2013年7月9日火曜日

行基の花島観音・千葉寺開基伝承の再考

花見川地峡の自然史と交通の記憶 25

これまで、行基が和銅2年(709)に花島観音と千葉寺を開基したという伝承と古代交通との関係を想像してみました。(2013.07.05記事「東海道「浮島」駅と花島観音の関係」、2013.07.06記事「花島観音と行基」、2013.07.07記事「709年に行基は花島観音と千葉寺を開基している!」)

その後、行基について専門書を読んで情報収集してみました。
その結果、次のような研究成果が公表されていて、行基が東国を巡錫した事実はないことが判りました。また、後世の聖集団がひろめた行基信仰により各地の寺院に行基開基伝承が生まれたことが判りました。

●行基は関西を中心に活動していて、東国を巡錫した事実は認められない。(行基が全国を巡ったという旅行家としての伝承も否定されるので、それでつくられたとする「行基図」の存在も否定されている。)
●行基の考えは、地方支配層の地域開発やそれによる利益追求と合致する部分もあり、地方支配層の支持も得た。また行基が大規模に実施した土木工事はいつまでもわすれられることなく伝えられ、人々の心にいつまでも行基の影を残した。
●平安中期頃から、各地の山岳寺院で見られるようになる「聖(ひじり)」の集団が大きな勢力をもつようになり、全国の寺院の建立や維持、信仰に深くかかわるようになり、彼らの中にあった行基信仰が、各寺院の縁起の中に反映していった場合が数多く見受けられる。
●行基信仰は平安末期~鎌倉期に一段と盛んになった。
(井上薫編「行基事典」国書刊行会による)

こうした情報から、行基が花島観音や千葉寺に来訪した史実はなく、あくまでも後世の創作による伝承であることを確認します。

次の図は13県分の行基伝承寺院分布地図です。

1都3県の行基伝承寺院分布地図
出典:井上薫編「行基事典」国書刊行会
埼玉県25ヵ寺、神奈川県46ヵ寺、東京都29ヵ寺、千葉県28ヵ寺(花島観音は掲載されていない)
○寺が行基の開創・中興
●仏像が行基作
◎寺・仏像ともに行基伝承あり
リスト省略

いかに行基信仰が盛んであったかをこの図は示しています。

行基は抽象的な信仰ではなく、民衆を教化し、組織化し、社会事業(土木事業)を行いました。大規模土木工事により社会インフラを整備して地域開発を進め、それによって現世のご利益を得るという側面をもつ行基の信仰上の考えが、行基死後、行基信仰を生みました。その行基信仰により花島観音も千葉寺も行基により開基したという伝承が生まれたと捉えてよいと思います。

花島観音の秘仏(木造十一面観音立像)は胎内に墨書で、建長8年(1256)に仏師賢光が制作したと記されています。花島観音が置かれている天福寺は天福元年寺とも呼ばれます。天福元年は西暦1233年です。これらの情報から花島観音は13世紀初めごろの行基信仰の盛んな時代には開かれていたことは確実です。花島観音の行基伝承はこのころの人々の考え方を現在に伝えているものと考えます。
なお、これらの情報はそれ以前にこの場所に信仰施設があったことをなんら否定するものではありません。むしろそれ以前のずっと昔からこの場所に信仰の場があったと考える方が自然です。
行基が東国交通路を歩いたということは史実ではありませんが、この記事冒頭に記した過去記事の内容は否定されることなく、趣旨はほとんど生きると思っています。

つづく

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