形で表している。この大陸の簡略化傾向と同じ傾向が上黒岩の石偶にも認められ、女性と見て間違いない。石偶の線刻は陰毛や陰裂を表現していて、女性器を強調表現している。約1万5000年前の大陸(シベリア)の土偶と上黒岩の石偶は3万㎞以上離れているが、隣同士連鎖的に交流しながらシベリアと日本がつながっていた。


シベリア・ウクライナの後期旧石器時代中頃と後半のヴィーナス

春成秀爾・小林謙一著「愛媛県上黒岩遺跡の研究」(国立歴史民俗博物館研究報告154、2009)から引用


ウクライナ・シベリア・ヨーロッパの後期旧石器時代後半のヴィーナス

春成秀爾・小林謙一著「愛媛県上黒岩遺跡の研究」(国立歴史民俗博物館研究報告154、2009)から引用

そして、この論文では上黒岩から石偶とともに子安貝(タカラガイ)が見つかっていることを指摘した上で、石偶用途が現代にも伝わる子安貝民俗例と同じで、産婦が出産に際して手でもつ安産祈願道具であったことを推定しています。


子安貝の加工品と民俗例

春成秀爾・小林謙一著「愛媛県上黒岩遺跡の研究」(国立歴史民俗博物館研究報告154、2009)から引用

このように、自分の頭の中で、ヴィレンドルフのヴィーナス→女性器だけを象徴表現した簡略ヴィーナス→上黒岩岩陰遺跡出土石偶→子安貝という関連性の妄想が生まれ強化されました。

たった1000円の考古学切手で後期旧石器時代から縄文時代、そして現代にまで連鎖するヴィーナス関連思考(妄想)を楽しむことができました。

5 参考


上黒岩岩陰遺跡の場所

上黒岩岩陰遺跡の石偶出土層位は日本では縄文時代草創期ですが、ヨーロッパの考古編年ではその時代は後期旧石器時代に入ることが上記論文で指摘されています。


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