2013年7月21日日曜日

千葉市花見川区横戸町の小字「高台向」が意味するもの

花見川地峡の自然史と交通の記憶 37

1 千葉市花見川区横戸町の小字「高台向」
千葉市花見川区横戸町に小字「高台向」(タカダイムケエ)(読みは「千葉市小字図」(和田茂右衛門、昭和53年)による)があります。平戸川とそれに合流する高津川に面した台地上の小字です。

この小字には古墳が多数あります。また縄文時代以降の遺跡も存在しています。川を見下ろす台地端に位置していることから、私はここが「横戸村」という広域地名になる前の「横戸」地名の発祥地ではないかと考えています。(後日記事にする予定です。)

一方、柏井町には高台(タカダイ)という小字名があります。
かつて、東京湾水系花見川の源頭部と、その花見川の侵食作用により空川になってしまった古柏井川(印旛沼水系)谷津が谷中分水界をなすところがありました。その谷中分水界のある場所の台地が高台という小字になっています。

高台と高台向は名称として近親関係にあると考えられています。
高台にちなんで、「鷹之台ゴルフ倶楽部」(現在「鷹之台カンツリー倶楽部」)という施設が横戸町高台向に戦前につくられています。
「鷹之台カンツリー倶楽部」にちなんで、戦後、地域に「鷹の台自治会」がつくられています。

小字「高台向」と小字「高台」
出典:「千葉市史 史料編 9 近世」収録小字分布図(横戸村、北柏井村、南柏井村の小字分布図を近づけて表示)

2 小字「高台向」が意味するもの
以下は仮説です。

「高台」や「高台向」がいつごろから使われ出した地名であるか不明ですから、確定的なことは言えません。しかし、天保期印旛沼堀割普請の時には「高台」という地名が出てきますから、「高台」及び「高台向」はそれ以前からある古い地名であると考えます。

さて、高台の意味は素直に受け取ることができます。谷津の最も高い部分(谷中分水界)近くの台地ですから二重に高台です。谷津を縦断する時に最も高い場所であり、谷津と台地を比較しても台地は高台です。

高台向は、とても意識してつけた名称です。高津川が平戸川に合流する谷底平野を眺望する台地縁に存在するにもかかわらず、その谷底平野とは逆の台地奥の、それも印旛沼水系ではなく東京湾水系の谷津谷頭部を見て、つけられた地名です。

更に、高台向ということは、主体が高台であって、高台向は従であります。

通常の地名の付け方ではこのような地名はできないと思います。

やはり、この地名は古代官道(仮説)に絡めて考えることが必須だと思います。

私は、古代官道(仮説)の管理に係ったのが横戸の人々であることから、この地名が付けられたのだと思います。

例えば、律令国家中央から、官道(陸路部分)の管理担当は横戸,杵隈(カシワイ、船着場)の管理担当は柏井、高津(直轄港湾)の管理担当は高津などとの労役区分があったのだと思います。

横戸の人々が、古代官道(仮説)の管理役務をするとなると、視線(意識)は道路に向きます。その方向は高台です。ですから、自分たちの場所は高台向となります。

要するに、高台向という地名は古代官道(仮説)管理にその場所の人々が動員されたためにうまれたものであると思います。

横戸が古代官道(仮説)の管理にかかわったというイメージ

横戸の人々が古代官道の一括管理をさせられていたために、その管理地にあった双子塚古墳は、本来柏井方面の豪族の古墳であったにもかかわらず、官道廃滅後、いつの間にか横戸のものになってしまいました。一種の役得です。


つづく

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