2014年6月24日火曜日

印旛沼筋河川争奪仮説の脆弱性除去と再度バージョンアップ

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討- 
第3部 印旛沼筋河川争奪に遡る その15

1 河川争奪仮説脆弱性除去
2014.06.06記事「印旛沼筋河川争奪成因モデルに関する思考実験」および2014.06.07記事「Illustratorを使った思考実験(追試)」で示したように、印旛沼筋河川争奪成因モデルでは、河川争奪後に激しい地殻変動があったと考えます。

その地殻変動の影響を除去してもともとの地形を復元すると河川争奪発生を確かめることができます。河川争奪を合理的に説明できます。

そこで、地殻変動の影響は河川争奪発生以後に主にかかるものとして考えることにします。


そして、古平戸川が利根川平野に出る口で流域閉塞が生じた理由は、地殻変動(隆起)ではなく、利根川の堆積作用であると考えます。

古平戸川の流向が利根川の流向と真逆であることに注目し、その地理位置的関係により古平戸川に流域閉塞が生じたと考えます。

古平戸川に流域閉塞が生じた理由

参考 支谷閉塞低地の形成イメージ
鈴木隆介(1998):建設技術者のための地形図読図入門 第2巻低地、373頁、古今書院 より引用

古平戸川の利根川平野出口が、利根川の堆積物によって埋塞されたという考え方は、まさにその場所のすぐ西隣に、現在の手賀沼が存在しているという事実で、その蓋然性を補強することができます。
手賀沼の成因は、印旛沼、霞ケ浦、北浦などと同様に、支流出口が利根川本川の堆積物で閉塞されたことによるものです。

このように考えることにより、今までの仮説脆弱性(地殻変動をご都合主義により仮説構築に利用するという脆弱性)を除去できます。

現在の地形情報からは、古平戸川の利根川平野出口を塞ぐように見える隆起帯が観察できます。
この隆起帯は河川争奪の後、たまたまその場所に形成されたものであると考えます。
この隆起帯だけ先行して生起して河川争奪を引き起こす要因となり、他の地殻変動は河川争奪の後生起したというこれまでの私の考えは、ご都合がよすぎると反省します。

2 印旛沼筋河川争奪成因モデルの再度バージョンアップ
河川争奪仮説主因を、地殻変動(隆起)から「古平戸川と利根川の流向の真逆性」に変更して、次のようにモデルを再度バージョンアップしました。

印旛沼筋河川争奪成因モデルの再度バージョンアップ

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