花見川地峡の自然史と交通の記憶 34
この古代官道(仮説)付近の地籍図を調べてみました。
1 「千葉県千葉郡犢橋村全図」(昭和9年7月)
次の図は「絵にみる図でよむ千葉市図誌 下巻」に掲載されている柏井町と横戸町の地番割図(トレース図)の原図である「千葉県千葉郡犢橋村全図」(昭和9年7月、全国町村地番地図刊行会陽明社、全4枚)の大字柏井掲載図葉と大字横戸掲載図葉を近づけて示したものです。(柏井と横戸とは別葉であり、地図上で接合されていません。)
大字柏井と大字横戸の地番割図(2図葉の近づけ図)
出典:「千葉県千葉郡犢橋村全図」(昭和9年7月、全国町村地番地図刊行会陽明社、全4枚)(情報提供:千葉市立郷土博物館)
この図から次のような全体的情報を得ることができます。
2 全体情報
ア 直線状境界線の起終点が明確である。
・南側は境界が直角に曲がっていて起終点が明確
・北側は大和田村境(高津川)であり起終点が明確
イ 直線性が顕著
・二つの起終点の距離は約1600mであり、その直線性が顕著です。
ウ 谷中分水界を跨いで直線状境界が走っている
従って、結果的に印旛沼堀割普請の場所も跨いでいます。
エ 大字柏井と大字横戸の情報源は別
柏井と横戸の地番割情報は単に図葉が別になっているだけでなく、出典も別であることが判ります。次の理由により、柏井村に伝わる情報と横戸村に伝わる情報が別々に表現されているものであると考えられます。
① 直線状境界線が中央付近で間に隙間ができるような形状になっている。(→税負担軽減上、土地の面積を少なくしたいという心理から、双方の村の間に隙間ができるような境界線形状が、双方の村でつくられたものと推察できます。いわゆる縄伸び。)
②境界線上にある小さなクランク部分が柏井と横戸で対応しない。
3 古代官道の立証に係る興味ある事実
この図から次のような興味ある事実が浮かび上がります。
ア 直線状境界に沿って細長い筆が断片的に存在している。
下図の1~5に示した境界に沿った細長い筆です。
5は明治時代に存在した花見川に沿う台地上道路に連続しているので、なんとも言えませんが、1~4は古代官道の敷地境界を伝えている可能性があります。
イ 直線状境界の中に境界線がクランクになっている部分が存在している。
境界線がクランクになっているところがA~Fの6ケ所あります。
AとBは対応するもののようです。それ以外は柏井と横戸で対応しません。
このクランクは、古代道路が使われなくなった後、古代道路敷地を柏井サイドと横戸サイドが取り合った結果生じた跡と考えらます。
境界沿いの細長い筆とクランク
1~5は境界線に接する細長い筆
A~Fは境界線のクランク
境界沿いの細長い筆とクランク(拡大図1)
境界沿いの細長い筆とクランク(拡大図2)
1~5とA~Fの事象が明治時代まで野馬除土手として使われていた部分ではない場所に出現しています。これは次のことを意味すると考えます。
①野馬土手として利用された部分は、牧という公権力によって地境が設定された。そのため、古代道路敷をある所では柏井、ある所では横戸という取り合いは無かった。例えば古代道路敷の中央とかで村境が設定された。
②野馬土手として利用されなかった部分では、柏井と横戸のそれぞれの所有者の早い者勝ちで道路敷の所有が決まった。従って、細長い筆やクランク状境界が生まれた。
このように考えると、野馬土手として利用しなかったところに細長い敷地やクランク状境界が存在することが、この直線状境界線が野馬土手起源ではなく古代道路起源であることを証明する有力な証拠になると考えることができます。
柏井と横戸の直線状境界線は古代官道であるという仮説の証明が現実味を帯びてきました。
4 参考 現代の地籍図
つぎの図は現代の土地調査図です。
現在の地籍図
出典:土地調査図(千葉市西部市税事務所)
境界沿いの細長い筆のうち2~5は確認できます。
クランクは表現されていません。
この図はクランクの意味がまさか道路の取り合い結果だとは土地所有者も、税務関係者も考え及ばないことですから、図面接合の際に不都合な情報として、何らかの方法でどこかに吸収してしまったのだと思います。
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千葉市立郷土博物館より「千葉県千葉郡犢橋村全図」(昭和9年7月、全国町村地番地図刊行会陽明社)の情報を当ブログに提供していただきました。感謝申し上げます。
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つづく
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