2013年7月27日土曜日

高津土塁(砦跡)発見の重大性

古代官道跡を米軍空中写真でみる(その5
花見川地峡の自然史と交通の記憶 43

2013.07.26記事「高津に土塁(砦跡)新発見」で、高津(古代直轄港湾)を想定している場所に土塁(砦跡)を新発見した旨報告しました。

一日経ってよく考えてみると、かなり重大な発見であるので、あらてめてその重大性と今後の調査について考えます。

1 土塁(砦跡)であるならば、高津(古代直轄港湾)存在の直接証明になる可能性が濃厚
見つけた地物が土塁(人工工作物)であるならば、それが高津(古代直轄港湾)存在の直接的物的証拠となる可能性が濃厚です。

次の資料を調べた結果、古文書等により現在伝わっている情報にはこの地物や土塁(砦)、港湾に関するものは一切ありません。
・「千葉市史 原始古代中世編」、「千葉市史史料編1 原始古代中世」、「千葉市史史料編9 近世」(北柏井村及び横戸村の項)、
・「八千代市の歴史 通史編上」、「八千代市の歴史 資料編原始・古代・中世」
・千葉県埋蔵文化財地図

特にこの地物が存在する千葉市柏井町の古文書等に全く出てこないということは、この地物の存在や意味が社会で一旦完全に忘れられ、途切れて、近世(17世紀頃)に至ったということを示しています。
そもそも、この土塁が高津村にではなく、柏井村に存在していること自体、この土塁の意味が17世紀頃には既に全く判らなくなってしまっている状況を示しています。

ということは、この地物は古代あるいは中世のものであることを意味します。

さらに、高津川の要衝に土塁(砦)を築くということは、川の交通がメインであり、陸の交通がほとんど発達していない社会状態を意味します。つまり、台地上は移動がままならない未開地であり、移動はもっぱら舟であることから、河岸土塁(砦)の意義が発生します。
同時に、そうした移動が高津川で可能であったことを示しています。つまり、谷津の奥深くまで水運が可能であった高海水準期に土塁(砦)がつくられたことが判ります。

ということは、この地物が活きた(機能した)時期は古代に絞られます。

こうしたざっくりした思考から、この地物が高津(古代直轄港湾)の軍事施設である可能性が濃厚となります。(詳細な検討、証明は今後の課題です。)

この地物が高津(古代直轄港湾)の軍事施設ということになれば、次のようなことが判明します。

●「高津村」の高津の意味がわからないという状況が一挙に氷解する。高津村領域は高津(古代直轄港湾)をつくることによって形成した植民地域であった。

●延喜式にでてくる高津馬牧の場所もこの植民地域付近になる。

●柏井の語源検討(杵隈[カシワイ]=船着場)と高津(古代直轄港湾)存在を合わせると、柏井・高津古代官道実在証明の有力証拠の一つとなる。

このブログではいままでいろいろな事実を発見(あるいは再発見)してきましたが、この土塁(砦跡)発見は、文化財としては最大の発見になります。

この発見は、千葉市と八千代市の境界付近の歴史を塗り替えることになりそうです。

2 発見した地物が土塁(人工工作物)であるということの証明方法
発見した地物が人がつくった土塁であり、砦として利用されたであろうことは、米軍空中写真を実体視して、私が直感的に(瞬間的かつ確信を持って)理解したということです。

恐らく、地形の基礎知識があり、この地域の古代の歴史に興味がある方が米軍空中写真を自由に拡大表示して実体視すれば、必ずやこの地物が土塁(人工工作物)である(あるいはその可能性が強い)と直感すると思います。(これまで、そういう人がゼロだっため、私が見つけることになったのです。)

さて、この直感を万人に理解してもらえるように証明しなければなりません。

次のような方法ならば、専門家でもない私でもできるかもしれないので、試みたいと思います。

 地形学的検討
地形学的にこの土塁が人工物であることを検討する。
・米軍空中写真、及び柏井小学校建設前に撮影された数種類の空中写真を判読することにより、地形検討が可能です。
・土塁の土を掘った場所と土塁が隣接している可能性が大きいです。

1975年1月撮影カラー空中写真のサムネイル
C KT-74-13 CA12A-18

付近の開発が進み、土塁本体だけかろうじて残っている状況を示しています。

 土質学的検討
土塁の構成物が自然の地層ではなく、盛土であることを検討する。
・柏井小学校建設時のボーリング資料を利用できることが判りましたので、検討が可能です。
・残存土塁の現場調査が可能ならば実施してみます。

 類似事例による検討
他所の類似事例により砦としてつくられた人工物であることを検討する。
・印旛沼周辺に同様の趣旨でつくられた土塁(砦跡)が分布するか検討し、比較する。
7世紀頃の他所の類似事例(例 大宰府の水城跡等)と比較して、この土塁がつくられた当時の技術力等との整合性について検討する。
・土塁が存在する位置、土塁と周辺地物の形状等から目的を持った人工物であることを示します。

なお、この地物が仮に人工物ではなく自然地形であっても、この地物が高津の要塞として利用されたということは十分考えられます。しかし、人工物であることを必ず証明できると考えるので、そのような検討は必要ないと思っています。
  
つづく

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