2013年7月21日日曜日

古代官道(仮説)で参考にした図書

花見川地峡の自然史と交通の記憶 36

2013.07.19記事「古代官道(仮説)を地籍図からみる」で、古代官道の跡を昭和9年の地番割図から読み取りましたが、この作業を思いついたきっかけは、直前に読んだ次の図書によるものです。自分の思考の流れを記憶しておくために、記録しておきます。

中村太一著「日本の古代道路を探す 律令時代のアウトバーン」(平凡社新書、2000.5

中村太一著「日本の古代道路を探す 律令時代のアウトバーン」(平凡社新書、2000.5

この図書には「古代道路の探し方」という章があり、その章の次の記述を参考にしました。

●行政境界線
「古代の主要道路は、しばしば国郡郷の境界線として利用されている。これは、計画道路が大地に刻まれた明瞭なラインを形成しており、境界線に活用しやすかったためと考えられる。現在でも道路は、様々な境界線に利用されている。
このことを逆手にとり、現在の直線的な行政境界線を追いかけることによって、古代道路の路線を復原・想定する方法がある。この方法を使用した場合、境界線だけでなく、地割など何らかの道路痕跡がともに見出されるというケースが多い。」
「古代道路が廃滅し、その地割さえ消滅してしまった場所でも、境界線だけはしっかりと残っているという事例もある。これは、境界が土地所有と絡むからである。…
境界線が一度でも固定し、そこに土地所有や資源が絡むと、その歴史に束縛されて境界線はなかな変わらず、…」

●旧道・地割
「日本古代の主要道路は非常に直線的である。このことから逆に、現地表面にのこる直線的な旧道や地割を探すことにより、古代道路の路線を具体的に追求することができる。なぜなら、日本の歴史において直線道路が全国的に敷設されたのは、律令国家の時代と近代-特に高度成長期以後だけだからである。」
1020メートル幅の細長い土地区画が見出されるケースもある。この場合は、古代道路の広い敷地がそのまま現在の土地区画に反映しているわけで、路線ばかりか道路幅をも推定する材料になる。細長い地割が、一定の幅を保ちながら連続している場合や、周辺の土地区画とは異なる不自然な地割を形成している場合は、道路痕跡として特に有望なものになる。」

●廃滅道路の取り合いによるクランク形成
「律令国家の政策が変わって、その幅広い道路を維持していく必要がなくなった。さて、農民であるあなたは、この計画道路の敷地をどうするだろうか?私だったら、道路に必要な幅を残して、あとはさっさと自分の耕地にしてしまう。目端の利く人が始めたのか、村で相談して開墾したのかそのあたりは分からないが、何といってもモノが結構広い土地である。それを見た人たちは、我先に右にならったであろう。実際、現在の道路が、幾つものクランクを組み合わせたような使いにくい道になってしまった地域さえある。これなどは、それぞれが勝手に早い者勝ちで、両側から道路を侵食してしまった結果といえる。」

つづく

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