2014年6月5日木曜日

印旛沼筋河川争奪成因モデルのフィールド対比

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討- 
第3部 印旛沼筋河川争奪に遡る その10

2014.06.04記事「印旛沼筋河川争奪成因モデルのバージョンアップ」で述べた河川争奪モデルのフィールド対比を行います。

1 下総下位面A面とB面の分布
次に下総下位面A面とB面の実際の分布を示します。

下総下位面A面とB面の分布

下総下位面A面とは下総下位面の主要面です。
下総下位面B面は下総下位面A面を侵蝕した河道跡です。
今行っている、この検討が河川争奪に関するものなので、このB面が見つかったのです。
一般的な地形検討を行っているならば、B面は特別な意味を感じないので、結局は認識できないで終わることになったと思います。

2 印旛沼筋河川争奪成因モデルの説明
印旛沼筋河川争奪成因モデルをこの分布図で説明すると次のようになります。
2-1 下総下位面A面が形成された時代の流向

下総下位面A面形成時代の流向

下総下位面A面形成時代の河川流下の方向は古平戸川が手賀沼方面に出口を持っていたのと、鹿島川が現在の印旛沼と同じ出口を持っていたのと二つの方向があったと考えます。

2-2 下総下位面B面が形成された時代の流向

下総下位面B面形成時代の流向

古平戸川の利根川への出口が隆起し、河口が閉塞していたころ、鹿島川の下方浸食が始まり(侵蝕力が旺盛になり)下総下位面A面を刻む河道(つまり下総下位面B面)ができました。
鹿島川は頭方侵蝕により古平戸川を争奪して、古平戸川の下総下位面A面を削って河道逆行争奪を押し進めました。河道逆行争奪の跡は下総下位面B面となりました。
したがって、下総下位面B面をつくった河川の流向は上図のように、現在の印旛沼水系の流向をほぼ同じものになりました。

3 地形断面図

A面とB面の関係を地形断面図で次に示します。断面図の位置は上の「下総下位面A面とB面の分布」に記してあります。

地形断面図

断面図1~3は鹿島川筋(現在の印旛沼岸付近)の断面です。
断面図1と3ではA面を河川が侵蝕してB面ができた地形がそのまま表現されています。
B面の標高はこの付近では25m程です。

断面図4~6は平戸川筋の断面です。
断面図4ではA面、B面の外にその下位に千葉第1段丘も観察できます。
B面の標高は21m~22m程です。

このように、地形断面図で下総下位面A面とB面の関係を確認することができます。

4 地殻変動
なお、上記地形断面図から、素通りできない問題が発生しています。

「下総下位面B面形成時の流向」図からわかる通り、断面図の位置を河川(争奪河川=鹿島川)の上流から下流方向に並べると、断面図6・断面図5→断面図4→断面図3→断面図2→断面図1の順になります。

従って普通なら、下総下位面B面の標高はこの順番で低くなります。
ところが、実際はその逆で断面図4.5.6は標高21m~22m程、断面図1.2.3は標高25m程になります。

標高の数値はあくまで概略で詳細な検討のために計測したものではありませんが、本来あるべき傾向と逆の傾向を示すことは確実です。

この結果を私は地殻変動によるものと考えます。

北西方向に沈下し、南東方向に隆起する地殻変動をイメージします。

この結果を地殻変動によるものであると考えると、下総下位面B面が形成されて以降、どのくらい地殻変動があったかということが判る可能性が発生します。
下総下位面B面の標高を詳しく観察すると、この地域の詳しい地殻変動量を知る手がかりが得られると思います。

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